第357話 令和4年3月28日(月)「誕生日」日々木華菜

 春休みは始まったばかりだが、ヒナは明日から生徒会の活動や合同イベントの準備で学校に通うらしい。

 可恋ちゃんも治療や検査のために週に何度か通院するそうだ。

 だから、今日のヒナの誕生日は盛大にお祝いするよりも静かにふたりで過ごすことを望んでいる。

 ふたりにとってそれはどんなプレゼントよりも貴重なものだと言えるかもしれない。


 しかし、祖父が北関東から来訪した。

 コロナ禍になる前は祖父の家でヒナの誕生日を祝うのが恒例行事だった。

 また、コロナ禍になってからは帰省する機会も減っていたので祖父の気持ちが分からないではない。

 ヒナは”じぃじ””じぃじ”と呼んで懐くお祖父ちゃん子だったし、祖父もヒナを目の中に入れても痛くないくらい可愛がっていた。


 現在のヒナがあるのも祖父の影響が大きい。

 祖父はヒナにたくさんの服を買い与えていたが、単なる着せ替え人形にするのではなく小さな頃より自分でどんな服が良いか考えさせていた。

 祖父自身その年齢の男性としては珍しく自分自身で服装に気を配っていた。

 貧しい家で育ち、若い時から周囲に侮られないよう身だしなみには人一倍気をつけていたらしい。

 それに彼はロシア人の血を引く美丈夫だった。

 当時の写真を見せてもらったことがある。

 周りの若者たちの中でひとりだけ別の世界から来たかと思うような格好良さで、俳優としてもやっていけたんじゃないか。

 いまもその面影は残っている。

 他方、厳しい一面も持ち合わせ孫の中でも近寄りたがらない者は少なくなかった。


 結局、誰も面と向かって会いに行くなとは言えず、わたしが付き従う形で可恋ちゃんのマンションに赴いた訳だ。

 可恋ちゃんにとっても祖父はビジネスパートナーということで無碍にはできないようだ。

 本日の主役であるヒナは赤褐色の長髪を丁寧に編み込み、歳相応の――つまりヒナにとっては少し背伸びしたかのように見える純白のドレスを着て出迎えた。

 桜色のブローチが春を感じさせ、華やいだ雰囲気を醸し出している。

 可恋ちゃんはまだ健康そうだとは言い難いが、退院したばかりの時よりは顔色が良いように見えた。


「おめでとう、ヒナ。可恋君もすぐに誕生日じゃな。退院祝いも兼ねてプレゼントを持ってきたぞ」


「ありがとう!」「ありがとうございます」


 ふたりは丁寧に頭を下げてお礼を言う。

 祖父からはわたしもプレゼントをいただいた。

 高校卒業と大学進学を祝ってのものだ。

 大人が持つような財布やキーケースだったが、ヒナに贈られたものもブランドものの手帳や名刺入れといった実用性を重視したものだった。

 一方、可恋ちゃんにはアンティークの懐中時計がプレゼントされた。

 わたしでは高価なものかどうか判別できないが、お小遣い程度で買えるものとは思えない。


「素敵だねぇ」とヒナが自分がもらったかのように喜んで覗き込み、可恋ちゃんも「大事にします」と手に持ってその重みを確かめている。


 わたしがキッチンで食事の準備をしている間、3人はダイニングで仕事の話を始めた。

 既にほぼ完成しているので温め直したり最後のひと手間を加えたりする程度だ。

 そんな作業をしていると会話が耳に飛び込んでくる。

 学生のわたしにとっては信じられないような金額について語られ、物理的な距離はそんなに離れていないのに心理的には彼女たちが遥か遠くに行ってしまったように感じられた。


「可恋から5億円の融資って突然言われてびっくりしたんだよ」


「心配せんでも大丈夫だ。可恋君とワシで折半しているから返せなくても問題はない」


「将来的にはうちの傘下に入ってもらうことになるよ。ひぃなには経営よりもデザイナーとしての本業に集中してもらいたいしね」


「とはいえある程度は知っておかんとな。特に人を使うようになれば責任は重くなる。経営者は社員の人生を背負っているのだから」


「頑張るね!」とふたりの話を聞いてヒナが気合を入れている。


 16歳になったばかりなのにわたしよりずっと大人だ。

 わたしが高1の頃、自分の将来なんて薄ぼんやりとしか見えていなかった。

 料理が好きというだけで、それが仕事に繋げていけるのかどうか分からなかった。

 いまでも自分の選択が正しかったのかと不安になることはある。

 管理栄養士の資格を取ることを目標に大学進学を決めたが、調理師として経験を積んだ方が良かったのではないかという思いは心の片隅に残っている。

 それに比べ、ヒナや可恋ちゃんは迷いなく真っ直ぐ自分の道を進んでいるように見えて羨ましい。


 わたしは頭を振って気持ちを切り換えると、「そろそろできるよ」と3人に声を掛ける。

 ヒナが「手伝うね」とキッチンにやって来たので配膳をお願いする。


「今日のメインディッシュはボルシチにしたの」


 ボルシチはロシア料理としてよく知られているが元はウクライナの伝統料理だ。

 陽稲が初瀬紫苑さんと契約したお金の一部がウクライナ支援として寄付されると聞いて作ってみようと思った。

 今日の誕生日会の様子は所属事務所のインスタにアップされるそうだ。

 下拵えをしたビーツや野菜、肉などを煮込んだスープであり、これなら食欲不振の可恋ちゃんにも食べてもらえるだろう。

 ヒナはたっぷりのサワークリームを綺麗に盛り付け、それをスマホで撮影する。


 それぞれが思いを込めて手を合わせ、「いただきます」と唱和する。

 食事中の話題はどうしても戦争のことになってしまう。

 わたしはただただ戦争が早く終わって欲しいと願うばかりだが、祖父と可恋ちゃんは国際情勢について語り合っていた。


「日本も戦争に巻き込まれたりするのかな?」


 受験が終わりここ最近は家にいる時間が長い。

 どうしてもテレビで戦争の映像を見ることが多くなる。

 あんなことが自分の身に起きたらという恐怖は拭えず、ついふたりに尋ねてしまった。

 可恋ちゃんは「可能性は非常に低いですがゼロではないですね」と平然と答える。

 わたしがますます不安を募らせると、「怖がらせてしまったらすいません。どんなことだって絶対に起きないとは言えないのでこんな回答になってしまいました」と彼女は言葉を続けた。


「戦争に限らず天変地異や事件事故など危険はどこにでもあります。そのすべてを確実に回避するという方法はないので、備えをしっかり行って生きていくしかないんじゃないでしょうか」


 隕石が落ちてきてそれに当たって死ぬ可能性もゼロではないが、それより交通事故に遭う確率の方が高い。

 だから隕石への備えより交通事故への備えの方が大切だ。

 とはいえそれを恐れて家に引き籠もっているというのが正解でないことはわたしにも分かる。


「コロナもそうですが、警戒は忘れず、備えを怠らず、一方でそれだけに囚われずに生活を楽しむことも大切です。みんな心の中には様々な不安を抱えていると思います。内なる不安を認め、他人の不安も理解して、支え合う関係が築けることが理想ですね」


 可恋ちゃんはそう言ってヒナに視線を移す。

 彼女にとってわたしの妹がもっとも理解し合える関係なのだろう。

 わたしの脳裏にも友の顔が浮かぶ。

 忙しそうにしていたので最近あまり会っていなかったが、顔が見たくなった。

 帰ったら連絡を入れようと心の中で呟く。


「うちの地下にはシェルターがあるからな。何かあったら避難してくるといい」


 祖父が自慢げにそう語ると、ヒナが目を丸くして驚いている。

 わたしもシェルターのことは知らなかったのでビックリだ。


「他国に侵略されたらそこを拠点にレジスタンス活動をしましょう」


 可恋ちゃんがニヤリと微笑む。

 彼女が言うと冗談に聞こえないから……。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木華菜・・・この春高校を卒業し地元の大学に進学することが決まった。子どもの頃から料理が好きで、それを生かして管理栄養士を目指している。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ファッションデザイナーとして高校の新しい制服をデザインした。さらにクラスメイトで人気女優である初瀬紫苑と大型契約を発表した。今日16歳の誕生日を迎えた。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。先日退院したもののまだ体調は万全ではない。それでも本が読めないほど集中力を保てない状況からは脱したので、周囲から見られるほど酷い体調だとは考えていない。

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