第14話 令和3年4月19日(月)「死神との邂逅」日々木陽稲
「可恋は大丈夫なの?」
朝、教室に入ってきた初瀬さんはつかつかとわたしに歩み寄ると眉間に皺を寄せてそう尋ねた。
可恋から欠席の連絡が届いていたのだろう。
「投票日までにはなんとか治すって言っていたけど、数日は寝込むかもしれない」
生徒会長選挙の投票は今週の金曜日だ。
正式に立候補を果たし今日から本格的な選挙運動をする予定だったが、出鼻をくじかれた形になった。
早朝にダルそうな顔で彼女は自分の体調不良と、数日間わたしに実家で暮らすよう伝えた。
初瀬さんはまだ可恋の体質のことを知らないようだ。
可恋は生まれつき免疫系の障害があり、体力をつけたいまでもよく体調を崩す。
特に気温の変化に敏感で、少し寒いだけでダメージを受けてしまう。
わたしと可恋とのつき合いは2年に及ぶが、いまだに彼女のその体質に慣れたとは言えない。
それでも知り合ったばかりの初瀬さんよりは可恋のことには詳しい。
わたしは「いつものことだから大丈夫だよ」と気丈に振る舞った。
初瀬さんは切れ長の目を凝らしわたしを見つめた。
そして、「貴女は大丈夫なの?」と問い掛けた。
それはわたしの健康を気遣うものではない。
わたしは横に立つ純ちゃんの大きな身体をチラッと見上げ、「大丈夫」と答える。
初瀬さんは純ちゃんに視線を送り、何も言わずに自分の席に向かった。
2時間目が終わってすぐのことだった。
教室の前の扉からひとりの生徒が姿を現した。
それだけで教室内の空気が一変した。
早朝は寒かったもののその後グングンと気温が上がり冬服だと暑く感じるほどだったのに、ドライアイスをぶちまけたような冷気が足下から忍び寄ってきた。
背筋がゾクリとする。
入って来たのはスカーフの色から3年生だと分かった。
現在1年生のエリアには原則として上級生の来訪が認められていない。
にもかかわらず、彼女は悠然とこの教室に足を踏み入れた。
整った顔立ちなのにどこか醜く見える奇妙さ。
落ち窪んだ眼窩を見て、わたしは死神を連想してしまった。
彼女は真っ直ぐにわたしを見た。
わたしはこれまでにも初対面の人から敵意を向けられることはあった。
かなり目立つ容姿のせいだ。
だが、いま向けられている視線はこれまでの悪意や敵意が子ども騙しだったと思うほど強烈だった。
彼女の瞳は残忍さを隠そうとしていない。
わたしが泣き叫び地を這う姿を想像して愉悦しているようだった。
スッとわたしの前に純ちゃんが立ちはだかる。
空いていた可恋の席に来た彼女が上級生の視線を遮った。
わたしは純ちゃんの大きな背中に隠れ、安堵の息を吐く。
あの視線に晒されただけで気力が大きくそぎ落とされるようだった。
しかし、見えなくなったらなったで気になってしまう。
顔を出して目が合ったら取り憑かれるんじゃないかという恐怖感がある。
かと言って相手の様子が分からないのも不安が募る。
周りは時を止めたように静かで誰も身動きしていないようだ。
わたしが我慢し切れずに身を乗り出そうとした瞬間、純ちゃんが立ち位置を変えた。
純ちゃんの背中に目がついていた訳ではなく、上級生が動いたからだった。
どうやら入って来た扉に向かったようだ。
出て行く間際に彼女はもう一度わたしの方を向いた。
こちらからもわずかだがその面影が見えた。
マスクで口元が見えないはずなのに、フッと笑っているように感じてしまった。
上級生が出て行って教室の中は日常の音を取り戻す。
みんな息をしていなかったのではないかと思うくらいの静寂だったのだ。
もちろん、すぐに空気が切り換えられたとは言えない。
ぎこちない雰囲気が漂う中で初瀬さんがわたしの席までやって来た。
「あれが
「……たぶん」
可恋なら顔を知っていただろうが、わたしは初めて見た。
生徒会役員だと言うのにあまり表には出て来ないそうだ。
「車? 電車?」と初瀬さんが唐突に聞いた。
「今日は電車」とわたしは答える。
可恋はハイヤーの会社と契約し、登下校にそれを利用している。
今日は彼女が欠席なので純ちゃんと登校することにした。
ハイヤーを使ってもいいと可恋に言われたが、わたしは念願だった電車通学を試みた。
「今日は送る」と初瀬さんは言った。
可恋に貸しを作る意味合いもあるかもしれないが、わたしは「ありがとう」と素直に感謝する。
彼女は「今日だけだから」と念を押し、「可恋にいまのこと知らせた方がいいと思う」とわたしに忠告した。
わたしは頷きスマートフォンを取り出す。
メッセージを打ち始めると初瀬さんが去り、代わりに澤田さんが近づいてきた。
スマートフォンを見つめるわたしに「日野がいない間はボクが守るよ」と囁き、純ちゃんに追い払われていた。
その後は何ごともなく放課後を迎えた。
わたしは純ちゃんと澤田さんに両脇を守られながら初瀬さんの後ろを歩く。
玄関ホールを抜けた先は一面の青空だ。
すでに彼女の車は来ていた。
後部座席に初瀬さん、わたし、純ちゃんの順で乗り込んだ。
高校の敷地を出ると肩の力が抜けた。
車内では初瀬さんのマネージャーという運転手役の女性と話が弾んだ。
純ちゃんは元々ほとんど喋らないし、初瀬さんも車内では無口だ。
そこで何となくマネージャーさんに話題を振ると、もの凄く食いついてきたのだ。
「彼女は無駄口を好みませんからお友だちができるか不安でした」
「うるさい。首にする」と初瀬さんは物騒なことを呟くが、友だちの前で自分の母親からこの子のことをよろしくねと言われたような気分なのだろう。
初瀬さんの気持ちは分かるので、わたしは学校のことではなく芸能界のファッション事情などを尋ねる。
これには初瀬さんもポツポツとだが会話に加わり、彼女の好きなブランドを聞き出すことに成功した。
無事に家のすぐ近くまで送り届けてもらい、わたしは純ちゃんの分まで何度も感謝の言葉を述べる。
マネージャーさんからは芸能界に入る気があるなら連絡してくださいと名刺を渡された。
わたしは手を振って車を見送った。
玄関に入ったところですぐ近くに住む純ちゃんと別れ、「ただいま」と元気な声を出す。
可恋の体調のことや学校のことなど不安はいろいろあるが、家の中でそれを見せてはいけない。
療養中のお母さんを心配させるようなことがあってはならないから。
わたしは手を洗って自室に行くと、スマートフォンで可恋に帰宅したと連絡を入れる。
この時間なら起きているかなとメッセージだけでなく電話を掛けてみた。
しかし、彼女にしては珍しくスマートフォンの電源が入っていないようだった。
なんだか胸騒ぎがする。
わたしはジッとしていられずに部屋を出た。
居間に入るとお姉ちゃんから「おかえり。可恋ちゃんから連絡が来てたよ」と言われた。
「えっ」と声が漏れる。
だって、わたしに直接伝えればいいことなのに、お姉ちゃん経由で伝えるなんて変だ。
わたしはそのメッセージを見せてもらう。
そこには『心配しなくても大丈夫だから』とあった。
「……可恋」と独りごちるわたしにお姉ちゃんは「可恋ちゃんならきっと大丈夫だよ」と笑顔で肩に手を置いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血を引く日本人離れした容姿の持ち主。コミュニケーション能力も非常に高い。可恋と同居中。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。頭脳も戦闘力も非常に高いが体質的に病弱という弱点を持つ。陽稲を守るために臨玲に入学した。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。カリスマ若手女優。同世代の中でずば抜けた能力を持つ可恋に惹かれ、彼女を我が物にしようと考えている。
安藤純・・・臨玲高校1年生。競泳選手。陽稲の幼なじみで、子どもの頃から陽稲の護衛役を務めていた。筋肉の塊とよく言われる。
澤田愛梨・・・臨玲高校1年生。陽稲と同じ中学出身で彼女を追って臨玲に入学した。自称天才。そう称するに値する程度の能力は有している。
日々木華菜・・・高校3年生。陽稲の実姉。
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