第157話 令和3年9月9日(木)「まだ恋を知らない」網代漣
「漣はまだ恋を知らないんだよ」
面と向かってそんなことを言われ、思わずドキリとしてしまう。
目の前の相手は爽やかな笑顔を浮かべてさらに言葉を続けた。
「だから、手取り足取り教えてあげるよ」
「いまのセリフ、ひよりに教えるね」
わたしの発言に淀野さんは思いっきり顔をしかめた。
休み時間の教室。
いつもならキッカやひよりがいるのに、いまは先生に呼ばれて席を外している。
普段はあまり絡むことのない淀野さんが退屈なのかわたしに声を掛けてきたのだ。
「淀野さんって、ひよりを怒らせて楽しんでるんじゃないの?」と仕返しのつもりでからかうと、「ハーレムを目指しているって言い続けていたら、いつかひよりも考えを変えるかもしれないじゃない」と彼女は言い訳した。
「ひよりに限ってそんなことはないと思うよ」と応じつつ、「相手を悲しませちゃダメだよね」とわたしは呟く。
「そうよ。浮気はバレちゃダメなのよ」
「いや、浮気自体がダメなんじゃないの?」
「仕方ないじゃない。あの子もこの子も自分のものにしたいって思ってしまうんだから」と淀野さんは悪びれない。
そして、「漣はどうなのよ」とわたしの顔をのぞき込んでくる。
その視線が鋭いように感じて、つい顔を逸らす。
ひよりからどこまでわたしの事情を聞いているか知らないが、この反応を見るとまったく知らないということはなさそうだ。
「わたしとひよりは友だちで、わたしとキッカも友だち。全然問題ないよね。なのに、友だちじゃなくて恋人なら大問題になる。この違いってなんなのかな?」
「違いなんてないよ。女同士でエッチしても子どもができないんだから、何股かけたって問題じゃない」
淀野さんはキッパリ言い切るが、さすがにわたしはそうは考えられない。
しかし、わたしはそれをうまく指摘することができなかった。
「”特別の人”みたいなのがあるんじゃないの?」
「親友だって”特別”なんじゃないの?」
さらりと返されてわたしは何も言えなくなる。
わたしはそれでも違いを説明しようと言葉を捻り出す。
「ひよりもキッカも真夏もわたしにとっては親友なのは間違いないよ。ただ、ひよりに対しては――淀野さんという相手がいるってこともあるけど――”特別”っていうか、自分のものにしたいって気持ちはあんまりない気がするの」
わたしは淀野さんの方を見ずに、中空に視線を向けながら語っていた。
だから、淀野さんがどんな顔をしていたのか見ていなかった。
「真夏は中学の時にずっと一緒にいて、憧れみたいなものも持っていたの。だから、告白されたことはとても嬉しかった。でも、わたしのものだって言われても戸惑いしかない感じがする……」
タイミングよく淀野さんに「キッカは?」と問われ、「キッカは……、3人の中でいちばん”特別”な気はするの。どこがどうって説明するのは難しいんだけど……」とわたしは素直に答える。
すると、淀野さんは「へー、漣って意外と大胆だね。遠距離恋愛をしながら、こっちでもカノジョを作るなんて。あれかな? 港ごとに女を作っていくタイプ?」と訳の分からないことを言い出した。
「何、それ?」
「昔の漁師は停泊する港ごとに女がいたんだって。羨ましいよね」
わたしは「そんなんじゃないよ!」と否定しつつ、「あれ? ひよりから聞いてないの?」と疑問を口にする。
淀野さんは「ひよりは真面目だからね。友だちの悩みをペラペラ喋ったりしないよ」と笑った。
「だけど、知っていそうな雰囲気だったじゃない?」と聞くと、「女子高生の悩みなんて100%恋愛のことでしょ」と彼女は断言した。
それ以外にもありそうだとは思ったが、わたしの場合は図星だったので反論はできない。
代わりに、「お願い。キッカには言わないでね」と頼み込む。
「キッカ以外になら言っていいの?」
「いや、誰にも言わないで」
完全にからかわれているが、いまは耐え忍ぶしかない。
淀野さんは「口封じの代償は身体で払ってもらう……って言いたいところだけど、ひよりにバレたら本当に殺されかねないから許してあげるわ」と茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「ありがとう」
「さっき漣を口説いたことも秘密よ」
これにはわたしも頷くほかなかった。
彼女はそれを見て満足そうな顔になる。
「で、どうやってバレずに二股するかを知りたい訳ね。そうね。女の勘は鋭いから、まずは……」
「いや、そうじゃなくて!」とわたしは彼女の話を止める。
知りたいのはそんなことじゃない。
知りたいのは……いったい何だろう。
「これから、わたしはどうしたらいいんだろう?」
漠然とした問いしか出て来ない。
淀野さんは余裕のある笑みを浮かべて「漣はどうしたいの?」と聞いてくる。
「わたしは……みんなと仲良くしたいだけなのに」
「それをハーレムって言うのよ」
そう指摘した淀野さんは「全員を幸せにできる甲斐性があればハーレムでも良いと思わない?」と問い掛けたあと、「ひとりの相手でさえ幸せにするのは苦労するけどね」と自嘲気味に語った。
わたしは何も言えずに黙り込む。
キッカと真夏の顔が頭に浮かぶ。
わたしにふたりを幸せにできるだろうか。
「あとね。漣は良い子だから誰にも嫌われたくないって思っているだろうけど、それって相手のことよりも自分のことを優先しているってことなのよ」
キッカとひよりが連れ立って教室に戻ってきた。
淀野さんはわたしとの会話などなかったかのような顔でひよりにすり寄っていく。
その淀野さんにつかまったひよりを残し、キッカが先にわたしのところにやって来た。
その顔つきには屈託がなく、いつも通りの自信に満ち溢れている。
「漣、置いてきぼりにされた子犬みたいな顔になってるよ。そんなに寂しかった?」
キッカの笑顔を見て、なぜか涙が溢れた。
そんなわたしにキッカは目を丸くして「おい、どうした?」と慌てている。
気づいたひよりも慌てて近づいてきた。
わたしは腕を目元に押し当て、零れるものを拭う。
ひよりは淀野さんを問い詰めているが、キッカは何も言わずにわたしの肩を抱いてくれた。
その温もりのせいで余計に涙が止まらなくなった気がしたが、それはとても心地よい感覚で、このままずっとそうしていたいと思わせるものだった。
††††† 登場人物紹介 †††††
淀野いろは・・・臨玲高校1年生。中高一貫の私立に通っていたが恋愛トラブルが知れ渡り外部進学を選択した。現在はひよりの尻に敷かれている。
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。母子家庭で育ち貧困一歩手前くらいだったが、母が玉の輿に乗ったことで上流階級のような暮らしとなった。通っていた公立中学では周囲の反応を気にしておとなしい振りをしていたが、実はかなりハッキリものを言う性格。いろはの浮気が発覚してその本性をさらけ出すようになった。
飯島
田辺
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