第209.6話 令和3年10月31日(日)「臨玲祭の舞台裏」日野可恋
臨玲祭を前にして厄介な問題が持ち上がった。
九条家がOG会に所属する人たちにかなりの数の入場チケットを勝手にコピーして配布したのだ。
さすがに金銭的なやり取りはなかったようだが、彼女たちの間ではこうした「貸し借り」は非常に重要な意味を持つ。
それを食い止めようと情報収集に当たったところ、理事長が学校職員の枠を使って臨玲祭の招待状をかき集めていたことが発覚した。
あちこちから頼まれて断り切れなかったようだ。
周囲との人間関係の構築や維持は理事長の欠かせない仕事だが、彼女はコミュニケーション能力に難がある。
彼女の右腕と言える北条さんもいつも傍らにいて守れる訳ではない。
感染症対策という大切な目的のために招待状の発行数を絞ったのに、自分の権力を誇示するためにルールを逸脱したという点ではどちらも似たようなものだ。
九条山吹氏に臨玲祭立ち入り禁止という形で責任を取ってもらうのみで、出回った招待状はすべて有効という判断が下された。
生徒は我慢を強いられ、負担だけを追わされる。
増加する来場者のために風紀委員だけでなく各クラスから数人を供給してもらう必要が出て来た。
甚だ申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
せめて来場したOGには散財してもらい、それで得た収入をポイントとして生徒に配布したい。
また、今日は別件があって私は生徒会の指揮を執れなかった。
会長補佐の岡本さんや副会長のひぃなに頼ることになる。
負担を掛けることになるので、あとで十分に労う必要がありそうだ。
「ようこそ、お出でくださいました」
私はタクシーから降り立ったスーツ姿の女性を出迎える。
生憎の曇り空だが、正門前は来客が途切れない。
招待状を確認する受付の前は行列となっていた。
「臨玲高校生徒会長兼理事の日野可恋です」と挨拶すると、「以前からお会いしたいと思っていました。穂高由美子です。以後、お見知りおきを」と丁寧な返事とともに名刺を渡された。
そこには関東私立学校連盟副会長という肩書きが記されている。
彼女は国内の学校行政に対して多大な影響力を有するひとりだ。
渋谷系という派閥を率い、中高を対象にしたこの私立学校連盟のみならずいくつかある私立大学の団体にも顔が利く。
年齢は私の祖母より少し若く、物腰は柔らかいがバイタリティには溢れている印象を受けた。
「盛況ですね」と受付前の行列を眺める穂高さんを私は校内へと案内する。
受付を通さずに進んだので、OGと思しき女性たちから険しい視線が浴びせられた。
穂高さんは臨玲高校の賓客なので問題はない。
だが、見た目でそう判断するのは難しいだろう。
どこにでもいる高齢のご婦人という出で立ちだし、秘書もいなければタクシーでの来訪でもあった。
私も意外に感じたが、それを表情には出さずに「理事長室へご案内します」とエスコートする。
伝統校である臨玲の概略について一通り説明する。
これくらいのことは事前に調べてはいるはずだが、時折質問を挟みながら穂高さんは熱心に私の話を聞いていた。
臨玲には複数の渋谷系の理事が在籍している。
これは元学園長が理事長を追い落とすために渋谷系に協力を求めたことが要因だった。
学園長は失脚したが、渋谷系理事は中立派として現在も役割を全うしている。
そして、今日その渋谷系の
穂高さんから理事長との会談及び臨玲祭見学の依頼が届き、理事長側はそれを了承した。
さらに彼女は案内役として私を指名した。
生徒会長としての仕事があるからと一度は断ったものの最終的には押し切られてしまった。
「いまの話より、5年後10年後20年後の話をしてくださる?」
概略を話し終えると穂高さんからリクエストがあった。
私はまず校舎の建て替え計画について説明する。
「生徒が毎日長時間過ごす場所です。快適で機能的であることが学校生活を充実させると思います」
環境は大切だ。
清潔であればポジティブな感情を抱きやすいし、ゴチャゴチャとした環境だと集中力を欠きやすい。
精神論で乗り切れる人間も中にはいるが、多くの人にとって環境から受ける影響は無視できない。
臨玲高校の人気が落ちていく有様は校舎が古びていくことと連動していたと言うと言い過ぎか。
私は学校の顔としての魅力を持たない本館を見上げて、「いまは教室棟の建て替え中ですが、次はこの本館を建て替えたいと考えています」と語った。
当然、「少子化の中、経済的に大丈夫なのですか?」と問われたが、「幸いなことに初瀬紫苑効果があり、志望者数や寄付金が急増しています。内部抗争が終結したことで教室棟を建て替える予算は捻出できましたし、OGの助力を得られれば本館の建て替えも叶うことでしょう」と包み隠さずに答えた。
洗練とはほど遠い本館正面玄関から建物に入り、理事長室に向かう。
清掃こそ行き届いているものの、私が通っていた公立中学とたいして変わらないみすぼらしい廊下だ。
桜の季節なら窓から華やかさをもたらしてくれるが、いまはどんよりとした空の暗さが廊下の中にまで浸食しているように感じる。
理事長との対談は短時間で終了した。
筆頭理事の吉田氏や渋谷系の理事も参加して行われたそれは、社交辞令を交わす程度で実りあるものとはならなかった。
短時間でも理事長の欠点はくっきりと露わになった。
大人として責任ある受け答えができない。
言葉は不明瞭で、態度も落ち着きがない。
学園のトップに立つ者として頼りない印象を与えてしまっただろう。
むろん理事長にも優れた面はある。
北条さんや私を引き立てたように身分や属性ではなく能力で相手を評価してくれる。
学校改革にも熱心に取り組んでいるし、コンピュータやインターネットに造詣が深い。
しかし、理事長とは人を動かす仕事だと考えるとどうしても粗が目立ってしまう。
私のように理で動く人間は良いが、情がないと多くの人を動かすことは困難だ。
穂高さんにもそんな短所を見透かされているように感じる。
顔合わせ程度で終わった話し合いのあと、臨玲祭を案内する。
渋谷系の理事が付き添いを希望したが穂高さんは断り、またふたりで歩き出す。
そして、ひと気のない本館の廊下で彼女は口を開いた。
「貴女を理事長にしてはどうかという報告も上がってきています」
「それは光栄ですね」と私は笑顔で受け流す。
理事長になるとほかの仕事との兼ね合いが難しくなるので、できれば信頼できる人に任せたかった。
いまの理事長がそれに該当するかどうかは微妙なところだが……。
「こうして会ってみると貴女を手元に置きたいと思いました。そして、ゆくゆくは国会議員としてこの国の教育改革にその力を振るって欲しいと」
言葉遣いは丁寧だが、私を取り込んでみせるという自信のようなものがうかがえた。
油断すると外堀を埋められてしまうだろう。
私が「ずいぶん高評価ですね」と指摘すると、「貴女のことは調べましたから」と手の内を明かした。
「では、私の身体のこともご存知ですよね?」
「ええ」と彼女は何の問題もないといった顔で頷く。
ハンディキャップを乗り越えて政治家を志すというのも美談になる。
それに体力的に大変な仕事だが、多様な意見を反映するために障害を持つ人が政治家になるのは悪いことではない。
「選択肢のひとつとして考えておきます」
穂高さんの力を借りずとも政治家を目指すことはできるだろう。
また、自分が将来やりたいことのリストではその進路はかなり順位が下の方だ。
だが、道を閉ざす必要はない。
彼女との繋がりは有益であり、臨玲理事会での力関係にも影響を及ぼしそうだ。
私は教育問題に関する彼女の意見を聞きながら臨玲祭を見て回った。
彼女個人の考え、渋谷系としての意見、副会長としての立場等、それぞれを確認しながら傾聴していた。
案内の最後に紫苑が監督を務めた短編映画を一緒に鑑賞する。
穂高さんは「素敵だったわ」と満足してくれた。
この臨玲祭でも顕著だが、いまの臨玲高校の魅力は紫苑の存在やひぃながデザインした制服といった個人の能力に頼ったものだ。
いつまでもそれではいけない。
いかに変えていくか。
理事の職を得ているからには私も貢献する必要があった。
「これからも相談に乗っていただけるとありがたいです」
迎えのタクシーに乗り込む穂高さんに私は頭を下げる。
中等部の新設や大学との連携など改革の構想だけならいくらでもあった。
簡単に達成できることではない。
だが、彼女の協力があればいくつかは前に進めることも可能なはずだ。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。臨玲の理事も務め学園のイメージ向上を担う。
穂高由美子・・・関東私立学校連盟副会長。東京の有名私立学校の理事長でもある。渋谷に拠点を持つ私立学校数校の代表が協力して派閥化したことから”渋谷系”と呼ばれるものが出来、現在は彼女が中心となって派閥が拡大している。国政への影響力も持つ人物。
九条山吹・・・臨玲高校理事でOG会会長である九条朝顔氏の息女。理事長の椚とは臨玲高校時代にクラスメイトだった。
椚たえ子・・・亡くなった母の跡を継いで臨玲高校理事長に就任した。しかし、母の片腕だった学園長と抗争が起き、伝統あるお嬢様学校だった臨玲の人気は凋落した。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。若者に圧倒的な人気を誇る映画女優。理事長の肝いりで入学した。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。可恋のパートナー。臨玲の新しい制服をデザインし、イメージ向上に一役買った。
* * *
「もー、大変だったのよ!」
理事としての業務が終わり、ようやく落語会が行われている自分の教室に顔を出す。
ひぃなは私の顔を見るなり大きな声を出した。
「ご苦労様。ひぃななら大丈夫だって信じていたから」と彼女のおでこを撫でると、「いつまでも可恋におんぶに抱っこって訳にはいかないからね」と彼女は胸を張った。
クラスの出し物である落語会で紫苑絡みのトラブルが起きた時は講堂に場所を移すように指示しておいたが、それが適用されたらしい。
大変だったようだが、その準備は間に合うようだ。
ひぃなはこれから出番なので振り袖姿になっている。
綺麗に結い上げた髪には豪華な簪が飾られている。
落語をしなくても彼女が舞台に上がり立っているだけで十分じゃないか。
愛でているだけでほかはいらないと思うものの、ひぃなは噺を語ることに気合を入れている。
私は「応援しているよ」と背中を押すように送り出した。
何度か噛んだり間違えたりしたもののひぃなの熱演は好評を博した。
間違えに気づいたのは本人と私くらいかもしれないが。
このあと講堂に駆けつける必要があるので休憩を挟まずすぐに私は高座に上がる。
紫苑を除くと、私がトリを務めることになっていた。
手品でお馴染みの『オリーブの首飾り』の曲を流してもらい、私は大きな白いハンカチを取り出す。
種も仕掛けもないことを確認してもらい、まずはそこから小さなぬいぐるみを出現させる。
客席の半分ほどを埋めた観客からは驚きの声が上がる。
気を良くして可憐な花を次々と生み出し、それをアシスタント役として隣りに残っていたひぃなに渡す。
最後に、彼女にハンカチをかぶせ、それを取り払うとその花々が大きな花束になって現れる。
歓声に満足して私は高座を降りる。
ひぃなは「可恋、ウケ過ぎだよ」とちょっと拗ねたように言うが、私の手品は一朝一夕で身につけたものではない。
「プロには負けるよ」と私は言葉を返す。
紫苑が何をするのかまったく聞いていない。
しかし、観客が見つめる前で期待を裏切ることはできないだろう。
私以上の喝采を浴びることは間違いない。
着飾ったままのひぃなに「折角だからその姿で司会進行をして欲しい」と無茶振りする。
そして、驚く彼女の肩に手を置き「ひぃなならできると信じているから」と囁いた。
その夜、毎月検査に通う大学病院から緊急の連絡が届くとはまだ知る由もなかった。
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