第361話 令和4年4月1日(金)「エイプリルフール」原田朱雀

「ちーちゃん、どうしたの?」


 お昼前、幼なじみのちーちゃんが我が家にやって来た。

 それだけなら驚くようなことではない。

 彼女とはほぼ毎日顔を合わせていたし、出掛ける時もうちで待ち合わせることが多かったからだ。

 しかし、今日は普段と違うところが1つあった。

 彼女が春から通う高校の制服姿だったことだ。


「入学式。どうして来なかったの?」


「えっ」と思わず声が出る。


 血の気が引くとはこういうことかと頭の中の冷静な部分が観察していたけど、それ以外は完全に真っ白になっていた。

 中学の卒業式が終わって長い休みに入り、日付や曜日の感覚が曖昧になっていたのは事実だ。

 小学生の時にも夏休みの登校日を忘れていてサボってしまった経験があった。

 あの時は朝ちーちゃんが迎えに来てくれたのに夜更かししていて起きれなかったのだ。

 その記憶が蘇り頭を抱えようとした時、ようやく今日が何日だったのかを思い出した。


「……今日ってまだ一日だよね?」


「そう。エイプリルフール」とちーちゃんは澄ました顔で言った。


 あたしは「焦ったぁ……」と言いながら玄関の床に膝をついた。

 せっかくの高校デビューをそんなやらかしで台無しにしたくない。

 これからはイケてる女子高生として3年間を過ごすのだ。


「ヒドいよ、ちーちゃん」と言いながら彼女を家に上げる。


 居間まで行くと「お弁当買ってきた」と彼女は鞄からビニール袋を取り出す。

 私は「ありがとう」と自分の分を受け取り、「お茶入れるね」と台所に向かった。


「あたしを驚かすためだけに制服を着てきたの?」と尋ねると、ちーちゃんは上機嫌で微笑んだ。


 まさにしてやったりという表情だ。

 普段は気持ちを顔に出さないだけに、この笑顔を見れたことで彼女の嘘は帳消しにできる。

 まんまと騙されたあたしは苦笑しながら「入学式は来週だね」と気持ちを切り換える。

 待ちに待った入学式が目の前に迫ってきているのだ。

 こんなことで落ち込んではいられない。


「勇者の物語の第二章が始まる」とアニメのナレーションのような口調でちーちゃんが語った。


「まだ、それを続けるの?」と問うと、「神様のお導きがあったのだから」と彼女は答えた。


 神様のお導き。

 確かにそう言ってもいいくらいの幸運だろう。

 1年前にはこんな未来になるとまったく予想していなかった。


 成績優秀なちーちゃんがあたしと同じ高校に進学すると言ってくれたことは嬉しかったが、申し訳ない気持ちも強かった。

 だから少しでも良い高校を目指そうと勉強を頑張っていたものの、なかなか志望校を決められなかった。

 素敵な高校は成績が足りず、行けそうなところは帯に短したすきに長しといった印象で迷いに迷っていた。

 そんな時だ。

 夏休みにお父さんが「ちょっと良いか」と話し掛けてきた。

 そして、言ったのだ。

 臨玲高校に行ってみないかと。


「実はな、うちの社長のお嬢さんが今度受験で臨玲高校を希望しているそうなんだ。たまたまうちも今度高校受験だという話が出て、もし良かったら娘さんに臨玲を勧めてみてくれないかって言われたんだ」


 初瀬紫苑の大ファンである娘が絶対に行くと言い出したが、臨玲の評判を聞いて心配になったらしい。

 中高一貫の私立中学に通っているので彼女の友人はみんな内部進学する。

 誰か信頼できる人がいれば安心するという話だった。


 お父さんが務める会社は大企業ではなく大きめの中小企業だそうだ。

 出世のこととかはあたしではよく分からない。

 お父さんとしては無理に行かせようというものではなく、そういう話があったのであたしの意思を確認しようと持ちかけてみただけのようだ。


「いいの? 臨玲ってもの凄いお嬢様学校だよ?」


 我が家はごく普通の家庭だ。

 貧乏ではないが裕福でもない。

 私立中学は受験せずに公立に通ったし、そこでも経済的には平均的な生徒だったと思う。

 そんなあたしが関東でも屈指のお嬢様学校に進学できるなんて夢にも思っていなかった。


「お父さんが言い出したことだからな。行きたいのならなんとかする」


「行くことができるのなら行ってみたいけど……」


 臨玲にはあたしにとっての”女神”である日々木先輩がいる。

 先輩のお蔭で手芸部を作ることができた。

 文化祭でファッションショーを開催するというあたしの人生にとって最大のイベントを達成することができたのも彼女がいたからだ。

 あの時に感じたやり遂げたという気持ちは二度と味わえないんじゃないかと思っていた。

 だが、臨玲に行けばまた燦めくような体験ができるかもしれない。


 ただ、道は険しかった。

 お母さんはパートの時間を増やした。

 ちーちゃん本人はすぐにあたしの決断を受け入れてくれたが、親の説得に苦心していた。

 学校の先生からは、今年の臨玲は人気が集中していてあたしの成績では合格が確実とは言えないと指摘されてしまった。


 日々木先輩や日野先輩に相談することも考えた。

 しかし、3年目となる文化祭でのファッションショーの準備を手伝い、時間に追われて言い出せなかった。

 中学の文化祭が終わり、その報告を兼ねて日々木先輩に連絡を取った時に、ようやくあたしは進路のことを相談したのだ。


 久しぶりに会った先輩はあまり元気がなかった。

 日野先輩が入院したそうで、見るからに落ち込んでいた。

 そんな時にあたしのことで心を煩わせてはいけない。

 そう思ったものの「何か相談があるんでしょ?」とあたしの考えを見抜き、優しい声で「わたしも家族や友だちにいつも支えてもらっているの。だから困っているのなら話してくれたら嬉しいな」と先輩は言ってくれた。


 あたしが臨玲高校を志望していることを伝えると、パッと辺りが華やぐような笑顔を見せた。

 やはり日々木先輩は明るく微笑んでいる時がいちばんだ。

 そして、先輩は真面目な顔で「可恋に伝えるとなんとかしちゃうかもしれない。でも、それってどうなんだろう。正々堂々と受験して合格するのが大事だよね」と話す。

 日野先輩なら確かにそれくらいやりかねない。

 ただの高校生ならそんなことができる訳ないと一笑に付すところだが、魔王様には常識が通用しない。

 あたしは欲望をグッと抑えて、「そうですね」と頷いた。


 結局、教師陣がかなり入れ替わったから過去問は参考にならないといったアドバイスをもらって相談は終わった。

 その後もお正月には合格祈願のお札をいただき、それを持って受験に挑んだ。

 試験では苦手な分野の問題が出て「詰んだ」と青ざめたこともあった。

 それでもちーちゃんと一緒に覗き込んだ合格発表の画面にあたしの受験番号が掲載されていて、ふたりで抱き合って喜びを分かち合ったのだ。


 お弁当を食べたあとで、日々木先輩から電話が掛かってきた。

 入学式が終わってからあたしとちーちゃんに、ゴールデンウィークに開催予定のイベントの手伝いをして欲しいと頼まれた。

 もちろん快く引き受ける。


 一通り話が終わると、『いま可恋がいるから、ちょっと替わるね』と先輩は弾む声で言った。

 あたしが了承すると、『合格おめでとう』という大人びた低い声が耳に届く。


『ありがとうございます。日野先輩も退院おめでとうございます』


『ありがとう。私はまだ動けないので、原田さんの働きに期待しているよ』


 声に圧は感じないのに、休み気分は吹き飛んだ。

 中2の文化祭前にあったデスマーチの光景が頭に過ぎる。

 あの時は充実はしていたが、自分の限界を超えるような”やるべきこと”が毎日飛び込んできた。

 否応なく鍛えられたが、あんなのは一度きりで十分だ。

 そう思っていたのに……。

 あたしは覚悟を決めつつ、その前に気になっていたことを尋ねてみた。


『日野先輩はあたしが臨玲を受験することを知っていましたか?』


 彼女にしては珍しく一拍の間を置いてから『知らなかったよ』という言葉が返って来る。

 あたしは『そうですか』と応じ、それ以上追求しない方がいいと悟った。




††††† 登場人物紹介 †††††


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。陽稲や可恋と同じ公立中学校出身。中学では手芸部を創部し部長として活動した。2年時の文化祭ではファッションショーのプロデューサー役を担当し成功に導いた。


鳥居千種・・・臨玲高校1年生。朱雀の幼なじみで彼女からちーちゃんと呼ばれている。無表情で中二的言動が目立つが、朱雀以外との余計なコミュニケーションを避けるためという側面もある。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。朱雀の手芸部創部に手を貸し、彼女たちから女神様と崇められるようになった。中学時代にファッションデザイナーを目指していて、文化祭でファッションショーを開催するという成果を遂げた。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。陽稲のパートナー。中学時代は魔王と呼ばれることもあった。臨玲の生徒会長というだけでなく理事も務めている。朱雀のことは高く買っている。

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