第13話 令和3年4月18日(日)「悪魔」香椎いぶき
無造作に髪を後ろに束ねた美少女がわたしの顔のすぐ前まで身を乗り出してきた。
化粧っ気はないが普段からよく手入れしていることが分かる細い眉。
パッチリした目やスラッとした鼻筋は生まれ持ってのものだろう。
距離感の近さに戸惑いながら、わたしはふと思う。
妹が元気だったらこんな風だったのだろうかと。
……わたしは悪魔だ。
ここはわたしが暮らす鎌倉市内の下宿だ。
市内にはいくつか女子高があり、その生徒を対象にしたところだと聞いている。
木造二階建てで、ひとり一室のプライベートルーム以外は共用スペースとなっている。
シェアハウスとの大きな違いは寮母さんがいることだ。
毎日夕食を作ってもらえることは大助かりだが、一方で門限などの厳しいルールもある。
親との話し合いの末、妥協の産物としてわたしはここで3年間暮らすこととなった。
現在6人いる下宿人のうち唯一の同学年が目の前の相手だ。
垢抜けていて、明るく、可愛い。
友だちも多いようで、これまでの週末は門限ギリギリまで遊びに出掛けていた。
わたしはなるべく他人と交流を持ちたくないと考えていたので、このままただの顔見知りになるはずだった。
だが、今日は予定がキャンセルされたと彼女はわたしの部屋に襲撃してきたのだ。
宿題や授業の復習は昨日のうちに終わっていた。
暇だったこともあり、つい彼女を迎え入れてしまった。
どこか人恋しさがあったのかもしれない。
初めての独り暮らしにようやく少し慣れたところだった。
「臨玲って聞いたからもっと凄い部屋かと思ってたけど、意外とまじめなんだ」
彼女は部屋に入るとあちこちを見回しながら口を開いた。
飾り気のない殺風景な部屋だ。
思うところがあって生活に必要なもの以外ほとんど自宅から持って来なかった。
机の上には教科書や参考書、電子辞書、タブレットくらいしか置かれていない。
部屋に人を招くことを考慮していなかったので座布団やクッションの類いもなかった。
彼女には椅子に座ってもらい、わたしはベッドに腰掛けようとしたが、彼女はわたしのすぐ隣りに腰を下ろした。
「ねえ、臨玲ってどんな学校? お嬢様学校っていうくらいだから凄い? キラキラしてる?」
「普通。って言うか、普通の私立よりもパッとしないかも」
目の前の少女のフランクな態度にわたしも気さくに応じる。
ここでも学校でも周りと壁を作ろうとしてきたが、彼女相手にはそれができなかった。
「そうなんだ」と彼女の唇が動く。
下宿内ではひとりの時以外はマスクを着用するルールだが、生活の場ということもあって忘れがちになる。
彼女は1階の隣りの部屋なのでマスクを着けずにここに来ていた。
「ホームページだけ見たらそうでもないけど、あれは誇大広告に近いんじゃないかな。学校見学ができていれば臨玲は候補から外したかも……」
「人は? 超お嬢様とかいた?」
「何人かはね。でも、ほとんどはいかにも私立の生徒って感じかなあ」
小学校は公立に通っていたので私立中学に進学した時はみんなが似たような感じだったことに驚いた。
臨玲は一部を除けばその延長線上に過ぎない。
「ひとり、いかにもお嬢様って感じの子がいて、臨玲のことを見た目はボロいし、雰囲気は優雅さの欠片もないし、生徒は貧乏人ばかりってくさしていたの。でも、当たらずも遠からずかも」
「いかにもお嬢様が言いそうだね」
「その子は臨玲に入らなければ良かったじゃないって言われて、親に決められたって答えていたけど、そういう子も多そう」
「あー、名前だけは有名だものね」
会話に飢えていたせいか自分ひとりが喋っていることに気づく。
わたしは「ごめん、わたしばかり喋って」と謝るが、彼女は「全然気にしなくていいよ! 会話ができない相手だとちょっと困るけど、あたしもお喋りだからおあいこだよ」と爽やかに微笑んだ。
「知ってる? 鎌倉には3つの有名な女子高があるじゃない。東女の生徒はまじめな子が多く、うちの高女は遊んでる子が多い、臨玲は変わった子が多いって言われているの」
「うちはオチか」とわたしは笑う。
こんな風に笑うのも久しぶりに感じる。
そして、笑う資格があるのかという心の声が聞こえてくる。
「どうかした?」と気遣う声が聞こえ、わたしは慌てて「ううん、何でもない」と首を横に振った。
「入学したてだからまだ分からないかもしれないけど、変わった子とかいた?」
わたしは思い当たることが多すぎて目が泳ぐ。
一部の生徒を除けば普通の学校と思っているが、その一部がかなりインパクトを持っていた。
わたしの変化に気づいた少女がポニーテールを揺らしてわたしに迫ってきた。
「いたの?」
「変わった子って訳ではないけど、有名人が……」
写真撮影は厳禁、ネットにアップしたら訴えるとは言われたが、入学していることをバラしてはいけないとは言われていないので大丈夫だろう。
輝かせた瞳を向けられて、わたしはつい自慢するように誰もが知る有名人の名前を挙げた。
「実は……、クラスメイトに初瀬紫苑がいるの」
「えーーーーーーーーーーーーーー!」
鎌倉中に響き渡ったんじゃないかと思うくらいの大声だ。
わたしは咄嗟に彼女の口を押さえる。
それでも2階から「うるさいぞ」と声が飛んできた。
掌に彼女の唇の感触があり、わたしは「ごめん」と手を離す。
彼女も頬を赤らめて「いまのはあたしが悪かったから気にしないで」と言ってくれた。
そして、気を取り直し「マジで?」と確認する。
そういう反応になるよね。
わたしが逆の立場でも、あそこまでの大声は出さないが驚いたはずだ。
わたしはこっくりと頷いた。
「で、どんな人? 可愛い? 可愛いのは当然か。性格は? どんなこと話すの? 彼氏のこととかはさすがに分からないか」
矢継ぎ早の質問に圧倒されるが、彼女がもの凄く興味を持っていることは伝わって来る。
わたしは曖昧に微笑みながら、「まだ話したことはないの」と正直に告げる。
「あー、まあそうだよね。ちょっと高ピーな雰囲気もあるし」
彼女は残念そうに視線を下げた。
私では初瀬紫苑と不釣り合いだし話し掛ける勇気もない。
だが、彼女なら容姿的にも性格的にも踏み込んでいけるのではないか。
そう思ったもののふたりを引き合わせる方法はまったく頭に浮かばなかった。
「いつか機会があれば……」と言葉を濁すと彼女はわたしの手を取った。
「まずはいぶきが初瀬紫苑と仲良くならなきゃ」
顔を上げた彼女の目には紹介して欲しいといった計算のようなものは見えなかった。
ただ純粋にわたしのことを思っての発言のようだ。
「何だか、いぶきって見ていて不安なんだよね」
だって、わたしは悪魔だから……。
喉元まで出掛かるが、わたしはその言葉を飲み込む。
わたしはここに逃げてきた。
障害を持ち、いまも病に苦しむ妹を見捨てて。
両親は妹にかかり切りだ。
私も妹の世話をするのは当然だと思っていた。
だけど、ある時突然、妹がいなければという思いに目覚めてしまった。
わたしは悪魔だ。
何の罪もない妹のことをそんな風に思うなんて……。
結局わたしは我がままを言って外部受験をすることにした。
そして家族と離れて暮らすことを選択した。
両親に経済的負担を掛けたことは理解している。
両親を試したのだ。
わたしにもお金を掛けてくれるよねって……。
わたしには幸せになる資格はない。
それが分かっているのに彼女とのお喋りを楽しんでいた。
強張った顔をして黙り込むわたしに彼女は微笑みかけた。
包み込むように握られた手から温もりが伝わってくる。
「いぶきって、……可愛いね」
††††† 登場人物紹介 †††††
香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。自分をリセットするために外部受験を決断した。臨玲に決めたのは確実に合格できるところだったから。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。カリスマ的人気を誇る若手女優。ファッションリーダーでもある。クラスメイトと馴れ合う気は一切ない。
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