第309話 令和4年2月8日(火)「姫」真砂大海

鹿法院ろくほういんの姫から電話があったの。臨玲入学が決まったのでよろしくお願いしますって」


 ゆめは冴えない表情を見せる。

 腰まで届くサラサラした黒髪を書き上げると首筋に右手を当て溜息を漏らした。

 仮設校舎はどこも清潔感があり、新制服を着こなした少女たちが我が物顔で闊歩している。

 その中で彼女の周囲だけは空気が淀んでいるように感じた。

 和服が似合うゆめにはここよりも茶道部の部室が相応しい。


 私は「姫かあ……」と呟く。

 最後に会ったのはいつだろう。

 コロナが流行る前は年に1回か2回は顔を合わせていたと思う。


 鹿法院姫香。

 社交界と呼んでいいか分からないが、上流階級の子女が集まるコミュニティは日本にもいくつかあり、その界隈ではそこそこ知られた人物だ。

 本人以上に父親が有名なのだが。

 鹿法院は九条の分家である。

 山吹様を見ているととてもそうは思えないが、九条家は日本の名だたる大企業の大株主だったりするので国内有数の資産家だ。

 その本家以上の影響力を現在持っているのが鹿法院の家だと言われている。


 彼は軍需産業に食い込み、政治家との太いパイプを生かして財を築いたようだ。

 右翼や闇社会との繋がりもあると言われ、逆らうと翌日には東京湾に浮かぶなんて噂もある。

 また多くの妾を有し、両手の指では足りないほどの子どもを認知しているとも聞いた。

 認知した子を後継者の定まらない名家の養子に押しつけようとしているという話もあり、周囲から顰蹙を買っている。


 姫香は本妻の娘で、同腹の兄がいる。

 社交界では鹿法院の家をその兄が継ぎ、姫香は跡継ぎのいない九条家の養女になるのではないかと囁かれている。

 彼女は確か東京の名門校に小学生の時から通っていたはずだ。

 前に会った時は臨玲に興味を示していなかったが、養女の話が本当なら妥当な判断だろう。


「……部長なんて引き受けるんじゃなかった」


 ゆめのその言葉を聞くのは何回目だろう。

 彼女は1年生ながら臨玲を代表する名門クラブ、茶道部の部長に就任した。

 吉田前部長直々の指名だから断ることはできなかっただろうが、それでも事あるごとに後悔を口にする。


「さっさと部長の座を姫に渡しちゃえば?」と私が適当なことをほざくと、ゆめはキリリとした目をこちらに向けた。


「そんなことをしたら、ゆかり様にどんな目に遭わされるか……」


 茶道部の面倒くさいところは卒業してもOGとして口を挟んでくることだ。

 ゆかり様は卒業後OG会の改革に乗り出すそうだが、部の運営を現役の部員にすべて委ねるという選択肢はない。


「OG改革のラスボスが九条山吹様だから、分家の鹿法院の娘を部長には就かせたくないよね……」


「家の格が違いすぎて、姫を指導するなんて想像もできない。大海ひろみなら……」


 縋るような目で見られても困る。

 ただでさえ茶道部は問題を抱えている。

 本来予定していた2年生の部長候補をゆかり様が切り捨ててしまった。

 生徒会の力量を見誤ってのことだが、そのせいで1年と2年の関係がギクシャクしている。

 部長候補だった亜早子様や薫子様は恨みのような感情は残っていないと話していたが、それでもゆめを積極的に支えるという姿勢は見せていない。


「彼女、『部長って大海さんではなくゆめさんだったんですね』って驚いていたのよ。大海は結構彼女に慕われていたし……」


「私はもう生徒会の人間だから」


「亜早子様や薫子様は掛け持ちしているじゃない」


 ゆめはかなり精神的に追い詰められているようだ。

 周りの目を気にせず、ここまで声を荒らげる姿を見たのは初めてかもしれない。


 友だちだから助けてあげたい気持ちはもちろんある。

 しかし……。


「そのふたりに助けを求めてみてはどう?」


 私の提案にゆめは虚を突かれたような顔になった。

 次期部長候補とされていただけあって実力はあるし、鹿法院には劣るが家柄だって悪くない。


「おふたりとは生徒会の仕事で話すことがあるけど、ゆめに悪意があるという感じじゃなかったから。たぶん、向こうも歩み寄るきっかけを探しているんじゃないかな」


 本来原因を作ったゆかり様がするべきことだと思うが、彼女は前ばかり見て足下が疎かになっているような気がする。

 そこが生徒会長との違いかなと思いながら、「ゆめひとりで悩まずに、ゆかり様にも出て来てもらって茶道部内のモヤモヤは解決しておかないと大変だよ」と助言する。


 しばらく私を見つめたまま黙り込んでいたゆめは覚悟を決めたように頷いた。

 その様子を見て私も覚悟を決める。


「私の一存だけでは決められないけど、姫を生徒会に入れようと思う」


 言ってしまった。

 自らしないでもいい苦労を買って出た形だ。

 能力を買ってもらい、来年度日々木さんが生徒会長に当選した暁には正式に生徒会メンバーになることが内定している。

 いまは日野さんがいないので少し停滞気味だが、あそこはとてもエキサイティングな場所だ。

 それを棒に振りかねない決断かもしれない。


 いまの生徒会にはプロ意識が求められている。

 学生気分でいると相手にされず、仕事も回ってこない。

 おそらくそれは日々木さんの代までだろうが、こんな刺激的な場に加わる以上私も何か背負うものがないと駄目じゃないかと考えていた。

 姫を味方につけることは無理でも、茶道部から切り離しておくことは大きな利益に繋がるはずだ。


 彼女は父親のような暴君タイプではない。

 むしろ父親のことを嫌っていた。

 だが、人の上に立つことを自然に行い、人にかしずかれることを当然と思うような少女だった。

 私が変わったように彼女も変わっているかもしれない。

 それでも私なら彼女の相手ができるだろう。


「本気?」とゆめは目を丸くしている。


「本気も本気。姫を立派なレディに育て上げてみせるよ!」




††††† 登場人物紹介 †††††


真砂まさご大海ひろみ・・・臨玲高校1年生。県内有数の地主一族。茶道部からの誘いを断り、現在は生徒会を手伝っている。


三浦ゆめ・・・臨玲高校1年生。茶道部部長。高級旅館の娘。上流階級はお客様であって自分は違うという意識が強い。


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部前部長。祖母は臨玲の理事を務めている。卒業後はOG会の改革に乗り出す予定。


九条山吹・・・臨玲高校OG会の実質的ナンバーワン。母親が臨玲理事でOG会会長。茶道部OGでもあるが現役部員からは迷惑がられている。


加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。クラブ連盟長も務める。


矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。亜早子の補佐として生徒会の仕事も担当。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。現在入院中。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。次の生徒会長選挙に立候補予定。


鹿法院ろくほういん姫香・・・中学3年生。愛称は姫。小柄なので「子鹿」「バンビ」と称されることもある。

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