第362話 令和4年4月2日(土)「ライバル」大島彼方
「ここは空手家らしく勝負で決着をつけましょう」
「そうね。だったら分かりやすく組み手で白黒をつけるのがいいよね」
はじめちゃんからは大人げないという視線を浴びたが、ここは私も譲ることができない。
この提案に「負けませんよ」と
だが、決着は目に見えていた。
彼女は私よりもかなり大柄だが、形をメインにこれまでずっと取り組んできた。
全中チャンピオンといえど、いやだからこそ組み手の稽古に時間をつぎ込んではいないだろう。
お姉様のようにどちらも高い次元という人はそうそういるものではない。
一方、私は元々は組み手主体で鍛えてきた。
いまは形の選手ということになっているが、まだまだ得意なのは組み手の方だ。
しかも彼女より2つ歳上である。
体格のハンディがあっても経験の差は簡単に埋められない。
「……負けました」と彼女は心の底から悔しそうに負けを認めた。
周囲を見回したがほかに名乗りを上げる者はいない。
キャシーがいれば間違いなく飛び入り参加をしていただろうが、いま彼女は三谷先生と一緒に本日の主役を迎えに行っているところだ。
こうして私はお姉様こと日野可恋さんに退院記念の花束を贈呈するプレゼンターの座を射止めたのだ。
今日はお姉様が退院後初めて道場に挨拶するため顔を出すことになっていた。
彼女は昨年の暮れ頃から入院していた
それ以前から体調があまり良くなくて道場に顔を出す機会は少なかった。
私はとても心配していたのだが、それが杞憂に終わらなかったのだ。
せっかくお姉様の所属する道場に移籍したのに、ほとんど稽古をつけてもらっていない。
残念に思って、よくはじめちゃん相手に愚痴を零していた。
もちろんお姉様の体調が最優先だ。
何か力になれることはないかと考えてみたものの、一介の高校生にできることなど神頼みくらいしかできなかった。
それでも私の願いは叶って、この春お姉様は退院した。
三谷先生からは空手家として復帰するには時間が掛かると聞いている。
そんな折り、半年ぶりに直接顔を合わせる機会を作ってもらったのが今日だった。
「退院おめでとうございます!」
参加者全員でお金を出し合い買ってきた大きな花束を私が代表してお姉様に手渡す。
ニット帽を目深にかぶり大きなマスクを着けていても彼女の血色の悪さは窺えた。
それでも退院したのだからと私は前向きに捉え、明るい声でこの慶事を祝う。
彼女も目元に笑みを湛えて「ありがとう」と私の気持ちに応えてくれた。
「気を遣わせるからと姉は来ませんでしたが日野さんの退院を心から喜んでいました。わたしもです!」
私を押しのけるようにお姉様に近づいた結さんが、対戦した時とは打って変わって女の子らしい表情でお姉様に声を掛ける。
さらに、「あ、日野さんじゃなくて日野先輩とお呼びしないといけませんね」と笑った。
彼女はなんとお姉様と同じ高校に入学する。
東京にある強豪私学――大学付属の中高一貫高で、空手部の強さは全国随一を誇る――から鎌倉のお嬢様学校に外部受験して合格したのだ。
周囲は猛反対したらしい。
当たり前だ。
彼女の姉は昨年の東京オリンピックで銀メダルに輝いた日本の第一人者である。
結さんはその後継者と目され期待を集める存在だった。
そんな彼女が進学する臨玲高校には実績のある空手部はなく、顧問すらいない。
一応この道場と連携することで環境面のフォローを行うらしいが、それでも設備等はいままでより劣っているだろう。
本人は「このままでは姉を超えることはできません」と言って強引に反対の声を押し切った。
姉と同じ高校、大学に進学しても前を行く姉の背中に追いつけないと主張した。
私も高校入学を機に故郷の小笠原を離れて武者修行に出た身なので気持ちは分からないでもない。
だが、お姉様を慕ってこの道場の近く――お姉様の家の近くでもある――に引っ越しをして来たのはやり過ぎだろう。
……私も転校を考えた。
でも、すぐに高3になるし、経済的負担も大きい。
周りを納得させるだけの理由を思いつけなかったので断念してしまった。
道場を移籍すれば週に何度かはお姉様に会えるだろうと期待していたので、そこまで必死にならなかった。
いまにして思えば大失敗だ。
私がこっそり歯ぎしりをしている横で
お姉様は椅子に腰掛けて、彼女たちの話を聞いている。
その椅子は道場の備品のパイプ椅子ではなく、かなり豪華な革張りのものだった。
その横にはニコニコと笑顔を見せている日々木さんがいる。
周囲の体格の良い女の子たちと比べると彼女の華奢さが際立つ。
一方、反対側には退屈そうにキョロキョロと辺りを見回すキャシーの巨体があった。
『お
キャシーは興奮すると早口&大声でまくし立てる傾向にあるから、逃げ場のない車中で相手にするのは大変だっただろう。
普段は注意してもなかなか聞き入れてくれない。
だが、お姉様ならキャシーをこのように従わせることができる。
さすがお姉様!
『この冬に稽古した形を披露すれば?』と私が提案すると、『良いアイディアだな!』とキャシーはやる気を見せた。
彼女は組み手に関しては大学空手部への出稽古などを重ねてなかり力をつけている。
おそらく高校生の大会に出場しても優勝を狙えるだろう。
ただ彼女はインターナショナルスクールの生徒であり、正確には高校生の資格がない。
一般の部では年齢制限もあって出場できる大会が限られている。
キャシー自身は強くなることが目標なので大会出場を強く望んでいる訳ではないが、周囲から見ればもったいないように感じる。
そんなキャシーは最近形にも力を入れるようになった。
少しずつ空手への理解を深め、形の重要性に気づいたようだ。
私も組み手から形に転向したばかりなので指導とまではいかないが、一緒に取り組むことでお互いに得られたものはあったと思う。
『カレン! ワタシの強くなった姿をそこで見ていろ!』
キャシーの張り切った声が道場に響き渡る。
三谷先生が「この冬の成果を見てもらいましょう」と言ったので私も名乗りを上げた。
結さんも参加する気のようだ。
負けられない戦いがここにある。
高校生のレベルの高さを見せつけて、全中チャンピオンの天狗の鼻をへし折ってやらなくては。
……そんなことを考えた自分の浅はかさを呪いたくなる。
「さすが結さん。受験もあったのにさらに成長しているね」
彼女の演武を見たお姉様の第一声がそれだった。
圧巻だった。
真剣に取り組むようになって1年程度の私などまったく歯が立たない。
次元が違う。
「まだ姉や日野先輩の域には達していません。自分でも分かっています。でも、必ず超えて見せます。そのために臨玲に来たんですから」
眩しい笑顔で彼女は決意を語る。
私もお姉様から「短期間で驚くほど上達していますね」と言ってもらえたが、いくつかダメ出しもされた。
結さんと私では目指すものは異なる。
彼女は形の選手として世界一になることだろう。
私は師匠から受け継いだ空手を極めることだ。
だが、目標に向かう姿勢で負けている。
それを思い知らされた。
屈辱を感じながら私は宣言する。
「私は頑張ってお姉様(と同じように空手を極めて、空手家)のいちばんになってみせます!」
††††† 登場人物紹介 †††††
大島彼方・・・高校3年生。中学まで小笠原で育ち、師匠から独自の空手を学んだ。高校入学を機に島を出て23区内の寮に暮らす。フルコンタクト系空手の道場に所属していたが、昨年神奈川の三谷先生の道場に移籍した。
小谷埜はじめ・・・高校3年生。彼方とは別の高校だが、フルコンタクト系空手の道場で一緒だった。中学時代は伝統派空手の組み手の選手。
三谷早紀子・・・可恋が属する道場の師範代。女性空手家の育成に定評があり、関東一円から指導を受けに来る練習生がいる。
キャシー・フランクリン・・・インターナショナルスクールに通う16歳の黒人少女。180 cmを超える長身と圧倒的な身体能力を持つ。令和元年に来日し、それから空手を始めた。
日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長のみならず学園理事やNPO法人代表を務めている。昨年11月上旬から長期入院していた。空手・形の選手。
日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。可恋と同居している。可恋は道場に付いてこなくていいと言ったが、多忙であってもそこは譲れなかった。
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