第12話 令和3年4月17日(土)「野心」初瀬紫苑

 薄暗い部屋の中で大画面のディスプレイだけが光を発している。

 私はベッドに寝転がったままそれを見ていた。

 ハリウッドで若手ナンバーワンと言われる女優の顔が映し出されている。

 迫真の演技とは真逆の、肩の力を抜いた自然な演技だ。

 カメラの存在を感じさせない彼女の姿に、思わず引き込まれてしまう。


 横でぐっすり眠っていた少女が顔を上げた。

 まだ寝ぼけたままの彼女はこちらを見て表情を緩ませた。

 その警戒感のない信頼し切ったかんばせはまるで子猫のようだ。


「おはようございます」


 舌足らずな甘い声が耳に届く。

 私は「おはよう」と微笑みを返す。

 彼女が身をすり寄せてきた。

 素肌が触れ合い、温もりが伝わる。


 このマンションでは事務所に所属する女優の卵が何人か部屋を借りて暮らしている。

 寮のようなものだ。

 セキュリティがしっかりしているので外部から人を招くことはできない。

 本来なら役者同士の過度な接触も禁止されているのだが、私は見逃してもらっていた。

 売れているから。

 この世界ではそれだけが正義だ。


 彼女がスルリとベッドから抜け出した。

 全裸を隠すことなく堂々とした足取りでキッチンに向かう。

 お腹が空いたのだろう。

 私は彼女の体温を名残惜しく感じて、先ほどまで触れていた自分の腕を反対側の手で押さえた。

 少女はキッチンの灯りをつけ、「紫苑さんの分も作りますね」と無邪気そうに手を振った。

 私はゆっくりと息を吐き、「お願い」とよく通る声で告げた。


 いまの大手事務所に移ってほぼ最初の仕事が『クリスマスの奇蹟』という映画の準主役だった。

 大抜擢と言えた。

 監督が私に惚れ込み、ただの主人公の妹役からサブヒロイン的な扱いになった。

 映画は大ヒットし、私はメインヒロインよりも高く評価され一躍有名人となってしまった。


 一夜にして世界が変わる経験をした。

 たぶん精神的にその準備ができていなかったのだろう。

 優等生のようなタレントの振るまい方に抵抗を感じた。

 事務所が先手を打って露出を減らしたため大きなトラブルにはならなかったものの、数々の問題を起こしたという自覚はある。

 1年から1年半ほど前のことを、いまは「若かったな」と思う。

 でも、ああいう形で自分を守ることをしなかったなら、いまの自分はなかったとも思う。


 出世作の二番煎じは興行的には成功したものの評価は散々だった。

 世間の掌返しは予想されていたので、極力そういう声は聞かないようにやり過ごした。

 冬から春にかけて次の映画の撮影があり、その公開はゴールデンウィークを予定している。

 映画界はコロナの直撃を受けているので予定通りになるかどうかは分からないけど。

 その次の映画も決まっている。

 映画一本に絞っている以上、ガンガン働けということなのだろう。

 とはいえその撮影は夏休み中だ。

 それまでは退屈な日々が続くのだと思っていた。


 映画に、というよりハリウッドスターの演技に見入っていると部屋が明るくなった。

 エプロンだけ身につけた少女がトレイを持ってこちらにやって来た。

 鼻歌交じりの彼女に「機嫌が良いね」と声を掛ける。

 艶のある肌を赤らめて「最近、紫苑さんが楽しそうだから」と理由を口にした。


 中学時代、仕事がない時は不機嫌の極みだったことを思い返すと、高校生になってからの変化はかなり大きいのだろう。

 自分自身ではそんなに気がついていなかったが、私ともっとも触れ合う時間が長い彼女が言うのなら間違いない。

 食事を載せたトレイを抱えていなければ彼女を勢いのまま押し倒していたかもしれない。

 代わりに、私は「食べさせて」と彼女に甘える。

 少女は嬉しそうな顔で私の横に腰掛けた。

 サラダの上にあるプチトマトを指で摘まむと、「あーん」と囁きながら私の口元に運ぶ。

 小さな赤いトマトを口に含む。

 私は差し出していた彼女の手を取ると、その指先に口づけをした。

 よくケアされた指先は彼女の容姿よりも大人っぽいものだった。


 午後になって最近連絡先を交換した相手から電話が掛かってきた。

 日野可恋。

 彼女の存在が退屈な日常を刺激に溢れるものに変えている。

 容姿だけなら彼女が愛でている人形の方が印象的だが、私は人の美醜にたいした価値を見出せなかった。

 それよりも、世界の真理を知り尽くしたと思っているかのような凜々しさと本当の愛や恋を知らないウブさとのアンバランスに私は強く惹かれている。


『デートのお誘い?』


『それは間に合っているから』と答えた可恋は『しばらくは警戒度を引き上げておいて欲しい』と用件を言った。


『週末には選挙だしね』


 彼女が立候補している生徒会長選挙は23日の金曜日に実施される。

 最初はたかが高校のお遊び程度に捉えていたが、事務所に圧力が掛かってきたり、背後に利権が絡むと言われたりして考えを改めた。

 マネージャーを通じて事務所も理解しているようで、しばらくは登下校時に護衛役が付くことになった。


『その前後1週間は何が起きてもおかしくない』


 私のお気楽な口調とは正反対に可恋の声は深刻だ。

 私はあえて軽い口調のまま『可恋が私を守ってよ』とおねだりする。


『無理』


 返答の内容は分かっていたとはいえ、一瞬の迷いもないことに少し凹む。

 彼女は『ひとりを守るだけでも容易じゃない。紫苑は自分でなんとかして』と突き放す。


『私も狙われているの?』と確認すると『そうみたいだね』と確証があるかのような声が返ってきた。


『前後1週間ってことは、選挙のあともってことね?』


『そうだね』


『まさかとは思うけど、ずるずると長引くことはないでしょうね』


 刺激があるのは良いが、長期間にわたって自由が制約されるのは嫌だ。

 自分で首を突っ込んだこととはいえ、登下校に護衛がひとり加わるだけでもうんざりしているのだ。


『私も早く片づけたいと思っているよ』


 それは背筋が凍りつくような冷たい声だった。

 普段はあまり感情を出さない可恋だけに、余計にゾクリとしてしまう。

 怒らせてはいけない相手だと私は心に刻み込む。

 だからといって可恋のことを諦めはしないが。


『私のために……。愛しているわ、可恋』


 最高の演技をしてみせたのに、『油断しないように』と改めて注意を促し可恋は電話を切った。

 演技力不足だったかと肩をすくめると、隣りで息を潜めていた少女が妬みや悔しさを堪えた顔でこちらを見つめていた。

 良い表情だ。

 芝居でこんな演技ができれば認めてもらえるだろう。

 わたしひとりの前だけでなく、大勢が見ている前でできるのなら。

 現実は、カメラの前では様々な計算が働き、無心の演技なんて口で言うほど簡単にできるものではない。


 私は役者になりたいと思ったことは一度もない。

 しかし、周りから天性の女優と言われ、私自身役者以外に自分に合った仕事はないと信じている。

 女優として次のステップに進むためには可恋が必要だ。

 私の直感がそれを告げている。

 臨玲で彼女と巡り会えたことが神様の賜物だとしたら、障害を乗り越えて彼女を手に入れることは神様の試練なのかもしれない。


 私は少女を引き寄せ、頭を胸元に抱える。

 いつか可恋と、という野心を胸に抱きながら。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・高校1年生。映画デビュー時はインタビュアー泣かせと評判になった。いまも取材はほとんど受けていない。


日野可恋・・・高校1年生。文章だけでは相手に伝わったのか分からないため電話での連絡を好む。

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