第16話 令和3年4月21日(水)「秘密の会談」芳場美優希

 お父様の事務所の応接室はかなり簡素な作りになっている。

 私は部屋の奥、上座の席に座って人を待っていた。


 昨夜のことだ。

 生徒会副会長の真澄が私の家を訪れた。

 私が呼びつけることはあっても、アポイントもなしにやって来たことはこれまでなかった。

 彼女はやつれた顔で私に今日の面会を懇願した。

 いつもであれば、話にならないと断っていただろう。

 だが、私は首を縦に振った。

 気は進まなかった。

 それでも引き受けた理由は、真澄の真剣な頼みを無碍にできなかったということにしておこう。


 約束の時間の数分前、ドアが開いた。

 目に飛び込んだのはうちの秘書に混じってもおかしくないほど落ち着いた感じの大人の女性だった。

 スーツひとつとっても着慣れた感じがある。

 校内で見掛けた時とはまるで別人のようだ。


 彼女に続いてもうひとり入室してくる。

 入る時に身をかがめるほどの長身。

 場違いなほどラフな服装。

 それ以上に黒い肌と鍛えられた筋肉が目立つ女性だ。

 何者かは知らないが、お父様のSPでも苦戦しそうな人だった。


 ふたりは無言のまま私の目の前の安っぽいソファに腰を下ろす。

 私は顔をしかめて「随分と、無礼なのね」と罵った。


「礼節が必要かどうかは、これから判断します」


 スーツの女が平然と言い放つ。

 私は激昂して立ち上がった。


「後輩の分際で……。恥を知りなさい!」


 この会談の場を持ったことを早くも後悔する。

 真澄は話をする価値はあると言っていたが、もういい。

 時間の無駄だ。


 私がドアに向かおうとした瞬間、黒人女性が立ち上がった。

 そこに巨体があるというだけで強烈な恐怖がかき立てられる。

 その横をすり抜けなければ部屋を出られない。


「大声を出せば、みんなが助けに来るわ」


 私は悲鳴に近い声を上げた。

 だが、座ったままの女は「皆さんにも高階たかしな円穂かずほの所業を聞いていただきましょうか?」と余裕の表情で語った。

 足を止めた私は、彼女――臨玲高校1年生の日野――を睨みつける。


 日野は明後日行われる生徒会長選挙の立候補者だ。

 入学式では生徒会を叩き潰すと宣言した。

 その上、私に恥をかかせた女だ。

 彼女が円穂によって酷い目に遭ったとしても私の良心が痛むことはないだろう。


 息の根を止めたいと念じながら睨み続けていたが、相手は何のダメージも受けていない。

 仕方なく私は席に戻る。


「高階円穂が繋がっているのは”虎”と称する少人数の集団です。主に違法薬物の売買で利益を上げているようです」


 私が席に着くとすぐに日野は説明を始めた。

 円穂が反社会的勢力と繋がっていることは本人が何度も口にしていた。

 最初は箔付けくらいに思っていたが、次第にそれが事実だと分かった。

 とはいえ、詳しい事情までは聞いたことがない。

 彼女は生徒会を支える重要人物だが、臨玲では異質な生徒だ。

 お嬢様学校と呼ぶのに相応しくない生徒は少なくないが、その中でも円穂は飛び抜けて相応しくなかった。

 そんな彼女だが、頭が切れ、行動力があり、役に立った。

 生徒会長の私ですら制御不能な面はあったが、困り事は彼女に任せておけばどうにかしてくれたのだ。


「彼らの手口はこうです」と説明が始まる。


 日野によると、円穂が臨玲の適当な生徒を見繕う。

 その女子生徒を誘い出して1対1の状況を作り出し、”虎”のメンバーが口説き落とす。

 手練手管のイケメンにかかれば世間ずれしていない臨玲の生徒を落とすことは赤子の手を捻るようなものだという。

 落ちない生徒に対しては暴力や薬物が用いられたと日野は表情を変えることなく語った。


 そして、脅迫も交えながら自分たちの命令に従わせる。

 まず、大学生や20代の男性と接触させる。

 彼らに違法薬物を体験させ、そこからさらに周辺へと薬物を広げていく。

 比較的高学歴高収入の若者が”虎”のターゲットだったようだ。

 警察の監視の目も届きにくく、たとえ発覚しても背後にいる”虎”までたどり着けない。

 そういう状況が続いていたと日野は話した。


「ほかにも”駒”となった女子生徒は利用されていました。暴力団や半グレ集団といったこの地域の反社会的勢力への貢ぎ物として。このような生徒の多くは心を壊し退学を選ばざるを得なかったようです」


 日野が語ったことが真実かどうかは分からない。

 一方的な糾弾だ。

 私はこれまで円穂の行動を黙認してきた。

 学校の外で何が行われているかまで想像していなかったから……。


「”虎”は慎重でした。拠点も、構成人員もなかなかつかめなかったのですが、先日壊滅しました」


 思わず「えっ」と声を上げる。

 あまりにあっさりと語ったので聞き間違いかと思ったほどだ。

 日野は隣りにいる黒人女性に視線を送り、「高階が案内してくれました。油断してくれたお蔭です」と微笑みを浮かべた。

 ふたりで襲撃したような話し振りに、「何があったの?」と問い掛ける。


「詳細は話せませんが、”虎”を無力化しました。まだ十分に解明ができた訳ではありませんが、”駒”となっていた生徒はこれ以上苦しまずに済むと思います。しかし……」


 日野は表情を引き締め、「高階の関与の証拠は発見できませんでした」と告げた。

 私は驚いて「円穂は逮捕されないの?」と尋ねる。


「ええ。おそらく高階は自分も利用されていたという主張をするでしょう。それを覆す証拠や証言がいまのところありません。”虎”の構成員は弱みを握られているのか彼女を庇っているようですね」


 私は円穂の顔を思い浮かべてありそうな話だと納得する。

 日野は目を細めてこちらをじっと見つめた。


「繋がっていたということは確かなので退学処分自体は可能です。しかし、単に退学させただけでは脅威は去りません。おそらく復讐を目指すでしょうから。つき合いの長い芳場会長はいかがお考えですか?」


 これは間違いがない。

 円穂がすんなりと退学を受け入れるとは考えられない。

 それに加担した者すべてを許さないだろう。

 そのためならなんだってする。

 当然日野がメインターゲットだろうが、それだけで済むとは思わない。

 最近の円穂の狂っているかのような態度を見ていると私にまで累が及ぶ気がしてしまう。


「もうひとつ犯罪に該当する件があるのですが」と切り出した日野は「生徒会予算の流用です」と続けた。


「私が生徒会長になれば証拠は見つけ出せると思うのですが、理事長が強く反対しています。表沙汰になれば校名に傷がつきますし、生徒会長の名前もメディアに取り上げられるでしょうし……」


「脅しのつもり?」


「ほかに手がなければ理事長の反対を押し切ってでもそうするかもしれないという話です」と日野は弁解するが、私の言葉は否定しなかった。


「ほかの手って?」


 ここからが本題だろう。

 私に何かさせたいから、わざわざここまでやって来たはずだ。


「高階円穂の追放に協力してください」


「私に仲間を売れと言うの?」


「彼女を仲間と見なすのであれば、あなたも一緒に退場していただきます。支持率低迷で苦労しているお父様には手痛いスキャンダルとなるでしょうね」


 私は唇を噛み締めた。

 そんなことになれば、私はお母様に殺される。

 少なくとも家を叩き出されるだけでは済まないだろう。


 あまり興味のない話だが、お母様は私に婿を取らせてお父様の跡継ぎにしようと考えている。

 私は三人姉妹の末娘だが、上ふたりはお母様の実子ではない。

 ことあるごとに姉と比較されうんざりする毎日だ。

 お母様はお父様の後方支援として地元で辣腕を振るっている。

 この事務所内でお母様に意見を言える人は皆無だ。

 その効果は私にも及び、多少の我が儘や無理は聞いてもらえる。

 多少の不満はあっても、いまの立場を失う訳にはいかなかった。


「向こうはあなたのことを仲間だと思っているでしょうか?」


 日野が最後の一押しをした。

 最近の円穂は荒れていて、私にすら威圧した視線を向ける。

 心のオアシスだった生徒会室がギスギスした場所になってしまった。

 選挙が終わるまでの我慢だと自分に言い聞かせていたが……。


「本当に大丈夫なの?」


「私は彼女を許さないと決めましたから」


 理由にはなっていない言葉なのに、これまでほとんど感情を見せなかった日野が気持ちを込めただけで心に響いた。

 途方もなく重い決意。

 そんな凄みが伝わってくる。


「そう。……それなら、仕方ないわね」


 気持ちを切り換える。

 私は上に立つべき人間だ。

 悪行を為した円穂を切り捨てる潮時だろう。

 それに生徒会室の主はふたりもいらない。


「ただし、条件があるわ。貴女が生徒会長に当選したとしても私を敬いなさい。まずはその証として新館への入場を認めること」




††††† 登場人物紹介 †††††


芳場美優希・・・臨玲高校3年生。生徒会長。父親は現職の総理大臣であり、神奈川選出の衆議院議員。母親は後妻である。


岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。23日に行われる生徒会長選挙に立候補している。


高階たかしな円穂かずほ・・・臨玲高校3年生。生徒会・クラブ連盟長。クラブ予算の流用やOG等からの寄付金の着服などがあるとされるが、生徒会自治の名の下に追及の手が及んでいない。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。理事長から生徒会改革を託されて入学した。幼い頃から空手を続けている。


キャシー・フランクリン・・・G8。15歳。インターナショナルスクールに通っている黒人少女。190 cmに近い長身。来日後、空手を学んでいる。

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