第182話 令和3年10月4日(月)「恋愛小説」嵯峨みるく

「サナエって絶対にあたしのこと好きだよね?」


「そ、そんなことないよ!」


「ほんとに?」と言いながら翼は早苗の顎を持ち上げる。


 早苗はいつにも増して緊張した面持ちだ。

 その瞳の輝きに含まれているのはこれからされることへの期待か不安か。

 翼は普段見せないような真剣な表情でゆっくりと顔を近づける。

 世界から切り離されたようにふたりは感じていた。

 だから気づかなかったのだ。

 ふたつの唇が触れ合う瞬間に教室のドアが開くことを。

 厳しいことで知られる生徒指導の教師がその光景を目撃することを。


 ここまで書いてわたしは手を止める。

 たったこれだけの文字数をスマートフォンに打ち込むのに1時間近くが経過していた。

 普段からあまり長文を書き込むことはないが、LINEの時だとパパッと文字を入力できるのにいまは1文字1文字慎重になってやたらと時間が掛かってしまう。


 文芸部では今月下旬に開催される臨玲祭で部誌を発表するのが慣例だ。

 今年はそのページの大半をつかさ先輩のお勧め本紹介が占めると決まっている。

 紹介する本を絞りきれないで悩んでいたつかさ先輩に部長のあみ先輩が全部書いたらと言ったからだ。

 ほかのことでも忙しそうなのに、つかさ先輩は張り切ってかなりの量の文章を書いているらしい。

 部長は受験勉強もあるので短いコラムを載せるだけとなった。

 一応、部誌なのでつかさ先輩ひとりの個人誌のようになってはまずい。

 そこで、わたしもそれなりの分量を書くように要求されたが書きたいことがない。

 先輩たちのような読書家ではないし、読書感想文はあまり好きではなかった。

 そんなわたしに部長が小説を書いてみたらと提案してくれた。

 子どもの頃から他人の恋愛を取り持ってきたので、恋愛小説なら書けるんじゃないか。

 つかさ先輩にも読んでみたいと言われて、ついその気になってしまった。


 しかし、現実は厳しい。

 普通の男女の恋愛だとすんなりくっついて終わってしまう。

 これまでわたしが仲を取り持てばほぼ確実に交際までこぎつけてきた。

 つき合いだしてからはいろいろ起きたりするようだが、わたしは引き合わせるのが好きなだけでその後のことには興味がない。

 つまり、恋愛小説で肝心となるつき合うまでのあれやこれやはわたしにとって現実味が乏しいのだ。


「いまの時代、好きだと思ったらすぐに告白して、簡単につき合えるじゃないですか。全然小説っぽくなりませんよ」


 あみ先輩にそう相談したら、複雑な表情になって「え……、そ、そうかな? あ、異性だとそうかもしれないけど、同性だったら葛藤とかあるんじゃないかな」とアドバイスしてくれた。

 わたしはなるほどと思い構想を練り上げた。

 でも、書き始めると困ったことが起きた。


 ……学校でキスしちゃいけないけど、それ以外は問題にならないよね?


 同性愛がダメって子もいるけど、わたしの周りでは少数派だ。

 LGBTとか学校でも普通に教えられている。

 女子高である臨玲に入学して以来、先輩たちを始めいくつかのカップル作りに手を染めているが少なくとも同性同士だからダメと言われたことはなかった。


 そこで障害となる教師を出そうと思った訳だが、同性愛をダメだと言う理屈が理解できない。

 それを書かないと話が進まないと思うのだが、まったく理解できないことをどう描いていいか分からなかった。


 ……好きになった相手が異性か同性かなんてたいした問題じゃないし。


 わたしはスマートフォンを机に置いて腕組みをする。

 せっかく書き始めたのにな。

 ちなみに翼と早苗、このふたりのイメージは生徒会長と副会長だ。

 つき合っていることは公然の秘密と言っていい。

 クラスが違うので普段のふたりがどんな様子なのかは分からないが、かえって想像が膨らんだ。

 格好いい翼にリードされる美少女の早苗。

 恋の手ほどきを受け、そして……。

 部誌だから過激な描写はダメだとは理解している。

 しかし、くっついたあとを書こうとするとどうしてもイチャイチャするシーンばかりになってくる。

 だけど、交際前の試練が書けないとなるとそっちばかりを書くことになってしまいそうだ。


 今度はつかさ先輩に相談することにした。

 部活動中ならともかく、それ以外の時間で受験生を煩わせることは気が引けた。

 それにあみ先輩は恋愛ごとに関してはちょっとそのアレだ。


『書いている小説のことで相談があるのですが……』とメッセージを送るとすぐに返信が来た。


『凄いねー。読むのは大好きだけど自分で書ける気なんて全然しないよ!』と謙遜するつかさ先輩に悩みを告白する。


『みるくちゃんの気持ちはよく分かるよー。小説ではよくストーリーの都合上必要だからって感じで頭の固い人が出て来ることあるけど、嫌な感じがするものね』


『ですよね。交際を反対する理由も認めてくれるようになる理由も浮かばなくて、先生の人物像もさっぱりって感じなんですよ』


 1年生を受け持つ教師は勉強を教えるプロという感じの人ばかりだ。

 中学時代は厳しめの先生もいたが、理不尽さを感じるほどではなかった。


『ちょっと考えさせて』というメッセージが届き、応答がパタリと止んだ。


 つかさ先輩の性格を考えると真剣に考えてくれているのだろう。

 後輩思いの素敵な先輩だ。

 わたしもこの小説をどうするか悩みながら先輩からの言葉を待った。


『みるくちゃんにしか書けないもの――小説でカップル作りの極意みたいなものを書いてみたら?』


『それってわたしが主役ってことですか?』と問い返すと『うん』と返ってきた。


『相談を受けてみるくちゃんがどんな風にふたりを引き合わせていくのかみたいな実体験を小説に仕立てたら面白いんじゃないかな』


『なるほど』


 恋愛小説というからどうしても愛し合っているふたりを主役にと考えていたが、こういう手もあったのか。

 確かにこれなら書ける気がする。

 こういうものを読んでみたいという需要があるかどうかは分からないが、部誌の片隅に載せるだけだからそこまで深く考える必要はないだろう。


『ありがとうございます! 書けそうな気がします!』


『よかったよ。生徒会長たちをモデルにした小説だとバレたら文芸部は消滅していたかもしれなかったから』


 文字だけのやり取りだが、つかさ先輩の焦りが伝わってきた。

 18禁まがいの描写まで考えていたと言ったら、先輩の心臓はショックで止まっていたかもしれない。

 わたしは改めて感謝の言葉を並べ、何度も礼を言った。

 そして、考える。

 モデルをどうするかを。

 わたしが結び付けたカップルと言えば……。




††††† 登場人物紹介 †††††


嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。小学生高学年の頃からカップル作りが趣味。基本的に成立後は興味を失っていたが、先輩たちのあまりの変わらなさには疑問を生じている。


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。つかさへの想いを1年にわたって秘めていた。つき合うようになってLINEでのやり取りが増えたことに喜んでいる。


新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。読み専だが多読派。気に入った本を人に勧めるのも好き。あみ先輩は勧めたらちゃんと読んでくれるので素敵な人だと認識していた。

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