第101話 令和3年7月15日(木)「妄想と現実」湯崎あみ

「つかさ先輩は、恋人宣言、されてみたくないですかぁ」


 間延びした声で1年生部員のみるくちゃんがつかさに質問する。

 夏休み目前でも文芸部はいたって通常運転だ。

 各学年ひとりずつ所属する部員が集まって、本を読んだりお喋りしたりするだけのまったりした部活動が今日も部室で繰り広げられている。

 なお、部員名簿には幽霊部員の名前が多数記載されているが、2学期以降は削除されることになりそうだ。


「メチャクチャ大胆だよね。今年の1年生は凄い子が多いんだね」


 そう語るつかさの、眼鏡の奥の目は興奮気味に輝いていた。

 ここはわたしも恋人宣言をして「先輩、素敵です!」とつかさの期待に応えるべきだろうか。

 拳を握り締め、お腹に力を入れる。


「つかさとは今日から恋人同士だよ。幸せにするからね」


 頭の中では勇ましく愛の告白をするわたしがいた。

 それに対してつかさは「先輩……、好きです」と真っ直ぐわたしの胸に駆け込んでくる。

 わたしはそんなつかさを強く抱き締め、永遠の愛を誓うのだ。

 現実世界では机を挟んでふたりのお喋りを眺めているだけだったりするが……。


「『エッチもしました』って言っちゃうんですから大胆ですよねぇ」


「女の子同士だよね」と問うつかさに「わたしが教えて、あ・げ・る」と名乗りを上げたい気持ちが湧き上がる。


 その時、みるくちゃんがわたしをチラッと見てから「教えてあげましょうか?」と悪戯っぽい目つきでつかさに囁いた。

 わたしは机に手をついて思わず立ち上がる。

 パイプ椅子がその反動で後方に吹き飛び、ガシャンと大きな音を立てた。


「どうしたんですか、先輩」とつかさがわたしに視線を向ける。


「え、あ、いや、別に……」


 しどろもどろになったわたしは椅子を直して腰を下ろす。

 横目にくすくす笑っているみるくちゃんの顔が見えた。


「こういうことは知識と経験が豊富なあみ先輩から教えてもらった方が良いですよねぇ」


 BL好きなので無茶苦茶偏った知識ならごまんとあるが、女の子同士というのは専門外だ。

 いや、妄想の中でなら経験豊富と言えるかもしれないが……。


 つかさがわたしを見ている。

 その目元が赤く染まったような気がする。

 チャンスだ。

 勇気を出せ、わたし。

 いまこそ、ヘタレを返上するのだ。


「つ、つかさ……。わ、わたし……」


「先輩」


 頭に血がのぼりクラクラする。

 つかさの声に含まれる緊張感がわたしにも伝わり、自分の表情筋がガチガチになっていることに気づいた。

 笑みすら作れない。

 息が苦しい。

 マスクをむしり取る。

 口を開き必死に声を出そうとするのに、そのやり方をわたしは忘れてしまった。

 死に物狂いで「わたしは」と絞り出した。

 あとひと息だ。


「つかさが……」と言い掛けて、わたしを凝視する彼女の猫のような目に怖じ気づいてしまった。


 言ってしまって本当に大丈夫なのか。

 わたしは3年生だから彼女より先に卒業してしまうとはいえ、まだかなりの時間が残されている。

 それをつかさ抜きで過ごすことになるのではないか。

 彼女を失いたくない。

 取り返しのつかないことになってしまうのなら、いまのままで……。


 時が止まったような気がした。

 わたしもつかさも身じろぎひとつしない。

 汗が背中を伝って流れたが、それだけが時間の存在を思い出させるものだった。


 もう駄目だ。

 一度は全身に満ち溢れた勇気がいまや欠片も残っていない。

 机に置いた手に力が入らず、立ったままだったら崩れ落ちていたところだろう。

 つかさはただ黙ってわたしを見つめている。

 マスクのせいで、いやマスクがなくても、わたしには彼女の気持ちを正確に読み取る術がない。

 自分勝手な願望をもとに妄想にふけることはできても、彼女の心情を客観的に把握することはできない。

 ……誰か、地の文でつかさが何を考えているのか教えて!

 そんな文芸部的な魂の叫びが心の奥底から聞こえてくる。


 耐え切れなくなって俯いたわたしに、いつの間にかわたしの隣りに来ていたみるくちゃんが「良いんですかぁ、これが高校生活最後の夏休みですよぉ」と耳打ちしてきた。

 胸がドクンと高鳴る。

 受験勉強に追われる夏とはいえ、貴重な貴重な時間だ。

 来年はわたしは卒業してしまうし、つかさは受験生になるのでゆっくり過ごすことなんて絶望的だろう。

 わたしは卒業してもつかさのことを忘れられないが、彼女は卒業したら新しい世界に溶け込んでいくことだろう。

 ラストチャンス。

 なんだかんだ言っても時間はまだまだあるという気持ちがどこかに残っていた。

 昨年は夏休みが短かったので会えなくてもそんなにダメージは大きくなかったけど、今年は……。


 再び顔を上げる。

 つかさは先ほどまでとまったく変わらない姿勢を保っていた。


「新城ちゅかちゃしゃん!」


 噛みまくっているのに、つかさは強張った顔つきでこちらを見つめたままだ。

 わたしはただ勢いだけで言葉を続ける。


「なちゅ休みもいっぱい遊ぼうね!」


 隣りから「何ですか、それ」と堪え切れないといった感じの笑い声が聞こえてきた。

 しかし、わたしが気になるのはつかさの反応だ。

 彼女は目尻を下げると「はい」と微笑んだ。

 それまでの硬さが消え去り、「でも、大丈夫なんですか? 先輩、受験生ですよね?」とわたしを気遣ってくれる。


「わたしは大丈夫。つかさこそ、予備校の夏季講習とか行くんでしょ。無理しないでね」


 もの凄い疲労感とともにやり遂げた感がある。

 現実には何も前に進んではいないのに。

 神様、わたしのヘタレをどうか直してください!

 心の中で祈ってみたが、その声は天まで届いたかどうか……。


 だが、隣りの1年生には届いたのかもしれない。

 彼女はおもむろに「夏休み、合宿に行きましょうよ」とポンと手を叩く。


「もちろん泊まりがけで」と強調するみるくちゃんに、つかさも「いいね」と楽しそうに応じた。


 新たなイベント発生を知らせる効果音が脳内に鳴った。

 わたしはみるくちゃんに満面の笑みを向け、「うちの別荘に行く?」と声を掛ける。

 言葉では伝えられなくても行動でなら……。

 期待と欲望にまみれたテンションになって、文芸部の夏合宿の計画についてわたしは早口で仕切り始めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。最近は秘密の趣味であるBL執筆が捗っている。しかし、バレたら大変なので自宅のPCでこっそり書いているだけ。


新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。後輩ができて最近は読書よりもお喋りの時間が増えている。小説のような純愛をしてみたいというのが彼女の夢。


嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。先月入部したばかりだがすっかり馴染んでいる。恋人宣言をした1年生とは別のクラスだが、噂の広まりは早くそのカップルの情報は子細に至るまで手に入れている。

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