第133話 令和3年8月16日(月)「革命研究部」

 革命研究部。

 クラブ紹介の冊子には活動内容として「日本に革命を起こす」とだけ記載されていた。


 お嬢様学校として名高い臨玲高校にそぐわないクラブ名。

 それがわたしの心を惹きつけた。

 入部届を出すと、後日担当の先生に部室まで案内してもらった。

 古くからこの高校に在籍するその先生によると、自分が勤めるようになってからも数年にひとりのペースで入部希望者が現れるそうだ。

 遥か昔は非合法で活動していたとか、幽霊部員ならいるはずだとか、そんな話もしてくれた。


 部室は想像していたよりは整理整頓されていた。

 春休みに業者が清掃したそうで、そんなに埃まみれとはなっていない。

 ただ壁一面にある本棚は威圧感があった。

 分厚い書物が存在を主張するように並べられている。

 マルクス全集やロシア文学のほか、ヘーゲルやプロレタリアートといった聞いたことのない言葉がタイトルに散りばめられていた。

 手に取って見ると、ずっしりと重い本は小さな文字で埋め尽くされている。

 書かれていることはさっぱり理解できない。

 昔の高校生はこんなものを読んでいたのかと感心する。

 相当に古い本だが、意外と美品という感じだった。


 細長い部室は長テーブルが1台置かれている。

 本棚に圧迫されているので、わたしはいちばん奥を自分の席とした。

 窓もあるのでほんの少しだけ開放感もある。

 わたしは放課後になると毎日スマートフォンの動画を見るために部室を訪れた。

 高校生になったのだ。

 これからは社会のことについて知らなくてはならない。

 そんな思いから有名なユーチューバーが公開している動画を見始めた。

 そこではメディアが取り上げない真実が語られていた。


 目から鱗が落ちるとはこのことだ。

 日本の素晴らしさ、社会を害する人たちの存在、どう生きればいいかの指針、真実の見分け方。

 そういったものを学べば学ぶほど自分が賢くなった気がした。

 お小遣いや貯金をオンラインサロンにつぎ込み、わたしはどんどんバージョンアップしていった。


 だが、悲しいことに周囲は愚かなままだ。

 わたしの周りには社会問題に興味を示す子が見当たらない。

 彼女たちは中身が空っぽのテレビ番組や動画しか見ない。

 流行のファッションや芸能人の話題ばかりでうんざりする。

 臨玲には本物のお嬢様がいて、彼女たちなら話が合うかもしれないと思う。

 だが、こちらを見下しそうな雰囲気を感じて近づくのを避けていた。


 入部して1週間ほど経った頃、突然ひとりの生徒が部室に入って来た。

 スカーフの色から3年生だと思しきその先輩は長い黒髪と凍るような冷たい目の持ち主だった。

 驚くわたしを無視して入口付近の椅子に座ると鞄から取り出した本を読み始める。

 一度だけこちらをチラッと見たのでわたしに気づいていないはずはない。

 しかし、全身から話し掛けるなというオーラを感じて、わたしは声を出せなかった。

 その日ヘッドホンを使って見た動画は全然頭に入って来なかった。


 その後も数日に1度くらいのペースで先輩は現れた。

 相変わらず無言で、わたしが勇気を振り絞って質問しても答えたのは名前だけだった。

 質問を繰り返すと黙れという意志を籠めた目でギロリと睨まれる。

 本もカバーが掛かっていて何を読んでいるか分からない。

 これ以上関わっても仕方ないかと思い、なるべく彼女のことを気にしないようにすることにした。


 夏休みに入ってもわたしは部室に行き続けた。

 毎日ではないが、かなりの頻度で。

 そこで毎回先輩と顔を合わせた。

 彼女は毎日来ている様子だった。


 わたしが部室に来るのは家では落ち着いて動画が見れないからだ。

 自分だけの部屋はあるが鍵がついていない。

 下に双子の妹がいてうるさいし、上の姉は面倒見が良いものの口やかましい。

 わたしが社会の真実を伝えてあげても理解できずにぽかーんとした顔をするだけだ。

 馬鹿の相手をしていたらこちらまで馬鹿になってしまう。

 友だちと遊びに行くこともあるが他愛のない会話ばかりで虚しさを感じることも多かった。


「おはようございます。今日は寒いですね」


 雨模様の空の下、部室に入るとわたしは先輩に挨拶した。

 彼女は本から顔を上げることなく「ん」とだけ返事をする。

 それだけでも進歩なのかもしれない。

 今日は出掛けに姉妹とぶつかった。

 そのイライラがまだ残っていたので、わたしは自分の定位置に着くなり返答を期待せずに先輩に話し掛けてしまった。


「地球温暖化なんて真っ赤な嘘ですよね。8月なのにこんなに寒いのが証明してますよ。信じている人はきっと頭の中がお花畑か何かなんでしょうね」


 同じことを姉や妹たちにも伝えたが、「へー、そう」と軽く流されてしまった。

 なぜみんな目を瞑ったままなのだろうか。

 わたしが必死に本当のことを教えてあげているのに聞こうとしないのか。

 そんな苛立ちを紛らわせるような言葉に先輩が「『不都合な真実』くらいは見たの?」と反応したことに驚いた。


「何ですか、それ?」と尋ねると、先輩は視線を手元の本に落としたまま鼻で笑う。


「先輩は本を読んでいるので頭が良いんだと思っていました」とわたしは皮肉を込める。


「あなたはそんなのばかり見ているから頭が悪いと思っていたけど間違いではなかったようね」


「な!」


 わたしは座ったばかりの椅子から立ち上がると、机と本棚の間の狭いスペースを小走りに駆けていく。

 先輩のすぐ側まで詰め寄ると、先に彼女が口を開いた。


「たとえばつい最近国連の気候変動に関する政府間パネルでステートメントが出たけど、それくらい読んでから発言して欲しいわ」


「そんなのどうせ嘘に決まっているじゃないですか」


「読みもしないで嘘と決めつけられるなんて、どれだけ頭が良いのかしら」と嗤った彼女は「低脳は他人の受け売りしかできないのね」とハッキリわたしを馬鹿にした。


「本に書かれていることだって他人の言葉じゃないですか!」


「その違いも分からないの? あなたの首の上についているものはただの飾り?」


 ようやく顔を上げた先輩は揶揄するようにわたしの頭を指差した。

 こんなことを面と向かって言われたのは初めてだ。


「学校の成績は……」と言い掛けても「あんなのは暗記すれば誰だって点が取れるよね」と遮られる。


「騙されているのは先輩ですよ」と指摘しても「全世界の人を騙すのにどれだけコストが掛かると思っているの? それでどれだけの利益が生まれるの?」と返されてしまう。


「それは……」


 すぐに答えられなかったわたしは「今日の寒さをどう説明するんですか?」と対抗したが、「平均って知らないの? 小学生から学び直した方がいいんじゃない?」とからかわれた。

 わたしは唇を噛む。

 部室から逃げ出したかったが、先輩が邪魔で長テーブルをグルッと回らないとドアにたどり着けない。

 鞄を取るついでではあるが、なんだか間抜けな気がした。


「いま世界中の若者たちが地球温暖化を止めるために声を上げようとしているのに日本人は他人事のような顔でまったく行動を起こそうとしない。この異常気象も温暖化の影響だし、今後それはもっと増えていく。それが分かっているのに指を咥えて見ているだけだ」


 それまでと打って変わって先輩の声が熱を帯びる。

 目もギラギラしてきた。


「まずはできることからだ。人の移動を抑制し、運輸に関わるCO2の排出を激減させる。これはいま良い方向に進んでいる。もしかしたらコロナは地球からのメッセージなのかもしれない」


 わたしは呆然と立ち尽くしていた。

 先輩はなおも早口でまくし立てる。


「次は肉食禁止だ。家畜こそCO2が増える元凶だ。日本に革命を起こしてこれを達成させないと。いいか? 君も今日から肉を食べちゃダメだよ」


「え……」


「魚も卵も禁止にしなければ。すでに水没の危機に瀕した島国があるんだ。日本も遠からぬうちにそうなる。これは私たちの問題なんだ!」


 彼女は立ち上がるとわたしの手を取った。

 そして、お昼には完全菜食主義者であるヴィーガンの食事を教えてもらい、夕方になるまで地球温暖化の話を聞き続けた。

 有意義な時間だった。

 わたしは帰り際に先輩に声を掛ける。


「必ず家族をヴィーガンにしてみせます!」と。

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