第159話 令和3年9月11日(土)「告白」加納紅美
「うちのこと、遊びやったんですか」
講堂の裏手にある倉庫のような演劇部の部室。
あたしが中に入ろうとドアのノブに手を掛けた時、中から真に迫った声が響いた。
「好きって言うてくれましたよね!」
その声の主がミハル先輩だということはすぐに分かった。
だが、普段温厚で優しい先輩がこんな風に声を詰まらせるなんて……。
やがて室内から微かに嗚咽が聞こえてくる。
あたしはノブに触れた手を離すこともできずに立ち尽くしていた。
そっと離れるべきか。
それとも中に入って間を取り持つべきか。
あたしの力ではそれは難しいことだけど、見て見ぬ振りをするのも心苦しいことだ。
迷うあたしはかなりの時間そこで固まっていた気がする。
「ワッ!」
突然背後から背中を叩かれ、あたしは文字通り飛び上がった。
慌てて振り向くとカゲキ先輩がニヤニヤと笑みを浮かべていた。
ビックリして声が出せないでいると、今度は部室のドアが開く。
姿を現したミハル先輩の顔には涙はなく、してやったりという笑顔が貼りついていた。
「成功だよ」とカゲキ先輩が声を掛け、「看板女優としては朝飯前やね」とミハル先輩が笑う。
呆気に取られていたあたしは我に返り、「いったい何なんですか!」と声を張り上げてしまった。
さっきのが演技だったことは分かったが、なぜ騙されたのかが分からない。
そんな戸惑いがあたしの態度に表れていた。
「いやぁ、臨玲祭で舞台の映像を流すだけじゃあ物足りないって話になってね。サプライズの芝居をゲリラ的にやろうかって」とカゲキ先輩が説明する。
「いまの、声だけやなくてちゃんと芝居しててんで。開けて見て欲しかったわ」とミハル先輩は自分の演技がうまくできたことを喜んでいる。
「ひとつ間違えれば大騒ぎになりますよ」
あたしはそう言ったが、間違えなくても大騒ぎになる気がする。
ミハル先輩だったというのもあるが、あたしは心臓が止まるかと思ったのだ。
ただでさえ演劇部の評判は良くないのに、こんなことをしていてはますますひどくなりそうだ。
「成功間違いなしだな」とカゲキ先輩はあたしの忠告を肯定的に捉え、「紅美ちゃんにもしてもらうからね」と言い出した。
「えっ!」と驚くあたしに「1年生は教室で交際宣言する子もいるんやから演劇部も負けてられへんやん」とミハル先輩は妙な対抗心を見せた。
「ほら、やって。ミハルに演技指導してもらうから。初瀬紫苑に負けないものを見せて!」
カゲキ先輩があたしに迫る。
ミハル先輩もその隣りに立ち、目で演技するように追い立てる。
「セ、セリフは?」とあたしがせめて台本が欲しいと助けを求めても、「そこはアドリブで」と演劇部の脚本担当のカゲキ先輩が無茶振りした。
「そやな。うちのことを好きで好きでたまらんって設定で、全身全霊を籠めて愛の告白をしてみせて」とミハル先輩がハードルを上げる。
「む、無理ですよ!」とあたしの悲鳴が谺する。
「こら。何してる」とそこに颯爽と現れたのは部長だった。
部室の前でのことなので部長が通りすがっても全然不思議ではない。
だが、あまり部に顔を出さない割に大事な場面でひょいと登場する印象がある。
あたしは助けられたという気持ちでホッと肩の力を抜いた。
「演技指導です」とミハル先輩は堂々と答え、カゲキ先輩も「臨玲祭に向けての」と悪びれた様子がない。
「そ、それはそうですけど、あんないきなり言われても」とあたしが反論すると、「役者ならいついかなる時も油断しちゃいけないな。舞台じゃどんなハプニングが起こるか分からないし、それに対処するのも役者の腕の見せどころだから」と部長は先輩たちの肩を持った。
演劇部に入って半年も経っていないし、自分が一人前の役者だなんて微塵も思わない。
しかし、そんな言い訳をしてはいなけいと肌で感じる。
部長はいつも真剣に芝居に取り組んでいるし、そのために懸命に走り回っている。
その姿はあたしの憧れだ。
「済みませんでした……」とあたしは頭を下げる。
すると、ミハル先輩が「謝らなくてええよ。これから頑張ればええんやから」とあたしの肩を叩いた。
そして、顔を上げたあたしにカゲキ先輩が「ちょうど部長もいるんだから、ここでやってみせてくれたらいいから」と人の悪い顔で微笑んだ。
「さあ、部長に愛の告白を!」とカゲキ先輩は歌うように節をつけて言う。
あたしは部長の顔を見る。
3年生だけあってとても大人びた顔つきだ。
男役をすることが多く、端正な顔立ちで後輩たちの人気も高い。
その部長がスイッチが入ったようにジッとあたしを見つめた。
あたしと部長の間だけ特別の空気に包まれたようだ。
頭に血がのぼっていくのを感じる。
おそらくあたしの顔面は真っ赤に染まっているだろう。
演技と現実の境目が分からなくなってきた。
うっとりと部長に視線を送り、あたしは身も心も蕩ける感覚を味わう。
「……好きです」
何か言わなきゃという焦りからそれだけを口にする。
もう部長の胸に飛び込みそうだった。
身体に力が入らず、支えがなければ立っていられなかったからだ。
実際によろけると、部長は力強く支えてくれた。
このまますべてを委ねたい。
そんな想いのあたしに部長は言った。
「演技の自覚が足りない」
現実に引き戻されたあたしは更に顔を赤らめる。
雰囲気に流され演技ではなくこの機会を利用して本心を告白していたことに気づかれていた。
ミハル先輩たちにもバレていたようで、ふたりはゲラゲラ笑っている。
告白されることに慣れているのか部長は動揺を見せず、「いまの体験を演技に生かせるように研鑽して欲しい」とあたしに自力で立つよう促す。
手の届かない存在だと分かってはいたが、悔しい気持ちだった。
一世一代の告白だったのに。
少しは感情を揺るがせたかった。
部長は先に部室に入り、続いて入ろうとしたあたしをミハル先輩が呼び止めた。
あたしの肩を抱くと「うちも部長に告白したことあるんやで」と耳元で囁く。
驚いて顔を見たが、その表情からそれが本当のことなのかは読み取れない。
「部長は卒業しても当分は演劇部に関わってくれそうだし、もし本気なら部長に認められる演技力を身につけるのが近道なんじゃないかな。あの人はそれしか頭になさそうだしね」
カゲキ先輩の顔から笑顔は消え、どこか切なそうな口調だった。
あたしはミハル先輩に背中を押されながら部室に入る。
ミハル先輩は演劇部の押しも押されもせぬトップ女優だが、もしかしてそれって……。
振り向いて聞いてみたかったが、彼女の押す力が強くそれは果たせなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
加納
斎藤
細川
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます