第102話 令和3年7月16日(金)「たとえいまだけだとしても」湯川湊
「はしたないよ」
「いいじゃんか。減るもんじゃなし」
私の苦言もどこ吹く風と
座布団を並べてワンピース仕様のセーラー服のままゴロンと横になり、あろうことかその頭は私の膝の上にあった。
私は正座を崩して座っているが、人の頭は結構重い。
室内は空調が効いているのでマシだが、今日の暑さだと接しているところがじっとりと汗ばむ感じがする。
暁はセーラー服の裾をはだけているので、長い脚が露わになっている。
膝上まで日に焼けているが、太ももの付け根あたりはかなり白くてコントラストが強烈だ。
男っぽい暁も艶めかしい太ももを見ると女の子だと実感する。
私が溜息をひとつ吐いたところにゆかりが現れた。
見るからに疲れた表情をしている。
どんな時も気を張っている彼女もここでくらい気を緩めないとやっていられないのだろう。
「ほら、暁」と姿勢を正させようとすると、ゆかりが珍しく「膝枕をしてもらったら少しは休めるでしょうか……」と力なく呟いた。
「いいぜ。代わってやろうか」と暁が私の許可なく占有権を譲り渡そうとする。
ゆかりは首を振ると「油断すると寝落ちしてしまいそうなので迷惑を掛けられません」と苦笑してみせた。
暁はようやく上体を起こし、「もうOGなんてほっとけよ」と忠告をする。
今月の茶会に初瀬紫苑を呼べなかったことで茶道部OGから非難が集中している。
OGの方々は簡単にあの1年生を茶会に参加させられると考えているようだが、ゆかりにそんな権力はない。
しかも、OG会が圧力を掛けたせいで茶道部は初瀬さんが所属する生徒会との関係を損ねてしまった。
自分たちで足を引っ張っておいて現役部長だけを責めることに吐き気すら感じる。
「卒業すれば私たちもOGです。あと少しの辛抱ですよ」
「ゆかりは……」と口を開いた私は、言葉を続けるかどうか迷った末に最後まで言い切ることにした。
「ゆかりはOGになって現役の部員たちを苦しめるつもりなの? 自分たちがやられたみたいに」
昔は部内でも上下関係はもっと厳しかったらしい。
さすがに平成令和と時代の変化に従ってそれは緩和されていった。
だが、OGになると上から目線で部の運営に口を出すという状況はあまり変わっていない。
負の連鎖をゆかりひとりで断ち切ることはできないかもしれないが、諦めてきたからこうして続いているのだろう。
「若いOGを中心に改革を求める声は上がっています。私はそういう声をまとめていきたいと願っています。まだ改革を成すには力が足りないと思いますが」
そこまで話したゆかりは「だからこそOGを蔑ろにはできないのです」と言って姿勢を正した。
彼女ほど能力があっても、卒業――大学までは通えるだろうが――後は親の決めた相手と結婚するという未来しか選べない。
社会との関わりは”趣味”程度でしか行えず、臨玲OG会というちっぽけな舞台を主戦場とするしかないのだろう。
「ゆかりなら身体ひとつでどこでもやっていけるぜ」
「ここまで育ててもらった恩がありますから」
これまで何度も繰り返された暁とゆかりの会話を聞いて、私は一刻も早くここから逃げ出したいと切望した。
私は長くヨーロッパで母とふたり暮らしを続けてきたので、母の実家であるいまの家に恩義は感じていない。
だが、この家に、日本にいると自分がしがらみに捕らわれ朽ちていく気がしてしまう。
いまは機をうかがう時だと理解はしていても、ゆかりを見ていると焦りを感じることが増えてきた。
「山吹様も相変わらず?」
私は話題を変えようとゆかりに質問する。
理事長解任を目指す九条山吹様は理事であるゆかりのお祖母様を説得するよう彼女に圧力を掛けているそうだ。
茶道部OGへの対応はほかの部員も手分けして行っているが、この厄介な相手にはゆかりひとりで向き合うしかない。
「かなり勢いづいていますね。校舎の建て替えは続行するという条件を出して来ました。それが本当に守られるかどうかは分かりませんが、お祖母様も思案しておられるようです」
「山吹理事長だけは避けたいぜ」と暁が吐き捨てた。
「後任について折り合いがつけば解任が実現するかもしれません。従って、次が山吹様ということはないでしょう。ただ次の次という可能性は高まりますが……」
「うちらは卒業だけど、2年以下は大変そうだな」
「生徒会長が黙っているとは思えないよ」と私が口を挟む。
一介の生徒なら生徒会長といえど学校の運営に口は出せない。
だが、彼女は高校生の身でありながら臨玲の理事に就任した。
周囲からは理事長の傀儡と見なされているが、あの理事長に御せる人物ではないだろう。
山吹様がどこまで生徒会と敵対するつもりかは分からないが、生徒会長が知名度抜群の初瀬紫苑と手を組めば相当手強いと思う。
「表向きはともかく、裏では頭を下げておいた方が良いんじゃねえの」と面白くなさそうに暁が呟く。
ゆかりに向かって発言した訳ではないが、もちろん彼女宛ての言葉だ。
頭を下げるというのも単純に謝れというだけでなく軍門に降れくらいの意味合いだろう。
ゆかりは難しい顔をして暁を見つめている。
彼女の場合プライドの問題というよりもリスク管理を優先しているはずだ。
青くさい正義や安っぽい理念に突き動かされることはない。
メリットや利益を最大化するのではなく、デメリットやダメージを最小化する方を好む。
だから、最悪の事態――山吹様が勝利した時に彼女に逆らったことが発覚したケース――をもっとも避けようとするに違いない。
「もし山吹様と生徒会が対決することになったら、私は生徒会につく」
「
ゆかりの口から漏れた声は驚きというより納得という感じのものだった。
いや、諦めに近いかもしれない。
「暁もついて来てくれるよね」
「そうだな。その胸に顔をうずめていいのなら」と暁はスケベっぽい顔つきで笑った。
一瞬私は渋面を作るが、肩をすくめ「約束ね」と微笑んだ。
これでゆかりのリスク計算の前提条件が変化した。
私と暁が反旗を翻すことが確定した上で、彼女はどんな判断を下すのか。
「私より日野さんに賭けるのですか」と寂しそうな口調で述べたゆかりは「仕方ありませんね。戦略を練り直しましょう」と嘆息した。
それがどこまで信用できるかは分からない。
私たちとゆかりは大切な友人だが、価値観の根本的なところに大きな溝がある。
そのことは互いに理解している。
私はチャンスが訪れたらすべてを投げ打つ覚悟がある。
友情も約束もすべて。
そんな私の行動がゆかりを窮地に陥れるかもしれない。
私や暁が頼りにならないかもしれないと知っているから彼女は余計慎重になる。
負担を掛けてごめんと心の中で謝りつつ、私は「よし、ゆかりには暁のおっぱいをあげるよ」と明るい声を上げた。
「その言い方、エロい!」とすかさず暁が混ぜっ返す。
ゆかりの表情にわずかながらも笑顔が見られたので、私は少し安心する。
せめていまだけでも女子高生らしい脳天気な時間を過ごせたら。
そんなことを願いながら私は暁とじゃれあった。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯川
榎本
吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母が臨玲の理事を務める。臨玲OG会の有力者には茶道部OGが多く太いパイプを持つが、それは有効活用されるよりも迷惑を被る機会の方が多い。
九条山吹・・・臨玲高校OG。母親は理事のひとりであり、OG会会長。現在のOG会でもっとも力を持っている人物。理事長とは高校時代同級生だった。当時見下していた彼女が理事長に就任したことが気に食わず引きずり下ろそうとしている。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。有名女優。メディアへの露出がかなり制限されている。OG出席の茶道部の茶会に参加を要請されていたが一顧だにしなかった。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。校舎建て替え計画を携えて臨玲理事に就任した。この夏休みから仮校舎建設がスタートする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます