第11話 令和3年4月16日(金)「悪魔」岡本真澄
生徒会室の窓から見える空は厚い雲に覆われている。
そして、この部屋の中も重苦しい空気に包まれていた。
「大丈夫なんでしょうね」
苛立たしげに口を開いたのはこの部屋の主だ。
私はそちらに視線を向けずに、「苦しい状況です。やはり初瀬紫苑の存在が大きいと思われます」と他人事のような口調で答える。
生徒会長選挙の当事者ではあるが、人気女優相手にできることは少ない。
彼女が敵に回った時点で、正攻法で勝つのは難しくなっていた。
「ルール変更だ」
生徒会長が座るソファの正面。
ひとり掛けの豪華な椅子の上で胡座をかいている少女がニヤニヤと笑いながら声を上げた。
美人と言っていい顔立ちなのに異様に落ち窪んだ目のせいでゾッとする印象を受ける。
そこから覗く鋭い眼光は常に獲物を狙う獣のようだ。
臨玲に君臨する悪魔だ。
「投票は記名にする。それだけで3年はビビるだろ」
即座に芳場会長が「良い考えね」と応じた。
開票作業での不正は難しいが、選挙管理委員会には生徒会の息がかかっているのでこの程度の変更ならごり押しできるだろう。
1週間ほど前に会長が高階先輩に助けを求めた。
生徒会の乗っ取りを宣言した新入生に対抗するためだ。
初瀬紫苑の事務所に圧力を掛けるように言ったり、選挙の前倒しを決めたりと彼女は次々にアイディアを出した。
それでもまだ苦境は続いている。
「1、2年には金でもばらまいとけ」と高階先輩は簡単に言う。
「そんなことして平気なの?」と名垣先輩が口を挟むと、「違反だとはどこにも書いてない」と悪魔は笑い声を上げた。
「オレが動けば簡単に蹴りがつくのにな。だが、向こうは明らかにオレが動くのを待ってやがる。挑発してきた分はいずれ返してやるさ」
髑髏のような顔から聞こえる声は粘着質で背筋に虫唾が走るものだ。
周囲の不快な視線を気に留めることなく彼女は言葉を続けた。
「あの日野って奴が大事にしている小娘を攫って、レイプしまくって、心が壊れたら笑って送り返してやるぜ」
その様子を頭の中に思い描いているのか、ケタケタと気味の悪い声を出す。
芳場会長は苦々しい顔で自分の正面に座る相手を見ていた。
高階先輩の背後にはヤクザか半グレかは知らないが危険な連中がいる。
これまで臨玲の生徒を何人かそういう連中に紹介しているらしい。
不登校になったり退学したりした生徒のほとんどが彼女に目をつけられた生徒だったという話も聞く。
私が入学前、彼女が1年の時はかなりおおっぴらにやっていたそうだ。
だから、いまの3年生は彼女のことを死ぬほど恐れている。
警戒されるようになったので、昨年はこっそりと事を起こすようになった。
2年生の多くは彼女の怖さを知らない。
会長選挙の対抗馬は高階先輩の追放を公約に掲げたが、1年2年にはあまり響かなかった。
幸いだと思っていたが、記名投票にする効果も見込めないことになる。
さすがにこの室内で明確な犯罪行為に賛同する者はいない。
しかし、諫める者もいなかった。
生徒会役員であっても彼女を敵に回すことは躊躇われたからだ。
「いまは隙はないが、必ずチャンスは来る。奴が選挙に勝った時の方が仕掛けやすいかもしれねえな。こちらが手を抜けば警戒されるから全力で勝ちに行く必要はあるが、負けてもあとで奴を追い出してやるから心配するな」
高階先輩は1年生の対抗馬をまったく侮っていなかった。
理事長が背後にいるからだけではないようだ。
そんな相手であっても、悪事を平然と行い慎重さも兼ね備えた彼女に勝てるとは思えない。
「初瀬紫苑はどうするつもりなの?」と敵に回った1年生のことを会長が尋ねた。
「客を取らせることができれば一生遊んで暮らせそうだな」と下卑た含み笑いをした人間の屑は「とかにく奴さえどうにかすれば好き放題できるさ」と言葉を続けた。
私としては高階先輩とあの生意気な1年生が潰し合って両者退場になってもらいたい。
我が儘な芳場会長や得体の知れない高階クラブ連盟長の下で1年間耐え続けてきた。
このふたりは3年生になっても好き放題振る舞いそうだが、生徒会長になればふたりの世話を別の人に任せて少しは楽ができるだろう。
「投票形式の変更について選挙管理委員会に報告してきます」と私は頭を下げて生徒会室から出ようとする。
話題は選挙後の皮算用に移っていたからだ。
だが、高階先輩に「待て」と呼び止められた。
立ち止まって、振り返る。
右手の指先だけで手招きされる。
従わないという選択肢はなく、私は慎重に彼女の側に近づいた。
「ひざまずけ」
私は言われた通り彼女が胡座を組む椅子の前に正座する。
高階先輩は胡座のまま身体を折り曲げて私の顔のすぐ隣りに自分の顔を寄せた。
キツい臭いに顔をしかめそうになるが、意志の力で表情筋が動くことを押しとどめる。
「いちばんの不安材料はお前が裏切ることだ」
囁くような声だった。
しかし、誰もが息を詰めていたのでこの場にいる全員の耳に届いただろう。
私は心臓を鷲づかみにされた気がした。
声が出ない。
苦痛に歪む私の顔を見るために、彼女は私のマスクを強引に奪い取った。
「……ッ」
耳に痛みが走る。
我慢しきれずに両方の耳を手で押さえてしまう。
「脱げ」と言ってスマホを取り出した。
私は助けを求めるように芳場会長に視線を送る。
1年間尽くしてきた相手は感情のない冷たい眼差しをこちらに向けるだけだった。
「……」
私は唇だけを動かす。
会長は微動だにしない。
そして、「早くしろ」という怒声が容赦なく轟いた。
私は一度ギュッと目をつぶった。
目を開けたら違う世界になっていたなんてご都合主義なことは起こらない。
セーラー服を脱ぎ始めようとして、すでに動画の撮影が始まっていることに気づく。
背中を向けたい気持ちをこらえ、手早く機械的に服を脱ぐ。
一糸まとわぬ姿になってからも撮影者の指示に従っていろいろなポーズを取らされた。
泣いてしゃがみ込み、できないと叫べば許してくれないだろうか。
無理だ。
そんなことをすれば目の前の相手は喜ぶだけだ。
さらに苛酷なことを要求してくるに違いない。
何も考えるな。
何も感じるな。
ただそれだけを繰り返し繰り返し頭の中で唱える。
この地獄の時間が終わるその時まで。
††††† 登場人物紹介 †††††
岡本真澄・・・高校2年生。生徒会副会長を務め、来週行われる生徒会長選挙に立候補予定。
芳場美優希・・・高校3年生。生徒会長。父親は現職の内閣総理大臣。
名垣瞳・・・高校3年生。生徒会書記。
日野可恋・・・高校1年生。入学式で生徒会を倒すと宣言し生徒会長選挙に立候補すると公言した。
初瀬紫苑・・・高校1年生。若者に絶大な人気を誇る映画女優。
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