第158話 令和3年9月10日(金)「初瀬紫苑らしく」初瀬紫苑

 本館にある視聴覚室は設備が古く、臨玲の名に相応しいとは言えないものだった。

 とはいえ公開もここで行われる予定だ。

 試写を行う場所としては最適と言えるだろう。


「どう?」


 私の問い掛けに可恋はあっさり「良いんじゃない」と答えた。

 8月下旬から撮影を始めた10分余りの短編映画が一応形になった。

 その初めての試写を可恋と陽稲に見てもらった。

 事務所の社長やマネージャーに見せる選択肢もあった。

 だが、忖度のない感想が返ってくるか分からない。

 このふたりなら忌憚ない意見を言ってくれるかと思ったが……。


「私は普段から映画を見ないから」と可恋はこれ以上あれこれ言う気はないようだ。


 一方、陽稲は繊細そうな眉をひそめて黙り込んでいる。

 彼女は主演でもあるので、もう少しマシな感想を期待したいものだ。


「率直に言っていい?」


 しばらく間を置いて考えをまとめてから陽稲が口を開く。

 私は腕を組んだまま「もちろん」と頷いた。


「よくできているとは思うけど、初瀬紫苑の映画って感じがしないよね」


「……」


「紫苑がナレーションをしているから、それだけでファンは喜んでくれるとは思う。ただ誰が撮ったのかっていう特徴みたいなものは感じないな」


 私が睨むような視線を向けても、「自信があればわたしたちだけを呼んで見せたりしないよね」と陽稲は怯むことなくはっきりものを言った。

 私はひとつ息を吐き、「そうね」と肯定する。

 図星だったと言わざるを得ない。

 ナレーションを除けば初瀬紫苑らしさはどこにもないと指摘されたらその通りだ。


「まだ時間はあるのだから、大丈夫だよ」と陽稲はニコリと微笑む。


「簡単に言ってくれるね」と答えながら、私はその励ましに勇気づけられていた。


 ただの高校生の意見なら気にも留めない私がこのふたりの言葉に重みを感じるのは、ふたりがプロフェッショナルだからだ。

 可恋はそこらの大人が束で掛かっても敵わない才能の持ち主であり、実際に会社を経営したり研究を発表したりしている。

 陽稲もこの夏、臨玲の新しい制服に数々のオプションを付加してみせた。

 ファッションデザイナーとしての才能だけで言えば彼女より優れた逸材はたくさんいると思う。

 ただ学校の制服という制約の中で誰が着てもその人の良さを引き立たせるというコンセプトを持って取り組み、それをかなり成功させた点は高く評価している。

 可恋の存在も大きかったとは思う。

 それでもやり遂げたのは彼女自身だ。

 現実は常に制約との戦いである。

 理想を追ってばかりはいられない。

 陽稲はそれに挑み、乗り越えてみせた。

 その才能は眩しいほどに際立っていた。


「帰る」と言って私は視聴覚室を出る。


 廊下を足早に歩きながらマネージャーに連絡を取る。

 頭の中はすでに短編映画をどう編集するかで占められていた。

 そして、私は「初瀬紫苑らしくか……」と独りごちた。


 私は物心ついた頃から劇団に所属していた。

 仕事に忙しい両親が保育所のような感覚で利用していたようだ。

 そこには母の知り合いがいて、彼女は実の母のように私の面倒を見てくれた。

 最初は彼女の期待に応えたくて頑張っていた。

 しかし、子役としての私はちょっと早熟なだけのどこにでもいる存在であり、目立つものではなかった。

 高学年になるにつれて演技力は身についていったが、その頃になると大人が望む通りの演技をすることに反発を覚えるようになった。

 周りに認めて欲しいという気持ちは強く持っていたが、それを表に出すことが死ぬほど嫌だったのだ。


 ある事件をきっかけに、私は本来の自分と”初瀬紫苑”という存在を分けて考えるようになる。

 その直後にいまの芸能事務所に移籍し、映画のオーディションに合格した。

 その映画の監督は”初瀬紫苑”を絶賛し、主役級に大抜擢してくれた。


「有意義な感想を言ってもらえたようですね」


 帰りの車中で運転手を務めるマネージャーが声を掛けてきた。

 彼女には短編映画がとりあえず完成したことは告げていた。

 見せて欲しいとハッキリ言われなかったので今回の試写には招かなかった。

 彼女の見る目は可恋や陽稲よりも遥かに上だが、本当のことを言ってくれるかどうかは分からない。


「難しい宿題を出された気分ね」


 顰めっ面で答えたのに、マネージャーはこちらを見ずに「楽しそうですね」と口にする。

 私はハンドタオルを自分の顔にかぶせて、マンションに到着するまで寝たふりをして過ごした。


「初瀬紫苑らしくか……」


 パソコンモニターの動画編集画面を見つめながら再度私は呟いた。

 演技であれば”初瀬紫苑”らしさを頭に描くことができる。

 だが、自分が撮ったものにどう”初瀬紫苑”らしさを付与すればいいか簡単にはイメージできなかった。


「ただいま」


 横浜の私立中学の制服を見に包んだ女の子が部屋に入ってきた。

 うちの事務所は中高生を対象にアイドルではなく本格派女優に育てるプロジェクトを行っている。

 私がその第1号のようなものだが、ほかはまだ芽を出しているとは言いがたい。

 この彼女も仕事はほとんどなくて演技などの勉強を続けているところだ。


「完成したんじゃないんですか?」


 私を見て彼女はそう言った。

 彼女は掃除洗濯などを私の代わりにやってくれるのでもっとも頻繁にこの部屋に出入りしている。

 残念ながら役者としてはあまり大成できそうにないが、彼女ならマネージャーとして食っていくことはできそうだ。


「”初瀬紫苑”の撮る映画って聞いて、何を期待する?」


 私が挨拶や応答をすっ飛ばしてそう聞くと、彼女は小首を傾げた。

 考え込むかと思ったが、すぐに「格好良さ!」と回答する。

 こんなものだろう。

 演技のことでもそうだが、自分を客観視したり言葉を使って具体的に説明したりする能力に欠ける人は多い。

 逆に言えばそこは私の長所だ。


「映画という形にこだわりすぎていたかもしれない。もっと”初瀬紫苑”らしく、攻める必要があったかな」


 方針が決まれば、すっと腹が据わる。

 ゼロ号と名付けていた動画を削除する。

 一から作り直しになるが構わない。

 自分の中から”私”を追い出し、”初瀬紫苑”に塗りつぶしていく。


 ……”初瀬紫苑”ならどう描く?


 目を閉じ、意識を集中する。

 私が撮ったすべてのシーンを頭の中で再構築していく。

 他人の評価なんていらない。

 ただ見た人に”初瀬紫苑”の映画だと思わせられれば。

 気がつけば彼女の姿はなく、差し入れのサンドイッチが置かれていた。

 私はそれを口の中に入れ作業を続ける。

 時間の感覚すらなく、没頭するままに私は”初瀬紫苑”であり続けた。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。カリスマ的映画女優。生徒会広報を務め、秋に開催される臨玲祭で生徒会として短編映画を撮ることになった。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。勉強したならともかく、詳しく知らないことに批評はしない。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。映画のファッションや美術に興味があり、映画鑑賞は趣味のひとつ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る