第99話 令和3年7月13日(火)「恋愛」岡崎ひより

「恋人を前提につき合ってくれない?」


 彼女、淀野いろはにそう声を掛けられたのは暦が6月に切り替わる頃のことだ。

 廊下をたまたまひとりで歩いていた時、それまでほとんど会話を交わしたことのなかった彼女が近づき囁くように言った。

 突然のことに足を止めたのは言うまでもない。


「最初から言っておかないとフェアじゃないでしょ」と彼女は微笑み、スッと肌と肌が触れ合える距離まで身体を寄せてきた。


 一歩うしろに下がった私は咄嗟のことに何と答えていいか迷って口が開けなかった。

 彼女の黒い瞳が真っ直ぐに私を見つめる。

 心臓の鼓動が激しく脈打つ。

 中学時代に男子とつき合ったことはある。

 その時は互いに初々しい甘酸っぱさがあった。

 それに比べて彼女はずっとスマートで経験豊富な印象を受ける。

 私ひとりがドキドキしているようでちょっと悔しい。

 もう高校生なのだからと自分に言い聞かせた私は「……うん」と頷いた。

 その瞬間の彼女の笑みは信じられないほど素敵だった。


 その日以降、学校の外で会うようになった。

 帰りに待ち合わせ場所を決めてそこで少しの時間ふたりきりで過ごしたり、休日にどこかに出掛けたりと。

 いろはは普段あまり教室にいないしクラスメイトとの関わりを持とうとしなかったのでコミュニケーションが苦手なのかと思っていたが、全然そんなことはなかった。

 話し上手で聞き上手。

 お喋りしている時は身を乗り出すように顔を近づけ、必ず視線を合わせてくる。

 その揺れる瞳を見ていると魔法が掛かったかのように私の口は軽くなった。

 どんなことでも遮ることなく最後まで話を聞いてくれる。

 そんなところは日々木さんに似ていると思った。


「グループだとちゃんと話ができないから苦手なの」


「分かる。私もそう。3人くらいまでならいいけど、多いと話を聞いているだけで終わっちゃうもの」


 私はキッカのグループにいるが、リーダーであるキッカは来る者は拒まずなタイプだ。

 その頃、リカたちが加わりグループの人数が増えていた。

 聞き役に徹することが多くなっていた私はいろは相手に話すことでそのストレスを解消していたのかもしれない。


「キスして良い?」


 告白から1週間ほどが経って、いろはからそう言われた。

 いきなりだった。

 しかし、彼女からしてみれば、これだけ仲良くなったのだから当然という気持ちだったのだろう。

 私はすぐには返事ができなかった。

 彼女は「無理やりはしないから」と優しく微笑み、「その気になるまで待つよ」と言ってくれた。


 女子高なら女同士でつき合っている人がいても不思議ではない。

 そう漠然と考えていたが、自分が当事者になるとまでは予想していなかった。

 このままこの関係を続けていっていいのか。

 友だちとしてならもうとっくに私は魅了されていた。

 その先は……。

 誰にも相談ができず、しばらく悶々とする日々が続いた。


 彼女が私とのつき合いを隠したのには理由があった。

 彼女は中学時代にも同じ学校の女子とつき合っていた。

 それが発覚してしまい学校に居づらくなって臨玲に外部進学したと教えてくれた。

 みんながみんな、こういうことに寛容という訳ではない。

 私も周囲に知られたらどんな目で見られるかという不安がある。

 だから、いろはの言葉に従い友人たちにも知られないように気を遣っていたのだ。


 それから数日後、夕方の公園で初めていろはとキスをした。

 マスクを外しての濃厚接触。

 これで彼女との距離がさらに縮まったと感じた。


 いろはと過ごす時間はキラキラと輝いていた。

 もっと話していたい。

 もっと側にいたい。

 もっと彼女の笑顔を見たい。

 そんな思いが募っていく。

 校内で会えない分を取り戻すように週末は離れがたい気持ちでいっぱいになっていた。


 キスから1週間後の週末に初めて彼女の家に泊めてもらった。

 同性同士だから私の両親は何の疑いもなく宿泊を承諾してくれた。

 しかし、私は覚悟と期待を胸に出掛けて行った。

 家の大きさは私の新しい家ほどではなかったが、調度品は豪華で我が家と比べても遜色がないものだった。

 彼女の自室はとてもセンスが良く、子どもの頃からそういった感覚を磨いてきたんだなと分かる洒落た部屋だった。


 大きな扉に鍵が掛かる。

 クラシックをBGMに他愛のないお喋りを続けた。

 キスを求めたのは彼女が先か私が先か。

 やがてふたりはベッドに横たわり……。


「優しくするね」の言葉通り、いろはは時間を掛けて丹念に私の身体を愛撫した。


 気持ちがひとつに溶け合うような感覚だった。

 人生でもっとも幸せな瞬間だったのかもしれない。

 蕩けていく心と身体。

 私といろはの愛が結晶化し、この愛は永遠に続くと信じた。


 充実感に満ちていたので期末試験も前向きに乗り切れた。

 その直後の週末は家族旅行の予定が入っていた。

 遠出はしづらいということで近場の熱海に1泊する予定だったが、自然災害の影響でこの予定は流れてしまう。

 いろはは別の予定を入れてしまったと言うので、キッカたちと横浜に行くことにした。

 ところが、当日になってキッカに急用ができた。

 漣は元々参加の予定がなく、ほかの参加者たちはキッカが行かないなら……という流れになった。

 リカくらいだ、最後まで参加に意欲を見せたのは。

 私もキッカ不在では乗り気になれなかった。


 予定が空いた私は鎌倉の美術館に足を向けた。

 キッカたちはこういうものにあまり興味はなさそうだし、いろはなら合わせてくれただろうが彼女とはもっとお喋りできる場所に行きたいという気持ちがあった。

 その帰りにアクセサリーショップに立ち寄った。

 いろはに何かプレゼントを買って帰ろうと思ったのだ。

 以前彼女と学校帰りに立ち寄ったことがあるお店で、あまり知られていない穴場だ。

 お金を使うことに慣れていない私が彼女のために奮発しようと張り切って店の前までやって来た。

 その時だ。

 ふたりの少女が恋人同士のように腕を組んで、いかにもデートという装いをして楽しげに語らいながら出て来た。

 ふたりは自分の世界に入ったかのように互いの顔ばかり見ていたので私には気づかなかった。

 しかし、私は気づいてしまった。

 ふたりのうちのひとりが淀野いろはだということに。


 私は立ち竦んだ。

 いや、足下がぐらついて立っているだけで精一杯だったのかもしれない。


 いろはと一緒にいた少女にも見覚えがあった。

 クラスは違うが同じ臨玲の1年生だ。

 その時、嫌な想像が頭に浮かぶ。

 いろはは学校では休み時間滅多に教室にいないが、果たしてどこに行っているのか。

 保健室によく行くとは聞いているが毎回という訳ではないはずだ。

 私は夕方に降り出した雨によって我に返るまで一歩も動くことができなかった。


 翌日、つまり昨日教室でいろはを問い質した。

 彼女は笑って「ばれたか」と悪気など微塵もない顔で答えた。

 カッとなった私は思わずビンタをしてしまう。

 そして、教室を飛び出した。


 心のどこかで、あれは間違いだと言って欲しいと願っていた。

 せめて、悪かった、もう浮気はしないと謝ってくれたなら……。


 どう気持ちを整理していいか分からず、校内のあちこちを歩き回った。

 いろはが憎いという気持ちと同じくらい、違う……その数倍彼女が愛しくて愛しくてたまらなかった。

 どうすれば元に戻ることができるのか。

 それだけが頭の中でグルグルと渦巻いていた。

 教室に戻ってからキッカや漣が励ましてくれたが、彼女たちの思いを汲む余裕すらなかった。


 そして今日。

 どんな顔でいろはに会えばいいのか分からない。

 休むことも考えたが、真面目な性格が災いして学校まで来てしまった。


 最初の休み時間、珍しくいろはが教室に残っていた。

 おそらく私が話し掛けるのを待っているのだろう。

 今後どうするにせよ、彼女と話さなければならないと私は思っている。

 このままの状況が続けば、私の心はもたない。


 意を決して立ち上がる。

 硬く目を瞑り、それからゆっくりと息を吐く。

 周囲は目に入らない。

 彼女は立って待っていた。

 私が言葉を切り出す前に、「廊下に行こう」と彼女は促した。

 ひとつ頷くと、歩き始めた彼女の後を追う。

 階段の近くで彼女は立ち止まり、こちらを振り向いた。


 いろはの妖艶な黒い瞳を見て、それまで考えていたことがすべて消えた。

 頭の中が真っ白になる。


「私だけを愛してよ!」


 大声で叫び、私は彼女の胸元に泣き崩れる。

 こんなことをするつもりはなかった。

 こんな計算高いことを。

 ここで修羅場を演じればクラスメイトはおろか1年全員に伝わるのも時間の問題だろう。

 いろはが会っていたあの相手にも。

 そんなやり方は私のキャラじゃない。

 でも、止められなかったのだ。


 私は怖くていろはの顔が見れなかった。

 彼女が何と言うのか聞くのが恐ろしかった。

 このまま時が止まって欲しかった。

 しかし、無情にもその望みは叶わない。


「ひよりのことは好きだよ」


 いろはが耳元で囁いた。

 ベッドの上で聞いたのと同じ甘美な声だ。


「でも、スリルがないと生きていけないんだ」


 悪びれた様子のない言い訳に私は彼女の胸ぐらをつかむ。

 貧乏時代はお母さんに代わって家事全般をこなして来た。

 腕っぷしには多少自信がある。


「分かった。私が貴女をたたき直してあげる」


「目が怖いよ」


「私を甘く見たことを骨の髄まで後悔しなさい。いろはは私のものよ!」


 簡単なことだった。

 浮気をする隙を与えなければいいのだ。

 いろはは目を白黒させている。

 こんな展開は予想していなかったのだろう。

 だが、泣き寝入りするような女ばかりだと思ったら大間違いだ。


 いままでのキャラは脱ぎ捨てよう。

 私は愛に生きる。

 そのためには強くならなくてはならない。


 いろはを引きずって教室に戻る。

 教壇のところに立つとその場にいるクラスメイト全員に宣言する。


「私といろはは恋人同士です。エッチもしました。変な虫がつかないように見張っていますので、よろしくお願いします」




††††† 登場人物紹介 †††††


岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。シングルマザーで働く母をずっと見てきた真面目な少女。玉の輿に乗り貧乏生活から脱したが、生活ランクの変化について行けないでいた。穏やかで真面目な性格だが母譲りの肝っ玉の太さがある。


淀野いろは・・・臨玲高校1年生。中学時代も何人かの少女に手を出しトラブルを招いていた。悪名が知られてしまったので外部進学することに。


飯島輝久香きくか・・・臨玲高校1年生。気さくで人望がある。


網代あじろれん・・・臨玲高校1年生。ひよりと仲が良い。


加藤リカ・・・臨玲高校1年生。最近キッカグループに加わった。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。心清らかな天使のように周囲から見られている。

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