第364話 令和4年4月4日(月)「明日は……」日々木陽稲
「可恋なら入学式の日程、変えることができたんじゃない?」
「私の誕生日と重なるから変更しろだなんてさすがに言えないよ」
わたしの問いに可恋は苦笑を浮かべながら答えた。
明日は臨玲高校の入学式である。
そして、可恋の17回目の誕生日でもあった。
夕方、わたしは「寒かったー」と身体を震わせながら帰宅した。
丸一日学校で入学式の準備を行っていたからだ。
厚着をしていても今日の講堂は凍えるような冷え込みだった。
例年、入学式では生徒会長が歓迎の挨拶を行う。
今年は残念ながら生徒会長の可恋が出席できないので、その挨拶は副会長のわたしが代行することになった。
卒業式では会長代行の岡本先輩が送辞を読み上げた。
入学式でも岡本先輩に任せたかったが、可恋のひと声でわたしに決まったのだ。
わたしがこういった式の大舞台に立つのは二度目のことだ。
前回は中学の卒業式の答辞を行った。
わたしは大勢の人の前で喋るのが苦手だ。
特に台本にあるセリフを話したり、原稿を読んだりすることは。
いつも失敗してはいけないと思って緊張してしまう。
通常の会話なら誰が相手でも臨機応変に自然体で応じることができるのに。
苦手意識はピアノの発表会や学芸会での主役を演じたことで強くなっていった。
どちらも頭が真っ白になり、練習ではできたことが本番ではまったくできなかった。
さらに中学受験ではほとんど解答を書くことができなかった。
それ以来、「失敗してはいけないシチュエーション」に異常なほど恐怖感が募るようになった。
それを変えてくれたのが可恋だ。
試験は彼女の励ましと場数をこなすことでかなり克服できた。
人前に立つことも以前よりはかなりマシになった。
臨玲祭の落語会でも多少間違えたが、可恋が側にいてくれたので最後までやり切ることができた。
当時の時だって可恋がいたからうまくいったのだと思う。
しかし、明日は可恋がいない。
わたしひとりでやり遂げなければならない。
最後の準備を終えて帰宅したいまになって、そんなプレッシャーに襲われた。
「入学式で失敗したって命を失う訳ではないし、ひぃなの借金が増える訳でもないよ」
普段と様子が違うわたしを見かねて可恋が声を掛けてくれた。
5億円の融資とは別に運転資金として可恋から多額のお金を借りている身としては「借金」という言葉が出るとビクビクしてしまう。
「分かっているけど……」と自信なさげに言葉を返すと、「むしろ失敗して目立ってくれた方がありがたいかな」と可恋は悪巧みを考えているような表情になった。
「ひどいよー」と涙目で抗議すると、「ごめんごめん。でも、記者会見では完璧に受け答えできていたじゃない。あんな感じで、新入生全体ではなくひとりに話し掛けると考えてみたら?」とアドバイスを授けてくれた。
わたしはあらかじめ用意した原稿を読むより即興で会話をすることの方が得意だ。
初めて体験した記者会見では司会者や紫苑、そして記者の方々が巧みに質問を投げ掛けてくれたのでそれに答えるだけでよかった。
普通はその方が難しいと紫苑は呆れた顔で語ったが、わたしにとっては逆なのである。
「新入生の中には原田さんや結さんがいるからね。そういう人に向かう気持ちで話してみる」
「原稿通りに読まなくてもひぃななら大丈夫だよ」と優しい口調で励ましてくれた可恋は「紫苑だと口を塞ぐ準備をしておかないと人前には立たせられないけど」と渋い顔でつけ加えた。
臨玲祭で紫苑は大勢の人の前に立った。
緊張なんて微塵も感じていない様子で、出世作『クリスマスの奇蹟』のワンシーンを独演で再現してみせた。
それだけなら良かったのだが、観客の喝采に気を良くした彼女は映画の裏話を語り始めた。
ものの1分も経たないうちにほかの出演者に対する批判的なコメントが飛び出し、彼女のマネージャーと可恋が慌てて壇上から引きずり下ろすという騒ぎになってしまったのだ。
紫苑がメディアとの接触を最小限に制限されている理由を間近で目撃した瞬間だった。
当の本人はこれくらい言っても平気だと憤然としていたが……。
「そういえば原田さんから『愛でる会に対向して教団を立ち上げても良いでしょうか?』というメッセが来たんだけど、どういうことかな?」
「ひぃなが気にすることじゃないよ。いまは明日の入学式やゴールデンウィークのイベントに集中して」
可恋が把握している事柄であればわたしが気にする必要はないのだろう。
それよりも3校合同イベントが1ヶ月後に迫ってきている。
正確に言えば、臨玲が開催する分の設営等はプロに任せているので生徒が関わる要素は多くない。
だが、イベントで紫苑に着てもらう衣装を間に合わせられるかどうかが大変なことになっている。
契約によって、映画の作中を除いて彼女がメディアの前で着る服はわたしがデザインしたものに限られる。
鎌倉にある女子高3校の合同イベントはメディアからの取材も入っている。
いまは臨玲の制服を着て取材に応じてもらえばいいが、本番ではそうはいかない。
現在は服を作ってもらっている工程だが、その進捗の確認のために東京にある”工房”を足繁く訪問しなければならなかった。
少数精鋭の”工房”は裁縫のプロの集団というより、「ものづくり」の専門家集団といった感じだった。
わたしがデザインしたものをどう作るかから考え、そのために必要な工作機械の製作からスタートしている。
デザインやコンセプトをどれほど忠実に再現できるかを突き詰めた結果だ。
そのためわたしのチェックが重要になり、かなりの頻度で実物を見に行く必要があった。
4月中は生徒会のほかの仕事に関わることは難しくなりそうだ。
「イベントを成功させるためにはひぃなのデザインした服が必要なのだから、ほかのことはみんなに任せる気持ちでいてね」と可恋は言ってくれる。
仕事を抱え込みすぎないことの大切さは可恋を見ていると良く分かる。
彼女は何人分もの業務をこなしているが、他人に任せられる部分は積極的に振り分けていた。
服作りはわたしでなければできないことだが、ほかのイベント準備はわたしでなくてもできるだろう。
申し訳ないという気持ちはある。
ただそれ以上に、中学の時にファッションショーを開催して感じたイベント作りのワクワクした体験が人任せでは味わえないことを残念に思っているのかもしれない。
しかし、欲張って失敗しましたではダメだ。
入学式の挨拶とは違う。
こちらは失敗すれば大きな損失が生じる。
最悪、”工房”が潰れ従業員が路頭に迷うなんてことも起きかねない。
失敗してはいけないという重圧は感じるものの、デザインの仕事に関しては自信もあった。
ものごころがついてからずっとわたしはそれを目指してきたのだ。
最高の環境を整えてくれた”じぃじ”と、常に支えてくれる可恋がわたしにはいる。
大丈夫、わたしならできる。
だからこそ、可恋が言うように衣装作りに専念しなければならない。
「入学式と可恋の誕生日が重なったと聞いた時は喜んだんだけどね。入学式を可恋の生誕祭にすればいいって。可恋が来れないことだけが誤算だったよ」
わたしが残念な思いを打ち明けると可恋はギョッとした顔で黙り込んだ。
そして、「ひぃなにもあまり権力を持たせない方がいいね」と呟いた。
「起業しろとか生徒会長になれとか言ったのは可恋じゃない」
「そうだね」と額に手を当てた可恋は「私の予測を超える事態のための安全装置ってどうやって作ったら良いんだろう」と真剣に悩み始めた。
……なんだかひどいよね!
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。臨玲の制服をデザインすることでファッションデザイナーとしてのデビューを飾った。人気女優の紫苑と大型契約を結んだことで世間からも大注目を浴びている。
日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。臨玲の理事も務める。実務能力が際立っていて、この若さで既に多くの業務をこなしている。現在は入院中にはできなかった暗躍を……。
初瀬紫苑・・・臨玲高校2年生。生徒会広報。若者から圧倒的支持を受けている映画女優。3校合同イベントの広告塔も務める。演技力には定評があるものの奔放な物言いから事務所は彼女のメディア出演を制限した。
原田朱雀・・・陽稲の中学の後輩。臨玲高校への入学が決まった。なお、教団とは『光の女神様を崇拝する教団(仮称)』であり、「愛でるなんて畏れ多い」と憤慨している。
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