第156話 令和3年9月8日(水)「社会人たるもの」日々木陽稲

「可恋、体調はどう?」


 ホームルームが終わり純ちゃんと一緒に新館に行くと、最上階の部屋に一目散に向かう。

 最近の可恋は感染対策を名目に一部の実技系の授業を除いてここで過ごしているからだ。

 現在授業が行われている仮設校舎は教室も廊下も広く取られていて生徒からの評判も上々だ。

 空調設備もあるし、このところ暑さとは無縁の日々が続いている。

 それでも換気のため一定時間ごとに窓を開け放すからここに比べると快適さは劣る。


 この新館はわたしたちのマンションをさらにパワーアップしたかのように設備が充実している。

 夏休みに入った頃から体調不良の続く可恋だから本当は家で休んでいて欲しいが、生徒会長や理事の仕事があるのでこうして毎日ここに来ていた。


「普通」と答えた可恋の顔色は悪くはなかった。


 今日は紫苑は仕事でお休み、会長補佐の岡本先輩が部活連盟、最近生徒会室によく来ている真砂さんも合同イベント実行委員会の方に行っている。

 生徒会は開店休業ということで、わたしも別の仕事をこなす。


 自分のパソコンで目を通すのは臨玲の新制服の注文と生産の状況が記されたレポートだ。

 冬服はこれまでの制服が不評だったこともあり、ほぼすべての生徒が注文するだろうと予測していた。

 実際に採寸の予約は埋まっていて、これまで制服を販売していたメーカーの社員が校内の一室を利用して業務を開始している。

 問題は予測の難しかったオプションのアイテム類だ。

 クラスメイトからもいろいろと感想を聞いたが、思った以上に注目を集めていた。

 これらの製作を委託している業者からの連絡も届いており、それらに返信することも日課となっている。


「あー、納期の延長の依頼が来てるなあ……」


 わたしの呟きに、同じようにパソコンのモニターとにらめっこをしていた可恋が「どうするつもり?」と声を掛けてきた。

 現在のわたしと可恋は部下と上司という関係に当たる。

 少し緊張した面持ちで「品質が最優先だから認めるつもりだけど」と答えると、「これもひぃなの得意なコミュニケーションのひとつだからね。しっかり話を聞いて、同じ問題を繰り返さないよう対策をしっかり立てるという前提で認めた方がいい。簡単に許可すると規律に甘い印象を与えるよ」と注意された。


 わたしは神妙な顔で頷く。

 可恋は貫禄があるのであまり問題はないが、わたしは見た目が見た目なのでどうしても社会人相手だと子ども扱いされやすい。

 取り決めた契約を容易に変更できると思われたら双方にとって不幸の原因になる。

 厳しくすべき時は厳しくする。

 そんな覚悟を胸に秘めてわたしは返信のメールをしたためた。


 可恋からは高校生のうちに起業して年商1億円を達成するように言われている。

 わたしひとりの力では無理だが、必ずやり遂げようと決意している。

 すでに起業は済ませた。

 今回の臨玲高校の新制服とその周辺アイテムのデザイン料としてかなりの額の報酬を得た。

 可恋に言わせるとポッと出の新人デザイナーだからデザイン料は相場の最安値だそうだが、これなら年商1億円もすぐに到達するのではないかと思ったほどだ。


 だが、計算してみると制服等の売り上げに比例して増えていくデザイン料は微々たるものなので意外と簡単ではないことが分かった。

 今後もアイテムを増やしていくのでそのデザイン料は発生するが、最初の額に比べるとわずかでしかない。

 青ざめていたわたしを可恋は勉強のためと称して社員にした。

 可恋のプライベートカンパニーとこれまで臨玲の制服を扱っていた企業が合同で出資した新しい臨玲の制服類を扱う会社の社員だ。

 可恋は「社長でもよかったんだけど、いきなりは荷が重いかなって思って」と話していた。

 この会社は販売を取り仕切るほか、各アイテムの製作を各メーカーに依頼し製作状況を確認している。

 アイテムはコートやマフラー、体操服といったものから、鞄や小物類、アクセサリー等非常に幅が広い。

 将来本格的にファッションデザイナーを目指すわたしのために人脈と経験を積ませたいという可恋の思いなのだろう。


 対面と異なりメールでのやり取りは気負いが出てしまう。

 相手の顔を見ればたくさんの情報が得られるが、文面だけだと伝わるものはごくわずかだ。

 それは逆の立場でも同じことなので、過不足がないか可恋に確認してもらう。


「いいんじゃない」


「電話かビデオチャットの方が良くないかな?」


「いや。ひぃなの声や外見だとトラブルの原因になりやすいからね」


「それだと、いつまで経っても――もちろん、これから見違えるように成長するからそんなことにはならないけど――会ったり電話で話したりできないんじゃない?」


「そこは実績を作って、見下されないようにするしかないね」


 可恋でさえ”おんな子ども”だと見られて軽く扱われることは多いらしい。

 睨んだだけで相手の息の根を止めそうな人間によくそんな態度が取れるなと感心するほどだ。

 可恋はそんな人たちに有無を言わせないほどの人脈や信頼を築き上げ、いまや様々な分野に手を出しているようだ。


「自分で運用している資産以外はほとんどすべて桜庭さんと作ったベンチャー企業に対する投資会社に注ぎ込んでいるの。そこではお金も出すけど口も出す。特に自治体や政治家と連携させて経済や地域の活性化を図ろうとしているわ。女子高生という肩書きはそういう時に便利ね。すぐに癒着だなんだと騒ぎ出す人がいるから」


 先日、可恋はわたしにそう語った。

 彼女に言わせると閉塞した日本で新しい試みを成し遂げるには政官財の協力が必要なのだそうだ。

 可恋には母親である陽子先生のネットワークもあり、寄付をする代わりに協力も得ているらしい。

 どこにそんな時間があるのだろうと思うが、いまはインターネット上でほとんどを行うことができると話していた。


「次のテーマはわたしでも貫禄があるように見える服の製作かな」


 かなり切実な気持ちで口にしたのに可恋は吹き出した。

 頬を膨らませて怒って見せたのに、「それは最難関のミッションだね」と笑ったままだ。

 これまでもそういう服装に挑んだことはあるので難しいことは理解している。

 背伸びした感があると微笑ましく見られるだけだし、渋さを追求しても可愛らしさには勝てなかった。

 しかし、これまでは仕方ないかとすぐに諦めていたが、いまは仕事上の必要性に迫られている。

 本気度が違えばやってやれないことはないはずだ。


「これができたらデザイン料を上げてくれる?」と聞くと、可恋は「いいよ」とあっさり頷いた。


 手早く仕事を片づけたわたしはファッションデザインという本業に意識を切り換える。

 理想の自分になるために、どう表現すればいいのか。

 それは幼い頃からわたしの中にある強い想いだ。

 蛹から羽化して美しい蝶になる姿をイメージしながら、わたしは可恋の横に並び貫禄で負けていない自分を思い描いた。


「ひぃな、帰ろう」


 気がつけば夕刻だ。

 わたしの想像力を持ってしても可恋レベルの貫禄は達成不可能そうだ。

 最初から目標が高すぎた。


「臨玲で可恋の次に貫禄がある生徒って誰だろう?」


「紫苑かな。お手本には相応しくないけどね。あとは芳場前会長、岡本先輩、茶道部の吉田部長、演劇部の新田部長あたりだね。パッと浮かぶのは」


 紫苑は女優オーラが凄まじくて真似をするのは困難だ。

 ほかの先輩たちの顔を思い浮かべる。

 前会長はともかく、ほかは地道に積み上げてきたという印象が強い。


「芳場先輩って貫禄だけはあるよね……」


 非難めいた言い方になってしまうが、可恋から聞く前会長の業績は惨憺たるものだ。

 生徒会を私物化して好き放題した上、高階さんの悪行を止めるどころか手を貸していた。

 高階さんの追放に協力するという可恋との裏取引があったからその後不問に付されたが、責任問題に発展しかねなかった。


「虚栄だとしても積み重ねていくと形だけはできるのかもね。私も貫禄を身につけるために精進しよう」


「可恋はもういいから。十分すぎるよ。貫禄がある高校生世界一を競えるから」


「地位が人を作るとも言うしね。焦らなくても、ひぃなもいつかそうなるよ」


 優しい口調でそう言った可恋は「でも、どうしても急ぎたいのなら、ひぃなの会社で人を雇うのもいいかもしれないね」と言葉を続けた。

 わたしはあまり考えたことのなかった提案に驚きを隠せない。


「すぐにとは言わない。身内ならともかく、他人の生活に責任を持つことになるから覚悟ができてからだね。……生活というか、人生か」


 わたしは息を呑む。

 可恋はNPO法人の代表として多くの人を雇用している。

 その大変さを口にすることがなかったから深く考えたことがなかった。

 誰よりも凄い可恋ならどんなことも簡単にやってのけると思っていた。


「ベンチャー企業への投資にしても私の決断ひとつで他人の人生を狂わせてしまうかもしれない。社会に出ればそんな機会はいっぱいあるんだろうね」


 起業はしても社会人という自覚はまったくなかったと言っていい。

 考えてみれば、制服に関する仕事だって様々な人の生活に影響を及ぼしているはずだ。

 わたしは目の前のことしか見えていなかった。

 貫禄とはファッションで身につけるものではなく、そうした視野を身につけていくことで自然とついていくものなのだろう。


 わたしは自分の両頬をパンと叩き、気合を入れる。

 もう学生という身分だけではないのだ。

 これからはファッションデザイナーとしてより多くの人と関わっていきたいと願っているのだから、その人たちのことまで目を届かせる大人になりたい。

 そう、可恋のように。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。幼い頃からファッションデザイナーを目指して勉強してきた。いまでも小学生に間違われるほどだが、日本人離れをした妖精のような外見をしている。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。制服の価格を抑えるためにデザイン料はかなり廉価にした。臨玲の理事でもあり、低下している学園のイメージ向上を担当している。その切り札のひとつが新制服であり、それをデザインした陽稲の知名度アップにも繋がると目論んでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る