第25話 令和3年4月30日(金)「茶道部」湯川湊

あきら、はしたないよ」


 私がそう窘めても、言われた本人は気にした風もなく「ここじゃあ、『はしたなくてよ、暁様』と言わねえと」とカラカラ笑った。

 セーラー服より学生服の方が似合いそうな暁は座布団の上に胡座を組んで座っている。

 臨玲の制服はスカートの裾が長いので見えそうなんてことはないが、あまり見た目の良いものではない。


 ……私も日本の習慣に染まってしまったのかな。


 私は15歳までヨーロッパでの暮らしが多かった。

 母はプロのピアニストで、ヨーロッパ各地に移り住んでいたからだ。

 父を始め親類縁者は子どもの教育に悪いと言ったが、母は聞く耳を持たなかった。

 母は私の存在が演奏の力になると常々話していた。

 私はそんな母が大好きで、ずっと一緒に暮らしたいと思っていた。


 私にも音楽の才能があればその夢は叶ったのかもしれない。

 しかし、15歳になった時に家族会議が行われ、私は日本に住むことになった。

 母は私のことを考えてそれを受け入れたと涙ながらに話してくれた。

 日本では息苦しい生活が続いている。

 家には家庭教師だけでなく躾の先生までいた。

 日々見張られているような状況で、夜中に自分の部屋でひとり涙を流すこともあった。

 それから2年以上が経ち、親友の行儀の悪さを注意する私がいる。


「ご機嫌よう、みなと様、暁様」


 後輩の亜早子と薫子が連れ立って現れた。

 いかにも優等生然とした亜早子と自然体の薫子は対照的だが、ともに真面目で良い子だ。

 私は意識して背筋を伸ばし、「ご機嫌よう」と挨拶を返した。


 茶道部の部室でもあるこの茶室は畳の青さくらいしか見るべきものがない。

 茶会が行われる時は掛け軸や花入れを部員が持ち寄るが、普段は安っぽいものを飾ったままだ。

 昔は良い品のものが使われていたそうだが、盗まれてからは安物を置くようになったと聞いて呆れてしまった。

 私は臨玲高校に思い入れなどなかったが、こうした学校側の姿勢に落胆する学生は少なくないと思う。


 ふたりの後輩が正座して居住まいを正した頃に悠然とした態度で部長が現れた。

 暁も正座に座り直す。

 部長は私たちを見回すと、「ご機嫌よう」とおっとりした声を出した。

 威圧感などどこにもない楚々とした佇まいなのに、彼女を前にするといつも気圧されてしまう。

 吉田ゆかり。

 彼女こそ、この臨玲高校を裏から支えてきた人物だ。


 部長が上座につき、茶道部の例会が始まった。

 例会はひと月かふた月に一度開催される茶会の相談ということになっているが、実際はそれだけではない。

 今後の部の運営や、学校、生徒会への対応なども話し合われる。


 現在の茶道部はそれなりの家柄出身の学生による情報交換の場となっている。

 入部を希望したからといって誰もが入れる訳ではない。

 茶道部の部員であることは臨玲においてステータスのひとつだった。


 それが単なるステータス以上の意味を持つようになったのは高階たかしなという生徒の出現に拠る。

 部員が彼女の被害に遭いかけた時に当時の部長が全力でそれを阻止した。

 高階の背後にいる集団に圧力を掛けたという話だ。

 現部長のゆかりが精力的に動いたとも聞いている。

 それ以降、高階が茶道部の部員に手を出すことはなくなった。

 一方で、高階がクラブ連盟長としてやりたい放題する有様に目を瞑ってきたのも事実だ。

 いかに家柄が良くてもただの高校生にできることなど限られていると思っていた。


「それでは例会を始めましょう」


 部長の宣言で例会が始まった。

 4月の例会ということで、まずは新入部員についてだ。

 亜早子が資料を配る。

 そこには入部希望者ひとりひとりの個人情報が記されていた。

 茶道部は学校側から特別扱いをされているのでこうした情報が入手できる。


「真砂はよく知ってる」と手元の資料を見ながら暁が口を開く。


 暁の家は鎌倉の名刹のひとつで、この近辺の情報に詳しい。

 私はそうした人との繋がりには欠けているのでおとなしく資料を眺めるだけだ。

 亜早子は「藤井は成金の娘ですね。相応しくないかと」と言いながら選別していく。

 たまに部長が口を挟むくらいで、淡々と事が進んでいった。


「以上でよろしいでしょうか」と亜早子が場を仕切る。


「良いんじゃねえの」と暁が納得し、部長が「そうですね」と了承した。


 資料が片づけられたあと、私は「5月の茶会についてですが」と話を切り出す。

 5月の茶会は通例新入部員の歓迎会といった趣で行われる。

 茶道部に入ることが許される生徒は嗜みとして茶道のマナーを知っているものとして扱われる。

 私はそれに大変苦労をした。

 当時は正座が苦手で、ゆかりや暁のフォローのお蔭で恥をかかずに済んだことをよく覚えている。


「ゲストを招きたいと思っています」と部長が珍しく私の話の流れを遮った。


「ゲストですか」と私は驚いて尋ねる。


 ゲストを招くこと自体は珍しくない。

 外部の人間を招くこともあれば、教師や生徒を招くこともある。

 ただ事前に言っておいてくれればいいのにと思う。

 自分の考えをほとんど口にしない彼女らしいと言えるが、予定していた段取りは一からやり直しだ。


「新しい生徒会長となられる日野様を茶道部としておもてなしできればと考えています」


 その表情や声音からゆかりが何を考えているのかは読み取れない。

 話がしたいだけなら茶会に呼ぶ必要はないだろう。

 高階を退学に追い込んだ1年生ということで目を瞠ったものだが、彼女の人となりについてはまだよく分かっていない。

 著名な大学教授の娘であるという情報くらいだ。

 これまで茶道部は生徒会とは距離を置いてきたが、会長交代に伴いそれを見直すつもりなのだろうか。


「早めに連絡をした方が良いですね」と私が言うと、「臨玲を代表する立場に就こうという人間ですから、前日に言われても対応できて当然でしょう」と亜早子が嫌みっぽく語った。


 亜早子は生徒会長選挙への立候補を視野に入れていた。

 おそらく例年通りのスケジュールで行われていれば万全の準備をした上で立候補したはずだ。

 だが、選挙は前倒しとなり、準備不足を不安視した彼女は最終的に立候補を見送った。

 そのせいか次期生徒会長への風当たりが強いようだ。


「連絡は連休が明けてからでも良いでしょう」と部長が言うと、亜早子は人の悪い笑みを浮かべた。


 私は「了解しました」と目礼する。

 実際のところ、放課後のこの時間から見も知らぬ1年生に連絡を取る術は限られる。

 顧問や学校の職員を通せば連絡は可能だろうが、休みの日に仕事をしてもらうことは躊躇われた。

 それにゲストの招聘は直接面会して依頼したい。

 私は明日から暁を加えた3人でゆかりの別荘へ行く予定だ。

 選挙運動で3年生の教室に乗り込んできた時に見た勇ましい顔を思い浮かべて、私は心の中で「ごめんね」と謝った。




††††† 登場人物紹介 †††††


湯川みなと・・・臨玲高校3年生。茶道部。母は華族の家柄で父は婿養子。束縛が嫌で母は日本を飛び出した。


榎本あきら・・・臨玲高校3年生。茶道部。湊の親友。ざっくばらんな性格。


吉田ゆかり・・・臨玲高校3年生。茶道部部長。祖母が臨玲高校の理事。


加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。茶道部。中学は鎌倉三大女子高のひとつ東女の付属に通っていた。


矢板薫子・・・臨玲高校2年生。茶道部。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。

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