第356話 令和4年3月27日(日)「私の価値」初瀬紫苑

 私は雪の女王のように冷たい眼で少女を見下ろす。

 そして、氷の刃のごとき言葉を放った。


「いい? 一度でも初瀬紫苑に相応しくない服を持って来たらその瞬間にこの契約はお終いよ」


 凍りつくように殺伐とした空気を前にしても少女は一歩も引かない。

 整った顔立ちでこちらを見上げ、私の威圧をものともしない声音で言葉を返した。


「これは可恋の計画よ。もし紫苑が不祥事を起こして台無しにしたら絶対に許さないからね」


 互いの視線がぶつかり火花が飛び散る。

 バチバチと幻聴が聞こえるほどだ。

 そこに「私は部屋に戻るから」と緊張感のない声が投げ掛けられた。

 声の主である可恋は軽く手を上げると、サッと身体の向きを変える。

 そのまま振り返ることなく自分の部屋へと去って行く。

 彼女の後ろ姿を見送ってから私は一度息を吐いた。


 事務所の社長からスポンサー契約の話を聞いたのはつい先日のことだ。

 ファッションブランドとの専属契約。

 世間的にはまったく無名の契約相手だ。


 私の影響力からすれば金額は納得できるものだった。

 だが、私は猛烈に反対した。


「服装は自己表現の最たるものよ。それを制約されるなんて嫌よ。それに陽稲のセンスは認めるけど、私と釣り合う相手ではないでしょ」


「未知の相手だからこそ話題性があるんじゃない? これが有名なブランドだったら断っていたよ」と社長は楽しそな目つきで私を見つめる。


 確かに既存の有名ブランドの名前に頼るのは”初瀬紫苑”らしくはない。

 陽稲のキャラクター性を含めて話題には事欠かないだろう。


「私は女優なの。それ以外で稼ごうとは思わない。事務所的には美味しい話でしょうけどね」


 馬鹿にするように鼻息を荒くしても社長の表情に変化はない。

 彼女は「それは残念だなあ」と大げさに肩をすくめるのみ。

 芝居がかった仕草を見て、私は憤然と立ち上がる。

 社長は若い頃に女優を目指していたと聞いたことがある。

 いまや芸能事務所の社長として絶大な権力を持っているが、演技力は私の足下にも及ばない。

 その差を見せつけるように私は彼女に背中を向ける。


 社長室から出る寸前に「ああ、そうだ。日野嬢から伝言があったんだ」と声が掛かった。

 私はドアノブを掴んだまま動きを止めて言葉の続きを待った。


「『2年の契約が果たされたらハリウッドへの道筋をつける』だって。断ってくれて助かったよ」


 私はゆっくりと振り返った。

 社長は笑いを噛み殺している。

 隠そうともしないその態度にはらわたが煮えくり返ったが、私は感情を表に出さず「契約する」とだけ答えた。


 ハリウッド進出は私の夢だ。

 そのためには可恋の力が必要だと思っている。

 日本では人気を誇っていてもいますぐにアメリカで通用しないことくらいは自分でも理解しているからだ。

 この食えない社長と可恋との間で何らかの計画が練られているだろう。

 夢を叶えるためにはいまはそれに乗るしかない。


 そんな訳で昨日スポンサー契約の記者会見が行われ、今日は採寸のために可恋のマンションにやって来た。

 久しぶりに会った彼女は病み上がりというよりも、いますぐ病院に行けと言い出したくなる外見をしていた。

 これでかなり体調が回復したと言われてもにわかには信じられないほどだ。

 社長から預かっていた退院祝いの花束を渡したあと、陽稲との冒頭のやり取りに至った。


 可恋が自分の部屋に戻ると、リビングに残されたのは4人。

 私とマネージャー、陽稲と”工房”のチーフという女性だ。


「四季です。お見知りおきを」とアラサーくらいの年齢の女性が名刺を差し出した。


 そこには小さく『四季』とだけ書かれていて肩書きも連絡先も記されていない。

 裏も模様が描かれているだけだった。

 きっちり真ん中で分けられた髪が几帳面な性格を表しているように見えたが、名刺はその先入観を裏切った。


「まだできたばかりなんだって」と陽稲がフォローを入れる。


 できたばかりなのは工房なのか名刺なのかは分からなかった。

 しかし、それ以上の追及はせずに今日の仕事へと気持ちを切り換える。


 広いリビングには撮影機材のようなものが置いてある。

 3Dのボディスキャナーだ。

 四季という女性は手慣れた感じで準備を始める。

 陽稲は好奇心に満ち溢れた瞳でこれから始まる採寸の準備を眺めていた。


「デザインはもうできているの?」と手持ち無沙汰の私が陽稲に尋ねると「この1年でかなりね」と床に積まれたスケッチブックを指差した。


 彼女は相手に合った服を作る方が得意だという。

 誰もが同じデザインの服を着ることになる制服作りはその点でとても苦心したそうだ。

 暇な時には友人をイメージして服のデザインを行っているらしく、可恋のものは私の10倍の量を軽く越えるそうだ。


「今回はこれを作る予定なの」と3枚の異なるデザインを見せてくれた。


 粗を探すつもりで1枚1枚じっくりと凝視したが、私が思い描く”初瀬紫苑”らしさはしっかりと表現されているようだった。

 私は無表情を装って「実際に着てみないと評価はできないね」とだけ答えておく。


「これがどんな服になるか楽しみだね!」と心底楽しそうに陽稲は語る。


 ファッションのことが好きでたまらないことが伝わってくる。

 そのキラキラした瞳を見て、自分だけが意地を張っているようでバカバカしくなった。


 採寸が終わり今後の打ち合わせを済ませる。

 帰る段になって可恋を呼ぼうと思ったらタイミング良く向こうから出て来た。


「ちょうど良かった。これ、私から、快気祝い。誕生日プレゼントも兼ねて」


 マネージャーから包装された小箱をふたつ受け取り、黄色いリボンのついた方を可恋に手渡す。

 可恋は驚いた顔を見せることなく、「ありがとう」と感謝の言葉とともに受け取った。


「ついでに、これは陽稲の分」と赤いリボンの小箱を渡す。


 明日が誕生日の陽稲は「わあ、ありがとう!」と満面の笑みを見せた。

 プレゼントを大切そうに幼い手で包み込み、「大切にするね」と声を弾ませた。


 私にとって贈り物はいつももらう側だ。

 こんな風に誰かにちゃんとプレゼントを渡したことなんていつ以来か覚えていないほどだ。

 そのせいか陽稲のダイレクトな反応に照れくさくなってしまう。

 それを顔に出さないようにするのは意外と大変だった。

 マネージャーの生暖かく見守るような視線を咳払いでやり過ごすと、私は「帰る!」と宣言する。


 ……”初瀬紫苑”は誰の前であっても弱さを見せてはいけないのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。国内で知名度抜群の映画女優。間もなく動画配信サービスで新しい主演作品が公開される予定。子役時代は無名だったが現在の芸能事務所に移ってからブレイクした。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ファッションデザイナー。起業した会社を通じて紫苑と1年5億円の専属契約を行った。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。その年齢からは信じられないほど実務能力に長けている。


四季・・・桜庭から声を掛けられ縫製工房のチーフに就任した。この工房には可恋も出資している。


プレゼント・・・金細工の施されたスマホケースで、可恋には”虎”、陽稲には”鶴”、紫苑には”龍”の意匠が描かれている。

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