第209.5話 令和3年10月31日(日)「臨玲祭の楽屋裏」網代漣

「漣、久しぶり! 制服、似合ってるね。素敵だよ」


 着いたという連絡を受け正門まで迎えに行くと、わたしを見つけた真夏が大きく手を振って声を掛けてきた。

 よく通る大きな声だったので、わたしは顔を赤らめる。

 真夏は白とオレンジの二色に大きなロゴの入ったスタジャンを着こなし、チェックのミニスカートに同系色のロングブーツが決まっている。

 彼女はスタイルが良く、本当に何を着ても似合う。

 わたしはいつも羨んでばかりだ。


「声、大きいよ」と諫めてから、「来てくれてありがとう」と歓迎の気持ちを伝える。


 今日は臨玲祭の二日目で、招待状を持っている人に限り一般開放されている。

 真夏は事前に送っておいた招待状で入場する。

 わたしは裏道を通って自分のクラスへと案内することにした。


「来場者、多いね。うちは一般開放しなかったから羨ましいよ」


「……うーん、ちょっと問題が起きて大変なことになっているんだけどね」


 真夏が「問題?」と興味を示したのでわたしは簡単に説明する。

 OG会が勝手に招待状を発行していたのだ。

 それが臨玲祭直前に発覚し、学校側や生徒会、実行委員会といった面々は頭を抱えた。

 感染症対策で観客をかなり制限していたのに無断でルールを破られたからだ。

 かと言ってこの招待状を無効とすることも難しいようだ。

 暇を持て余していたOGの方々にとって格好のイベントだし、コネとお金を使って友人の分まで招待状を得て自慢するという意図もあったようだ。

 それが急にキャンセルとなれば学校への非難は凄まじいものになりかねない。

 結局、いくつもの注意事項を守ってもらうことを条件に入場を認めることになった。


 ただ、対策として風紀委員だけでなく手の空いた生徒にも巡回をしてもらうことになり、うちのクラスからもキッカや千尋が参加している。

 キッカにはわたしの落語を見てもらいたかったので残念だが、真夏と鉢合わせしないで済んでかなりホッとしている。


「そんな訳で、来場者がお昼ご飯を食べられるところがほとんどないの。新館のカフェの予約が取れてたらよかったんだけど、人気が凄くてね」


「大丈夫。軽くだけど食べてきたから。それより漣は? ちゃんと食べた?」


 いまはまだお昼の少し前だが、事前に食べてから高校に来て欲しいという忠告を守ってくれたようだ。

 カフェ以外にも学食はあるが、混雑しているのは目に見えている。

 わたしが「さっきおにぎりを食べたから」と答えているうちに教室に到着する。


「綺麗だし、広いし、さすがお嬢様学校!」


「あはは……、ここ仮設校舎なんだ。前の校舎は全然お嬢様学校っぽくなかったんだよ」


 わたしは浜松にある私立中学に通っていたから臨玲高校の校舎が古いことにショックを受けた。

 たぶん真夏にも愚痴を零したはずだがきっと忘れているのだろう。

 仮設校舎は廊下も教室も広く清潔感があり快適だ。

 新校舎はこの仮設校舎をベースに更に改善するそうなので楽しみにしている。


「あれ。結構お客さん入ってる」とわたしは教室に入って驚いた。


 わたしが真夏を迎えに出た時は客席はガラガラだった。

 昨日も客の入りが悪く、凛をはじめとした落語会の中心メンバーは思い悩んでいる様子だったがこれなら喜んでいるだろう。


「真夏、悪いけど着替えるのを手伝ってくれる?」


 こんなことを客に頼むのはどうかと思うが、真夏は二つ返事で引き受けてくれた。

 わたしは高座の裏にあるスペースにベランダ側から回り込む。

 仮設校舎は普段2つの教室の間を可動式の仕切りで分けている。

 落語会ではその仕切りの位置をずらして教室の三分の一ほどを楽屋として利用していた。


「真夏さん、お久しぶりね」と楽屋にいたひよりが手を振った。


 真夏も再会を喜んでいる。

 淀野さんは「これから彼女をひん剥くからあとは好きにしていいよ」とこちらを指差して笑みを浮かべた。

 ひよりは自分の彼女を窘めるが、真夏は満更でもない顔になっている。


「着替えるだけだからね」とわたしは真夏に言って自宅から持って来た和服を取り出す。


 落語会では演者の服装は自由なので、わたしのように和服に着替える子やなぜかドレス姿になる子がいた。

 大半の人は面倒だからと制服のままだった。

 わたしは折角漣が来てくれるのだからとお母さんに相談したところこの着物を出してもらった。

 振り袖のような派手なものではない。

 しかし、黄色い生地が可愛くてわたしとしては勇気を振り絞っての決断となった。

 キッカや千尋も着付けを手伝ってくれる予定だったが、巡回の仕事に駆り出されたため真夏の手を借りることにしたのだ。


 3人がかりの着付けの中で指導的役割を果たしたのは淀野さんだ。

 彼女は「脱がす方が得意」と言いながら、ひよりと真夏に手ほどきする。

 なんとか着替えが終わったというタイミングで、凛が血相を変えて楽屋に飛び込んできた。


「大変なことになったの! 全員、手を貸して!」


 いったい何が起きたのか。

 ここまで慌てる彼女を見るのは初めてだ。


「どうしたの?」とひよりが問うと、「お客さんがいっぱいになって、いまもどんどん増えて、入り切らなくて……」と凛は焦りの色を隠さない。


 わたしの着付けを手伝ってくれた3人はベランダ側から教室の中の様子を覗き込み、凛に近いところにいたクラスメイトはドアから廊下を窺った。

 そして、その両方から悲鳴に近い声が上がった。


「ヤバいって!」と真夏がわたしのところに駆け寄る。


 彼女の話に依ると椅子が埋まっただけではなく、立ち見も大勢いるそうだ。

 そういえば楽屋でも外の騒がしさが聞こえていた。

 わたしの着替え中はドアも窓も閉め切っていたのでそこまでうるさくはなかったが、開けると騒音が飛び込んでくるようになった。


 廊下側にいたクラスメイトも「これ、どうするのよ」と大声を出している。

 普通に話していては聞こえないと思ったのだろう。

 そろそろ休憩時間が終わり、落語会を再開する時間だ。

 再開後のトップバッターがわたしである。


 凛は「様子を見てくる」と言って廊下に飛び出して行った。

 責任者がいなくなり、残されたメンバーはおろおろと顔を見合わすだけだ。


「そろそろ時間だけど……」とクラスメイトのひとりが指摘する。


 いつの間にかわたしは真夏の手を握っていた。

 教室がどうなっているか分からないが、そんな大変な状況でわたしは覚えた落語をすることができるだろうか。


 ……絶対に無理だ。


 行かなければならないと思いつつも足は一歩も動かない。

 ひよりが戻って来て「落ち着くまで出ない方が良いと思う」と言ってくれた。

 淀野さんも「そうだね」と同意する。

 真夏は「あたしが漣を守るから、落ち着いて」とわたしの肩を抱き締めた。

 その温もりを感じてわたしはほんの少し安心した。

 こちらを複雑な表情で見つめるひよりの視線は気になったけど……。


 しばらくして凛が楽屋に戻ってきた。

 先ほどよりは冷静な顔つきで「日々木さんが来てくれたから大丈夫だと思う」と言ったあと、「全部、私のせいなの」と頭を下げた。

 客寄せのために初瀬さんが出るという話を広めた結果この事態を引き起こしたらしい。

 騒ぎになるから彼女が出るかどうかも含めて秘密にすると前もって決めていたのに、決めた本人が破ってしまった。


 どう反応して良いか分からないという空気の中、日々木さんが楽屋に顔を出した。

 彼女は「これから整理券を配ってもらうから、昼の部の開始は待ってね」と言ったあと、わたしの方へ近づいてきた。


「網代さん、可愛い!」と笑顔で褒めてから一転して「落語を楽しみにしていた人もこの状況だとほかへ行ったと思うの。整理券を配り終わったらガラガラになっちゃうかもしれない」と日々木さんは謝るように手を合わせた。


「気にしないで。日々木さんが謝ることじゃないから」とわたしが応じると、「そこでね、整理券を配り終わった風紀委員や手伝いの人にしばらく休憩してもらおうかなって。みんなが残って聞いてくれるとは限らないけど、飯島さんなら」と再び笑顔を見せる。


 わたしとキッカの仲が良いことはクラスメイトの日々木さんなら知っていて当たり前だろう。

 だが、真夏のことは彼女は知らない。

 わたしは先ほどの混乱とは違った意味で焦りを感じる。

 キッカと真夏を会わせずに済みそうだと安心していたからかえってこの善意の申し出にうまく反応できなかった。


「う、うん。気を遣ってくれてありがとう」というわたしの声は裏返り、日々木さんは不思議そうな顔をした。


 しかし、わたしは隣りにいる真夏に意識が集中していた。

 彼女はキッカに会えることを喜んでいるようだ。

 わたしが想いを寄せる親友と、わたしに愛を告白した親友。

 どちらを選ぶべきか、夏から悩み続けてきた問題に決着をつけなければならない。


 ……逃げ出したいよぉ~!




††††† 登場人物紹介 †††††


網代あじろれん・・・臨玲高校1年生。手紙を書くことが趣味の地味な女子高生だと本人は自覚している。


田辺真夏・・・浜松にある私立高校の1年生。漣とは中学時代の同級生であり親友。夏休みに漣が浜松に帰った時、彼女に告白した。


岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。漣の友人。いろはと付き合っている。


淀野いろは・・・臨玲高校1年生。中学生の頃から同時に複数の女性と付き合ってきたが、ひよりから自分以外と付き合わないようにみんなの前で宣言された。


飯島輝久香きくか・・・臨玲高校1年生。愛称はキッカ。リーダーシップがあり、責任感も強い。


六反ろくたん千尋・・・臨玲高校1年生。漣やキッカとともに合同イベントの実行委員を務めている。


西口凛・・・臨玲高校1年生。クラス委員であり、この落語会の中心メンバー。臨玲祭で盛り上がる様子を見てこの高校へ進学しようと望むようになった過去がある。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。


 * * *


 出番を待つ間、ひよりと日々木さんがしばらく小声で話し合っていた。

 気になってはいたが、わたしはそれどころではなかった。

 これから演じる落語のことよりも、キッカと真夏のことが頭の中を占めていた。


 お囃子の音とともに高座に上がる。

 真ん前の席に真夏が座っていた。

 目と目が合う。

 励まされているように感じたが、どうしても視線を外してキッカの姿を探してしまう。

 少し後方に千尋と並んでキッカがいた。

 その顔を見てようやくこれから落語をする覚悟が湧いた。


 稽古と称してキッカには長時間つき合ってもらった。

 いろいろアドバイスももらった。

 小心者のわたしがこうして人前で話せるのも彼女がいたお蔭だ。


 落語をやり終え、楽屋に戻ろうとベランダに出るとそこにキッカがいた。

 話し始めると観客席を気にする余裕がなくなっていたようだ。

 彼女は「良い出来だったよ」と言ってくれた。

 わたしが真夏を紹介しようと呼び止めると、「日々木さんから漣の落語が終わったらすぐに講堂に向かうように言われたんだ。初瀬さんの舞台の準備があるって。人使いが荒いね」とキッカは苦笑する。

 わたしは手を振ってキッカを見送る。

 入れ違いに真夏がひよりたちと一緒にやって来た。

 真夏はキッカと言葉を交わすことなくわたしに駆け寄ると、「最高だったよ」とギュッと抱きついて来た。

 命拾いをしたわたしはホッと息を吐く。

 一方、真夏の背後ではひよりがこれ見よがしに溜息を吐いていた。

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