第363話 令和4年4月3日(日)「花見」真砂大海

「お姉様、これ口の中でとろけてヤバいですよ!」


 私の目の前であどけない顔の少女が抹茶スイーツを頬張っている。

 フリルと刺繍がたくさん施された上品なブラウスにカシミヤの薄手のケープを羽織り、パンツにロングブーツという出で立ち。

 いかにもお嬢様という外見なのに、言葉遣いに子どもっぽさが現れていた。


「もう高校生になるのだから、TPOを弁えて話した方がいいんじゃない?」と注意を与える。


「えー、考えてますよー。あたしとお姉様の仲だから良いんですよー」と彼女は抗議の声を上げた。


 ここは鎌倉にある隠れ家的なカフェの裏庭だ。

 そこを借り切って花見と洒落込んでいる。

 桜の古木が満開の花をつけ、それを囲むようにテーブルと椅子が並べられていた。


 参加者は臨玲高校の新入生が十人程度と、それとほぼ同数の茶道部の部員だ。

 毎年この時期に茶道部の入部が認められる新入生に招待状が届き、春休みの前にこうして顔合わせをするのが恒例行事となっていた。

 臨玲茶道部は相当の家柄の娘でなければ入部資格がない。

 この花見の会に参加するのは臨玲を代表するお嬢様ばかりだ。


 私は茶道部の部員ではないので本来であれば参加資格がなかった。

 昨年の入学時に招待状は届いたもののコロナを理由に参加は見送った。

 その後、茶道部の勧誘を蹴った時点でこの花見に参加することはないと思っていたが、部長の三浦ゆめにどうしてもと頼まれてこの場にいる。


 ゆめは新入生を歓待するために動き回っている。

 彼女はこうした社交の場では家柄的に一段下に見られることが多い。

 それを自覚しているからこそ私に参加を求めたのだろう。


 私の向かいに座っていた少女がスイーツを食べ終えると、「聞いてくださいよー」と口を尖らせた。

 彼女は「九条のお姉様が茶道部の部長になれってうるさく言ってきてウザいんですよー」と愚痴を零した。

 九条のお姉様とは九条山吹氏のことだろう。

 親子ほど年齢が離れているのに「お姉様」と呼ばせているのか。

 私は苦笑を浮かべながら、その少女――鹿法院ろくほういん姫香――に「私は姫と一緒に生徒会活動をしたいんだけどね」と誘いを掛けた。


 鹿法院は九条の分家だが、いまや力関係は完全に逆転している。

 彼女の父親は世間的にはほとんど知られていないが、我々の世界では誰もが知る有名人だ。

 政治家との繋がりや大企業との結び付きも強く、右翼の大物という評価もある。

 娘の姫香を九条家の養子にした上で天皇家に嫁がせることを狙っているという噂話も耳にしたことがあった。


「生徒会かぁ……」と呟く彼女に「お父様からは何か言われているの?」と尋ねる。


 九条家相手なら生徒会長の威を借りれば口出しを防ぐことができるだろう。

 だが、彼女の父親の指示があれば私の計画は頓挫する。


「パパは何も言ってこないよ」とキョトンとした顔で姫香が答えた。


 私は意外に思い、「臨玲に決めたのも姫の意志なの?」と確認した。

 彼女は「うん。パパに相談はしたけど、最後に決めたのはあたしだよ」と胸を張る。

 小さな子どもが精一杯背伸びをしているようで、その仕草に日々木さんを連想してしまい思わず笑みが零れた。


 考えてみれば臨玲高校での権力争いなんてコップの中の嵐のようなものだ。

 山吹氏にとっては全力を注ぐほど大事なことなのだろうが、鹿法院にとっては些事に過ぎない。

 生徒会長も副会長に引き継いだあと大過なく運営できるように茶道部やOG会の力を削いでいるだけだ。

 ……少しは視野が広がったかな。

 私はそう独りごちてから後輩に向き合った。


「それなら、九条のおばさま・・・・の相手は私がするから、茶道部に入るか生徒会に入るかは姫が自分で考えて決めてね」


 姫香は真剣な表情で「うん」と答えた。

 これで私がここに来た任務は終了だ。

 少しばかり肩の力を抜き、飲み物のお替わりをオーダーする。


「こちらに同席してよろしいでしょうか?」


 ふたりの新入生が私たちがいるテーブルにやって来た。

 姫香はちょっぴり不満そうな顔つきだったが反対はしなかった。

 私は立ち上がり「どうぞ」と椅子を引いてふたりを座らせる。


 ふたりとも親しいと言うほどではないが顔と名前は記憶にあった。

 私はコロナ禍になる前は同世代の社交の場によく顔を出していたのでこうした顔見知りは多い。

 姫香も初対面ではないようだ。


「神楽坂歴亜れきあです。ご無沙汰しております。大海ひろみ様のご活躍は姉からよく聞いています」


 彼女の姉の陽生はるきは同じクラスの友人だ。

 そして、この姉妹は芳場よしば前生徒会長の従妹に当たる。

 つまり前総理の親族だ。

 芳場前会長は茶道部入りを断られたと聞いている。

 当時彼女の父親はまだ官房長官であり、一政治家というだけでは茶道部の入部基準に適合しなかったそうだ。

 ……性格にも問題があったらしいけど。


 神楽坂家は家格が高く、義兄となった芳場氏を支えていた。

 金銭面以上に上流社会のネットワークは政治家に大きな力を与える。

 それだけが総理の座を射止めた理由ではないだろうが、一因にはなったはずだ。


 陽生は私も所属するゆめを中心としたクラスのグループのメンバーだ。

 ただ口数は少なく、自己主張することもあまりなかった。

 また芳場前会長と行動を共にすることも多く、クラスでは目立たない存在だった。


 もうひとりの簡単な自己紹介が終わると、歴亜さんが身を乗り出すように口を開く。

 姉の分までよく喋る妹という彼女のデータを私は自分の頭の中から引き出す。


「お聞きになりました? 日々木陽稲様を愛でる会のこと」


 私と姫香が反応を示せないでいると、「素敵ですよね、陽稲様。先日の記者会見もその会の人から連絡を受けてリアルタイムで見ることができたのです!」と彼女は胸に手を押し当てた。

 まるで憧れのアイドルか推しを語るようだ。


「もちろん姫香様も素敵です! 陽稲様と姫香様がお並びになった光景を想像するだけでわたしはもう……」とさらに熱を帯びる。


「あー、映画に出てた人だね」とようやく姫香が該当人物に思い至ったようだ。


 一方、私は「その『日々木陽稲様を愛でる会』について詳しく教えてもらえるかな?」と初めて耳にした集団のことを質問した。

 歴亜さんももうひとりの子も「制服の採寸の時に聞きました」と口を揃える。

 生徒会が関わる行事なら些細な出来事でも耳に入るが、さすがにそこまでは目が届かない。

 昨年と同じであれば、採寸は小人数のグループに分けて行われる。

 ふたりの話から複数のグループでその話が広まっていることに違和感を覚えた。


「みなさん、堂々とその話をしていて不審な感じはしませんでした。学校の職員の方も聞いていたと思います」


 このファンクラブのようなものができて得をするのは誰か。

 少なくとも新入生の間で日々木さんの知名度は上がる。

 ファンの行動が過熱する可能性もあるが、会員登録や適度な情報公開でコントロールすることもできるだろう。

 次の生徒会長選挙はゴールデンウィークのあとになる予定で、藤井さんが対立候補として準備を調えているようだ。

 昨年のように1年生が立候補する可能性もある。

 それらを踏まえて、こんなことをしそうな人物に心当たりがあった。

 ……採寸が行われた頃はまだ入院中だったはずなんだけど!




††††† 登場人物紹介 †††††


真砂まさご大海ひろみ・・・臨玲高校2年生。真砂家は大地主として知られている。昔から社交の場に出ていて、面倒見が良いため同世代から慕われている。


鹿法院ろくほういん姫香・・・臨玲高校の新入生。姫の愛称を持つ小柄な少女。


九条山吹・・・臨玲OGであり、理事である母の威を借りてOG会で権勢を振るっている。高校時代にクラスメイトだった現理事長を目の敵にしていて、その手下と見なす生徒会とも対立している。


三浦ゆめ・・・臨玲高校2年生。茶道部部長。大海の親友。高級旅館の跡継ぎ娘。


神楽坂歴亜れきあ・・・臨玲高校の新入生。前首相の姪に当たる。姉の陽生はるきは大海たちのクラスメイト。


芳場美優希・・・臨玲高校OG。前首相の実娘で前生徒会長。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。見た目は外国人の人形っぽい。ロシア系の血を引いている。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。実務をはじめ高校生離れした能力を発揮する。裏での工作も得意。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る