第100話 令和3年7月14日(水)「初瀬紫苑」日野可恋
夏休みが間近となった。
昨年は一斉休校の影響によりかなり短い夏休みとなったが、今年は例年通りに迎えることができそうだ。
臨玲高校は理事長の肝いりで成績強化に乗り出しているので、1学期の試験の結果に応じて補習が行われることになっている。
言い出した張本人は仕事どころではなさそうだが、北条さんを始めとする現場の人間が尽力して準備を調えた。
「羨ましいねぇ」と、ここにもうっとりした表情で昨日から恋愛について語り続けている御仁がいる。
太陽に当たったことがないと思わせるほど白く透き通った肌。
そのきめ細かさは神様の思し召しと思いたくなるほどだ。
クセのある腰まで届く髪は光の加減で真紅や金色に輝いて見える。
その一部を編み込みにすることで高貴さが増している。
それは私が毎朝賜っている大切な務めだった。
「なんなら全校生徒の前で宣言しようか?」と私が笑って声を掛けると、ひぃなは一瞬嬉しそうな表情をした。
それから真面目な顔つきになって「生徒会長の職権濫用は良くないと思うの」と私を窘めた。
どうやら二番煎じはお気に召さないらしい。
昨日教室の中で恋人宣言が行われ、ちょっとした騒ぎになった。
その勇気を称える者もいれば、不謹慎だと非難する者もいる。
頑張ってねという好意的な意見が多かったが、感化されて自分もやってみようと思う生徒が出て来る可能性もある。
生徒会として野暮なことはしたくないが、注意を払っておく必要はあるだろう。
昨年は梅雨が明けた途端に暑くなった。
今日は雲が多く、暑さもそこまでではない。
このまますんなり梅雨明けして欲しいと願いながら高校へ向かう。
「紫苑、今日登校するんだって」と車中でスマートフォンを見ていたひぃなが教えてくれた。
私にも届いていたが仕事のメールを優先しているので確認が遅れた。
期末試験を受けたあと映画の撮影の仕事に戻った紫苑だが、今日一日だけ登校しその後は一足早く夏休みにするそうだ。
「本人はすでに夏休み気分のようだけど、撮影が終わったら補習が待ち構えているのにね」
臨玲高校は有名女優の入学にあたり様々な優遇措置を設けた。
そのひとつが仕事最優先で、出席日数や成績が足りなくても進級や卒業を認めるという契約だ。
それを盾に紫苑は勉強に身を入れていない。
既に女優として成功しているし、頭は悪くないのでいまのままでも良いのかもしれない。
だが、生徒会に入ったからには生徒の規範となるように行動してもらわないと示しがつかない。
という建前で彼女のマネージャーや北条さんたちと相談して外堀を埋めている。
あの初瀬紫苑が特別扱いを受けずに補習を受けるという”事件”は全校生徒に対する意識改革にうってつけだ。
「紫苑が納得するかなあ」とひぃなは心配そうだが、「臨玲には不公平でも仕方がないという意識が根付いている。そこを変えないと第二第三の
お嬢様学校として知られる臨玲は家の格付けで周囲からの評価が決まってしまうところがある。
生徒会や茶道部の存在がその傾向を追認していた。
実際に個人が教師や学校から特別扱いを受けることは稀だが、生徒会や茶道部は校則違反をしても見逃されるといったかなりの特権を得ていた。
大半の生徒はそうした特権があっても節度を守っている。
しかし、悪用しようとする者がいれば学校側が制御できない状況に陥りかねない。
私が入学時はそれが現実になっていた。
高階円穂を排除することで目の前の脅威はなくなったが、根本を解決することは不可欠だ。
「生徒会も来年度には権限を大幅に縮小するし、部活動改革によって一部の有力クラブだけが発言力を有する現状も変える。あとはOG会を無力化できれば、まともな学校になるんじゃないかな」
そこまでお膳立てした上でひぃなが生徒会長として意識改革を進めれば、この学校も名門の名に見合うものとなるのではないか。
私たちが卒業したあともポジティブな改革に取り組んだという実績として誇れるよう維持してほしいものだ。
「大変そうだけど、可恋ならきっと大丈夫だよね」
「そういう訳で、紫苑の説得に協力して欲しい」
昼休みはいつものように新館で過ごす。
カフェから運ばれてきた手の込んだ昼食を生徒会室で摂り、一服してから補習の話を紫苑に切り出した。
「嫌よ」
紫苑はけんもほろろに拒絶した。
まったく折れる気はなさそうだ。
私の話を聞く気もないという顔で彼女は優雅にコーヒーカップを口に運ぶ。
「生徒会役員なのだから」と言うと「生徒会を辞める」と即座に言い切る。
「臨玲の改革のために」という言葉も「高校に通う必要を感じないから」と退学する意思を口にする。
彼女のマネージャーが事務所としての考えを伝えようとすると、「事務所も辞める。辞めてアメリカに行く」と頑なに言い張った。
「契約があるからアメリカでも女優としてまともな仕事はできないよ。言葉の問題もあるのだし」
私の忠告にも「構わない」と素っ気ない。
ひぃなが「世界に通用する女優になることが夢なんじゃないの?」と説いても、「補習を受けるのは初瀬紫苑じゃない。それは許されないことなの」と取り合わなかった。
紫苑は不快そうに眉間に皺を寄せてはいるが、声を荒らげるでもなく冷静さを保ってはいるようだ。
ひぃなが顔を上げて私を見た。
お手上げの表情だ。
「分かった。補習の話はなかったことにする」
元々紫苑を利用しようとしていたに過ぎない。
本人がここまで拒否しているのにこれ以上強引に推し進めることはできなかった。
紫苑は私の発言をさも当然といった顔で受け止めた。
生徒会室に気まずい空気が流れる。
場を和ませようと、ひぃなが昨日の恋人宣言の話をする。
しかし、ひぃなは最後まで言葉を続けなかった。
明らかに紫苑の不機嫌さが増したからだ。
「くだらない。愛なんて幻想よ」
「……そんなこと」と口を開きかけたひぃなに、紫苑は「陽稲は恵まれているから」と呟いた。
そう言われたひぃなは哀しそうな眼差しで紫苑を見た。
紫苑は何も間違っていないという態度を貫いている。
「そろそろ戻る時間」と私はふたりに席を立つよう促した。
紫苑は即座に立ち上がり、ひぃなは何か言いたそうな顔でゆっくりと椅子から降りた。
私は「たとえ分かり合えなくても話をする価値はあると思う」とだけふたりに伝える。
ひぃなのことは心配していない。
彼女はコミュニケーションの力を信じている。
私とひぃなの間にだって分かり合えないことはたくさんあるのに、それを乗り越えてここまで来たのだから。
紫苑は「そのうち話すわ」とだけ言ってそそくさと歩き始めた。
私はひぃなをエスコートしながら紫苑のあとを追う。
彼女の背中は他人を信用していないと語っているように私の目に映った。
そう、まるで昔の私のように。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。元々は孤独を感じながらも孤高であり続けようとしていた。陽稲との出会いでそれが変化した。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。コミュニケーション能力の高さとともに他人の思惑や感情を読み取る能力も高く、幼なじみの純ちゃんや家族以外とは一定の距離を置いていた。可恋はそんな彼女にとって特別な存在。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。同世代に圧倒的な人気を誇る映画女優。自分が認めた相手以外とは口も聞かない。
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