第310話 令和4年2月9日(水)「道」湯崎あみ

 始めは、浪人すればつかさと同級生になれるかもしれないくらいに考えていた。

 部活で顔を合わせても学校生活の大半は別の場所で過ごす。

 学校行事も一緒に行えるものは限られている。

 同学年であれば……と夢想することは少なくなかった。


 現実的には高校と大学はまったくの別物らしい。

 そもそも同じ大学に進学できる可能性は低い。

 また彼女目当てに同じ学部、同じ学科に進むというのはどうなんだろうとも思う。

 それでも大学を出たあとは親に決められた相手と結婚し家庭に入って生きるだけなら、それくらいの我がままを通しても良いのではないかという誘惑を完全に絶つことはできないでいた。


 そんなわたしの迷いを打ち消したのは、つかさが真剣にわたしの合格を祈ってくれたこと、そしてお祖母様の「望むのなら自分で道を切り拓きなさい」という言葉だった。

 つかさは自分と付き合うことになって大学に合格できなかったら申し訳ないですともの凄く気を遣ってくれる。

 お正月には湯島天神まで行って合格祈願のお守りをもらって来てくれた。

 電話だと時間を取らせるからといまはLINEでのやり取りだけだが、毎日励ましの言葉を送ってくれる。

 そんな彼女の期待に応えないわけにはいかなくなった。


 お祖母様にはいつも良くしてもらっているが、これまでじっくり話す機会はなかった。

 それが臨玲祭の短編映画製作にあたってお祖母様の学生時代のお話を伺った。

 映画で描かれた戦前の様子についてはお祖母様も噂でしか知らないご様子だったが、昭和の臨玲高校や日本社会の様々な興味深い出来事を聞かせてもらった。

 そして、わたしに対してもいろいろな助言をしてくれた。


「あみは良い子だから心配なの。自分のことよりも周りの人の気持ちや思惑を優先しすぎるもの。もう少し自分の想いに素直に従っても罰は当たらないのよ」


 わたしは唇を噛み締めてそれを聞いていた。

 でもね、お祖母様。わたしは両親に逆らって生きていけるとは思いません。

 そう喉元まで出掛かっていた。

 おそらくほんの少し前ならそれを口にしていただろう。

 だが、わたしは人生で初めて自分が望んだものを手に入れた。

 絶対に叶わないだろうと考えていた願いが叶ったのだ。

 つかさへの愛は心の奥底にずっとしまい込んでおくものだと思っていたのに、彼女はわたしの想いに応えてくれた。


「……わたしに、できるでしょうか?」


 代わって口を衝いて出たのがこの問いだ。

 わたしはこれまで親の言うままに生きてきた。

 友だちのことも進路のことも習い事もすべて。

 親に隠れてこっそり行っているのはBLの趣味くらいだったが、そこでは才能の無さに打ちのめされている。

 湯崎の家の力を借りなければわたしは何もできない小娘に過ぎない。

 つかさはわたしを受け入れてくれたが、社会に出て独りでやっていける自信はない。


「あみはまだ高校生じゃない。中には凄い子もいるでしょうが、みんなまだまだ子どもよ」とお祖母様はニッコリと微笑む。


 お祖母様に言わせると周囲の期待に応えまくっているわたしの兄ですらただの「子ども」だそうだ。

 兄に遠く及ばないわたしが大人になれるのかと不安に思っていると、「大人というのは他人が敷いたレールの上を進むのではなく自分で道を切り拓くのよ」と目を真っ直ぐ見て教えてくれた。

 深く皺が刻み込まれたまなじりは優しく、かつ厳しかった。


 勉強の合間にそんな思い出に浸っていると、突然ドアがノックされた。

 聞いたことがないくらい強く叩く音にわたしは驚く。

 急いで立ち上がりドアに向かう。

 鍵を開け、木製のドアを開くと険しい表情の母が立っていた。


 不吉な予感がして言葉が出て来ない。

 母は「お祖母様が」と言って目を伏せる。


「……えっ!」


 わたしは反射的に母の肩をつかんだ。

 かなり強い力だったはずだが、母は動じずに顔を上げ「今しがた病院から連絡が来ました。息を引き取ったと」と感情の籠もっていない声で告げた。


 力が抜け、母の身体に寄り掛かりながらわたしは床にへたり込む。

 新型コロナウィルスに感染して入院したことは聞いていた。

 しかし、歳も歳だし大事を取ってと言われていたのでそれほど心配はしていなかった。

 今度のコロナは重症化しにくいと言っていたし……。


 信じられない。

 正月にご挨拶に伺った時は元気そうだった。

 たいして話す時間は取れなかったが、「あゆなら大丈夫。やればできる子だから」とわたしの背中を押してくれた。

 それから1ヶ月ほどしか経っていないのに、こんなことになるなんて。


 悲しみではなく混乱がわたしの心を支配していた。

 嘘だと言って欲しくて母の顔を見上げたが、「葬儀の日取りなどを大至急で調整しているところなの。貴女にも出席してもらうから準備をしておきなさい」と首を振った。

 いつものわたしなら「はい」と素直に答えただろう。

 だが、いまは行き場のない感情が心の中に渦巻いていた。


「どうして!」


 それは誰に向けた叫びだったか。

 道を示してくれたのにわたしが一歩を踏み出す前に亡くなったお祖母様に対してなのか。

 祖母の死を悼むより今後のことを考えている母に対してなのか。

 訃報を耳にしながら涙が出て来ない自分自身に対してなのか。


 もう一度、「どうして!」と声を上げると、廊下にふたりの家政婦が姿を現した。

 ひとりが「奥様」と小声で呼び、何かを耳打ちする。


「分かったわ」と答えた母はわたしを見下ろすと息を吐いた。


 溜息を吐かれたと感じたわたしは掴んでいた母の足から手を離す。

 お祖母様だけでなく母にまで見捨てられたような気がして背筋が冷たくなった。


 何も言わずに去って行く母を見つめていたわたしに、「お嬢様」とひとり残った家政婦が声を掛けた。

 答えられないわたしに「お立ちになれますか?」と彼女は手を貸してくれた。


 部屋に入り、力なくベッドに腰掛ける。

 家政婦は「今日はもうお休みになった方が。明日以降忙しくなると聞いておりますので」とわたしに同情するように話す。

 しかし、わたしは「勉強しないと……」と机に視線を向けた。

 彼女は一礼して部屋を出て行こうとする。

 わたしは「ねえ……」とそれを呼び止めた。


「新型コロナウィルスはもうたいしたことないって言っていたんじゃなかったの?」


「世間の雰囲気はそうですが、死亡者の数は前回の第五波を上回っているようです」


 ……そんなの聞いてないよ。


 知っていれば面会はできなくても電話か何かで話をすることができたんじゃないか。

 最後に生きているお祖母様の姿を目に焼き付けておくことができたんじゃないか。

 せめて「ありがとう」の手紙だけでも送れたんじゃないか。


 後悔の念と共に堰を切ったように涙が零れる。

 わたしの嗚咽だけが長く長くこの部屋に鳴り響いた。




††††† 登場人物紹介 †††††


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。元文芸部部長。かなりのお嬢様だが自分に自信が持てずにいる。昨夏の文芸部の合宿でようやくつかさに告白して両想いになった。


新城つかさ・・・臨玲高校2年生。現文芸部部長。家はごく普通の庶民。好奇心旺盛で人見知りをしないタイプ。

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