第183話 令和3年10月5日(火)「決意」九条山吹

「卒業してもずっと一緒にいようね」


 そう固く誓い合った日から信じられないほどの月日が過ぎた。

 女子高生でなくなることは世界の終わりのように感じていたのに、あたしはいまも生きながらえている。

 彼女と一緒ならどんなことでもできると信じていた。

 世界はあたしたちを中心に回っていると本気で思っていたのだ。


「楽しかったよ、山吹」


 4月に十数年ぶりに日本に帰って来たクレアが海外に戻ると言い出した。

 元モデルで、まるで時を止めたかのように若々しい彼女はちょっと買い物にでも行くかのような口調で「航空機のチケットを買ったの」と話した。


「あたしが臨玲理事長になるのを応援してくれるんじゃなかったの?」と問い詰めても、「応援はするよ。でも、もう決めたの」と素っ気ない。


 彼女にとって日本で過ごした半年間は少し長めのバカンスだったのかもしれない。

 クレアは自分のことをほとんど話さない。

 ただ気まぐれに振る舞うだけだ。

 現理事長であるたえ子を追い落とす策はいくつか授けてもらった。

 だが、それを実らせる前に何の未練もなく旅立とうとしている。


「……どうしてよ」


 あたしは未練なく彼女を送り出すことはできなかった。

 彼女との別れはこれが2度目だ。

 前回は突然モデルを辞めて海外に移住してしまった。

 あたしに何の言葉も残さずに。

 何度も海外で会いはしたが、決して日本に帰るとは言わなかった。


「あっちじゃ最近は東洋人ってだけで差別されるような雰囲気があって息苦しかったのよ。山吹のお蔭で英気を養えたから立ち向かえそうな気がする」


 怯んでしまうほど彼女の視線は鋭い。

 スタイルの良い美人がこんな肉食系の目をしていれば男女問わず立ち竦んでしまうのではと思ってしまう。

 そんな彼女に泣きつくほどあたしのプライドは安くない。


「また戻って来てね。いつでも歓迎するから」


 引き留めたい気持ちがにじみ出ていたかもしれないが、クレアは気づかない振りをしてくれた。

 大勢の友人知人を集めて送別会を行おうと提案したものの、彼女は出発まであまり時間がないと口にし、「今夜はふたりで飲み明かそう」と微笑んだ。


 飲めば泣いてしまう。

 だが、飲まずにはいられない。

 あたしはクレアに勧められるままに杯を傾けた。

 家にある高級なお酒をすべて持って来させて、すべてを空にする勢いで飲み続けた。

 そして、記憶が途切れる。


 朝になって、二日酔いの頭痛とともに目が覚めた。

 頭を押さえながら上体を起こす。

 ふたりが一夜を明かした居間は綺麗に片づけられていた。

 あたしが寝ていたソファから周りを見ても、酒宴の痕跡は残っていない。

 クレアの姿もなかった。


 あたしは水が欲しくてテーブルの上のベルを鳴らす。

 すぐに使用人の女性が姿を現した。

 既に準備をしていた水をあたしに渡し、「お召し替えをしてベッドに向かわれますか? それとも浴室に向かわれますか?」と慇懃に尋ねた。


「クレアは?」と水を飲み干してからあたしは問う。


「御出立されました。こちらをお預かりしています」


 そう言って彼女は一通の封筒をテーブルに置く。

 何の変哲もない封筒で、封もしていないのでおそらくこれに入れたのは使用人だろう。

 あたしは中から便箋を取り出す。


『山吹の自由ホンポーな生き方はサイコーだよ。私もそんな風に生きたいと思ってる』


 殴り書きのような文字が記されていた。

 あたしは堰を切ったように泣いた。


 高校時代のあたしとクレアは本当に自由奔放だった。

 原宿や渋谷をふたりで並んで歩けば、みんながあたしたちに注目した。

 どれだけ混雑していても、あたしたちの前で人波が綺麗に割れたのだ。

 そこを堂々と、誇らしい表情で歩いた。


 お金もあった。

 時間もあった。

 誰もがあたしたちの願いを叶えてくれた。

 ギョーカイ人しか入れないようなお店でも簡単に入れたし、誰もが欲しがるような限定品もプレゼントに贈ってもらった。

 流行の最先端にいて、憧れの視線を浴びることがどれほど気持ちよかったか。

 この幸せは永遠に続くものだと信じていた。


 海外で生活し始めたクレアに初めて会いに行った時に言われた言葉がある。

 あたしは「日本に戻ってきて欲しい」という想いを口にはしなかったが、言葉の端々にそれは表れていたはずだ。

 しかし、彼女はあたしの想いに気づかない振りをしたまま別れの時を迎えた。

 空港で必死に泣くのを我慢していたあたしに、クレアは「山吹もここで暮らしてみない?」とポツリと言った。


 考えたこともない提案にあたしは自分がどんな顔をしているのか分からなかった。

 ただ、クレアはすぐに「ごめん、忘れて」と微笑んだ。

 それ以来、彼女から同じ提案をされることはなかった。


 あたしが高校生の時に青春を謳歌できたのは九条の家の力があったからだと、認めたくはないけれど分かってはいる。

 クレアの持つセンスの良さや美貌と、あたしの持つ財力や権力が融合したからあんな風に過ごせたのだと、死ぬほど肯定したくないと思いながらも頭の片隅では認めている。

 クレアは自分の力だけで周りから認められる存在になるために海外に出て行ったのだろう。


 世界はこの様に知りたくないことで満たされている。

 目を閉じ、耳を塞いで生きていたい。

 それをやろうと思えばできないことではない。

 ただ時折見たくないものが視界に入ってくる。

 そう、たえ子のような。


 高校時代にゴミ屑のように思っていた人間があたしの上に立っている。

 いまだって彼女は人間的に成長している感じはなく、母親が理事長だったからというだけでその座に就いているような状態だ。

 その存在はあたしを無性に苛立たせる。

 彼女さえいなければ嫌なことから目を背けて生きていくことができそうなのに……。


 シャワーを浴びても頭痛は治まらない。

 むしろ酷くなった気がする。

 あたしはクレアに電話を掛けたが、圏外と表示された。

 仕方なくメールを送る。


『理事長就任のパーティーに呼ぶから、その時は絶対に来てよね』




††††† 登場人物紹介 †††††


九条山吹・・・臨玲高校OG。母の朝顔は臨玲の理事であり、OG会会長でもある。その権威を笠に着てOG会を自分の意に染めている。


若竹クレア・・・臨玲高校OG。元モデル。クールビューティとして高校時代は同性から非常に人気が高かった。


椚たえ子・・・臨玲高校OG。現理事長。高校時代は山吹たちのグループからいじめられていた。

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