令和3年6月

第57話 令和3年6月1日(火)「暑い夏の始まり」湯崎あみ

 新館2階のブリーフィングルームでは次のクラブ連盟会議に向けての話し合いが行われていた。

 目を引くような装飾がある部屋ではないが、新しい建物らしく壁の白さが清々しい。

 机や椅子も機能性を重視したもので、学校の一室という感じはしなかった。


「……以上がこれまでに判明した結果です」


 報告を終えてわたしは着席する。

 発足したばかりの新生徒会の面々を前になぜか文芸部のふたりが加わっている。

 わたしとつかさは生徒会長になった日野さんに頼まれ、臨玲高校の部活動の実態調査に当たっていた。


「幽霊クラブですか」と日野さんがポツリと呟いた。


 彼女はまだ高校1年生だが、この高校の教師の大半よりも貫禄がある。

 顔半分はマスクに覆われているものの、眼光の鋭さには3年生のわたしでも気後れするほどだ。


「活動実態のないクラブがこれほどあったなんて驚きです」とつかさが感想を述べた。


「それでも部としての活動費が割り当てられ、OGからの寄付もある。その大半は高階さんの懐に入っていたということでしょうね……」


 会長の言葉にわたしは頭を下げ、「わたしも文芸部だけでなく文学論研究会と創作部の部長を兼任する形になっています」と告白する。

 黙っていてもすぐにバレるので、怒られる前に白状しておこうという計算だ。

 場の空気が重くて最後の方はボソボソと小声になってしまったが……。


「活動費はクラブ連盟側で処理されていたと思います。寄付金はわたしの裁量に任せてもらっていましたが……」


 文学論研究会からの寄付金は割とまとまった金額だったので学校の図書館の書籍購入費に使ってもらえるよう取り計らっていた。

 わたしがではなく、前の部長がやったことを踏襲しただけだが。

 基本的に我が校図書館の書籍の購入は司書が選別するが、このお金の分は図書委員の希望が通るということで受けが良かった。

 その代わり、新しく入った本を取り置いてもらったりと便宜を図ってもらっている。


 わたしが事情を説明すると新会長は腕組みをして息を吐いた。

 そこに「クラブの統廃合は過去に何度も話し合われたけれど、OG会からの反発が強くていつも見送りになると聞くわ」とクラブ連盟長の加賀さんが口を挟む。


 今回の調査で文芸部系のクラブだけで、ほかにSF研究会、評論部、古典研究会、第二文芸部があることが分かった。

 3年生のわたしですら初耳のクラブだ。

 本当にOGからの寄付が行われているかどうかまでは分からないが、これらのクラブにも学校から活動費は支払われているのだろう。

 部員として名前が記されている生徒に直接尋ねてみたが、知らなかったという返答が多かった。

 どうやらクラブ連盟の中でクラブに所属していない生徒を無断で部員として登録することが昔から行われていたらしい。

 高階さんから話を聞くことはできなかったが、吹奏楽部の部長から「廃部にしたらOGがうるさいので伝統的にそうしている」という説明を聞いた。


「クラブ改革のプロジェクトチームでは部活動の掛け持ち禁止の方向でまとめてください」


 日野さんは加賀さんに向かってサラリと告げた。

 言われた方はギョッとした顔で相手を見つめる。


「それだと廃部になるところが増えると思うので、1、2年生は部活か委員会に必ず所属することとします」と日野さんはさらに続ける。


 これには何人かの口から驚きの声が上がった。

 当然、わたしの口からも。


「大騒ぎになりますよ」と諫めたのは会長補佐の岡本さんだ。


「昨日宣言したじゃないですか」と会長は意に介さない。


「しかし……」


「私がああ言ったところで危機感を持ったのは岡本さんや北条さんくらいです。みんな自分の身に降りかかって来なければ他人事ですからね」


 臨玲で部活や委員会活動に勤しんでいる生徒は半数に満たないと言われる。

 それだけみんな部活動に関心がないのだ。

 加入を強制するとなると反発は必至だろう。


 会長はクラブ連盟長に向き合い、「この案でクラブ連盟会議をまとめてください」と依頼した。

 言葉は丁寧だが命令に近い雰囲気だ。

 加賀さんは睨むように会長を見ると、「……部長に相談してからお答えします」と苦り切った口調で答えた。

 部長というのは彼女が所属する茶道部の吉田さんのことだ。

 先日彼女から後輩である加賀さんのことをよろしくと頼まれたが、とても口出しできる状況ではない。


 それでも重苦しい空気を少しでも紛らわそうと、わたしは「どうしてそこまでして改革しようとするのですか?」と会長に尋ねた。

 彼女の目的は高階さんの排除だったと聞き及んでいる。

 それはすでに達成できた。

 あとは悠々と学校生活を送ればいいはずだ。


 会長はわたしをじっと見て目を細めた。

 深淵を見つめるような視線に冷や汗がドッと湧き出てくる。


「犯罪や悪行を防ぐために教育や道徳観を養うという方法があります。しかし、それでも人は魔が差すことがあります」


 彼女のよく通る声が室内を満たす。

 先ほどまでの何とも言い難い空気は薄れていった。


「例えば、目の前に札束がポンと置かれていたら魔が差す人が出て来るかもしれません。裕福な人であってもそういう状況になれば絶対に何もしないとは言い切れないでしょう」


 会長の言葉を聞きながら自分の身に置き換えて考えてみる。

 わたしはお金にそれほど不自由はしていないが、もちろんお小遣いを無尽蔵に使える訳ではない。

 学校の図書館で便宜を図ってもらっていることもちょっとしたズルかもしれない。


「そのように魔が差す環境を取り除くことが犯罪抑止に繋がるという考え方があります。一度悪に手を染めると次はこれくらいならいいかと思ってしまいます。いじめがエスカレートしやすいのもそういう心理が原因でしょう」


 わたしは自分の胸に手を当てる。

 臨玲高校の諸悪の根源は高階さんや生徒会にあると考えていた。

 彼女の酷い噂の数々とそれを知りながら野放しにしている生徒会が元凶だと。

 だが、その影響を受けてか、わたしたちも道徳的でない行為へのハードルが低くなっていたかもしれない。


「厳しいルールで生徒を縛ろうとは思っていません。ですが、不正の芽は摘んでおきたいと思っています。そのための改革です」




††††† 登場人物紹介 †††††


湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。クラブ連盟会議のあと発足する改革プロジェクトチームのオブザーバーとなるよう要請されている。つかさが意欲的なので断るという選択肢はなかった。


新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。数多いクラブの整理を打ち出した新生徒会長に弱小部の部員として意見を聞きに行き、その結果改革PTのメンバーとなることが決まった。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。新生徒会長。盛り上がったミス臨玲コンテストを開催したことで現時点での生徒からの支持率は高いが……。


加賀亜早子・・・臨玲高校2年生。クラブ連盟長。茶道部所属。ハイソサエティしか入部できない茶道部の中でも家柄に優れる。


岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会会長補佐。茶道部に誘われたこともあったが、より速く自分の優秀さを発揮できると思い生徒会副会長となることを選んだ。その選択が間違いではなかったと証明するために生徒会長の地位を望んだが……。


 * * *


 濃密な会議が終わった。

 外はまだ明るく、夏が来たことを実感させる。

 ほかのメンバーは車で帰宅するようだが、わたしとつかさは駅までの道のりを歩いていく。


「つかさ、無理はしなくていいからね」


 生徒会長はクラブ存続の条件として、1、2年生で最低ふたりが所属することを挙げた。

 正式な決定ではないが、このまま事が運べばそうなる可能性は高い。

 文芸部も例外扱いはしてもらえないそうだ。


「大丈夫です。必ず部員を確保します。先輩が安心できるように頑張ります!」


 キリッとした表情でつかさは見得を切った。

 彼女ならそれくらい簡単にやってのけるだろう。

 しかし、それはわたしたちふたりだけの蜜月が終わることを意味する。

 わたしが勝手に思っている”蜜月”だけど……。


 夕陽に照らされ隣りを歩くつかさの顔が赤く染まって色っぽい。

 こんな風に肩を並べて歩く機会があと何回あるのだろう。

 ……このままつかさをお持ち帰りしたいよ!


「つかさ、わたし……」


「先輩?」


「アイ・ラヴ・ユー……って、何語だったっけ?」


 立ち止まり、一瞬驚いた顔になったつかさは、お腹を押さえてゲラゲラ笑い始めた。

 その愛くるしい笑顔を見ているだけで胸がいっぱいになる。


「先輩っておもしろいですよねー。そんな先輩と一緒にいられて最高です」


「つかさ!」と思わず抱き締めたくなる。


 だが、笑っていたつかさは「それにしても暑いっすねー」とハンカチを出して額の汗を拭った。

 新館は空調が効いていたが、外は陽差しがあってじっとりした暑さがじりじりと襲ってきた。

 その火照った肌が乙女の色香を醸し出しているが、わたしは指をくわえて眺めていることしかできない。


「さあ、帰りましょう」とつかさはわたしの思いに気づくことなく、元気良く歩き出した。


 暦の上でも夏となった鎌倉。

 わたしにとってここで過ごす最後の夏となる。

 ラヴラヴな日々を過ごせるよう祈りながら、「つかさ、待って」とわたしは彼女のあとを追い掛けた。

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