第142話 令和3年8月25日(水)「言葉」梶本史
めくるめくような映画の撮影から2日が過ぎた。
パーティーシーン以外の撮影はまだ続くが、エキストラとして広間の隅に立っていただけのあたしの出番はもうない。
華やかなドレスの数々、豪華に飾られた旧館、そして撮影にあたったプロのスタッフたち。
人生で二度と体験しそうにないあの刺激的な時間の記憶はいまも鮮やかだった。
「一昨日のパーティーの撮影、本当にスゴかったの!」
今日から2学期が始まり、久しぶりに顔を合わせた友人たちを前にあたしは堪えきれずにそう語った。
あの場にはほかにもクラスメイトはいた。
生徒会の3人や藤井さんたち。
ただどちらも教室内でペラペラとみんなに話すようなタイプではない。
それもあって人生初めてというくらいあたしの周囲に人が集まり話を聞きたがった。
だが、残念ながら空回りに終わったと言わざるを得ない。
とにかくヤバいとスゴいしか言葉が出て来ず、質問を浴びせられても満足いく回答ができなかった。
ドレスがどれほど素敵だったか、あの場の空気感の凄さ、プロのスタッフたちの優秀さ……。
それらを伝えたいのにどう表現したらいいか分からず、言葉に詰まるうちに人だかりは小さくなっていった。
アメリカで暮らすお姉ちゃんにメールで感激したことを伝えようとした時も語彙力の無さに絶望したのに、同じ失敗を繰り返してしまった。
もどかしさだけが残ったあたしは始業式のあと部室に向かおうと廊下に出る。
そこで、最近仲良くなった友だちにバッタリ出会った。
「そうだよね。あれを分かってもらうのって大変だよね」
あの撮影現場を体験した彼女はあたしの愚痴を聞いてすぐに同意してくれた。
彼女は文芸部の部員だ。
映画の協力として呼ばれたメンバーの中で、同じ1年生だったことからよく話すようになった。
「みるくちゃんもそう思うよね。スゴかったああああって思いはスゴくあるのに、なんて言っていいか分からなくて泣きそうになったよ」
「難しい言葉を使わなくても、いまの『スゴかったああああ』をそのまま言えば良かったんじゃない?」
いまは両方の掌を目一杯に広げ、あたしにしては感情を込めて「スゴかったああああ」と話したが、クラスメイトの前ではこれでは伝わらないと思って言葉を探してしまった。
あたしが「そうかなあ」と首を捻ると、彼女は「大切なのはハートだよ」と自分の胸元に手を当てる。
そして、「先輩に告白する時も素直に想いを伝えたら大丈夫だよ」と言葉を続ける。
「いや、そういうんじゃないって!」
あたしが悲鳴のような声を上げても、彼女はニコニコと頷くだけだ。
何度も勘違いだと指摘しているのに、このことだけは分かってくれない。
「いつも無茶を言ってくるの」と相談したのがきっかけだったのだろう。
「今回の撮影は会議に参加していた人だけなのに、突然自分も出たいって言い出したの。そして、あたしにどうにかしろって……」
「あの美人の先輩だよね?」
彼女の視線の先にはリハーサル中の剣持先輩の姿があった。
先輩はただのエキストラから岡本先輩の相手役に抜擢され、ダンスの指導を受けている。
「うん」とあたしは頷く。
映研の中でもそれほど話すことのなかった剣持先輩に夏休みになってから呼び出された。
彼女はSNSで注目を集めようと投稿を繰り返していたが思うように伸びず、あたしに協力させようとしたのだ。
撮影の手伝いだけならともかく、あたしにまで出るように強要した。
それを断っても、校則違反の共犯だと脅して無理難題を押しつけてきた。
この撮影参加もそのひとつで、あたしは日々木さんにお願いしてなんとか実現できたのだ。
その経緯を説明できないので言葉を濁していると、なぜか「史ちゃんってあの先輩に気があるの?」とみるくちゃんが言い出した。
それは絶対にない。
どう答えようか迷っていると、リハーサルが休憩に入った。
みるくちゃんは文芸部の先輩たちのところへ行き、あたしも剣持先輩のもとへ向かった。
「初瀬さんはさすがに見る目があるわね」と先輩は上機嫌だ。
タオルを差し出すと「気が利くわね」と優しい視線を送ってくるが、ふたりっきりの時の我がままな態度を知るだけにこれは上辺だけだと思ってしまう。
先輩は「これが公開されたら、スカウトが飛んで来るんじゃないかしら」なんて皮算用をしている。
あたしは「かもしれませんね」と心にもないセリフを口にした。
しかし、撮影本番になりドレスを身に纏うとそれが妄想とは言えないと思うようになった。
男役の日野さんと幸せを振りまくように踊った日々木さん。
同じく男役を務めた演劇部部長を相手に堂々と踊ってみせた藤井さん。
このふたりは際立っていたが、それに負けるとも劣らなかったのが剣持先輩だった。
同じ映研ということで贔屓目があったかもしれないが、あたしの目にはそう映った。
「自分では気づいていないだけなんじゃない? 本当に嫌ならもっと強く断るでしょ? 向こうだって自覚していないだけで特別だと思っているからいろいろ頼んだりしているのよ」
部室棟に向かいながらみるくちゃんが力説する。
あたしは誤解を解くべく「断れないのはあたしが優柔不断だからだし、先輩にとってみれば何でも言うことを聞くからってだけだよ」と答える。
そんなあたしの言葉を聞き流し、みるくちゃんは自信満々に「好きって告白すれば真実が分かるよ」なんて言ってくる。
こんなことを繰り返し言われたらだんだんそうなんじゃないかと思ってしまう。
「みるくちゃんはどうしてあたしと先輩をくっつけようとするの?」
あたしは立ち止まり意を決してそう問い掛けた。
彼女も足を止め、真剣な表情を浮かべた。
「こんなことを言ったら気に障るかもしれないけど、史ちゃんを見ているとどこか頼りなさげに感じるの。信頼できる人が側に居た方がいいんじゃないかって」
あたしはマスクの下で唇を噛んだ。
みるくちゃんは気配を察して「ごめんね」と謝るが、あたしは首を横に振る。
面と向かって言われたことはなかったが、他人に頼りがちなのは自覚していることだった。
あたしには少し歳の離れたお姉ちゃんがいる。
お母さんよりも優しくて親身に接してくれる人だった。
そのお姉ちゃんがアメリカに行ってしまい、あたしの心にはポッカリと穴が開いた気がしていた。
「どうして剣持先輩なの? みるくちゃんは鳥打部長のことも知っているよね?」
あたしが映研に入ったのは部長に姉の面影を重ねたという理由もあった。
鳥打部長は面倒見が良く、とても優しい人だ。
剣持先輩とは正反対と言っていい。
部長もエキストラとして参加していたので、みるくちゃんも顔くらいは知っているはずだ。
「目を見てピーンと来たの。史ちゃんと部長さんだと姉妹のような関係になりそうだけど、あの先輩とならお互いに足りないものを求め合うような関係になるんじゃないかって」
あたしのことを頼りなさげだと指摘された時よりもグサッと来た。
言葉の出て来ないあたしを前にして、みるくちゃんは「片方にしかメリットがない関係って長続きしないと思うの。それがダメって訳じゃないから、史ちゃんが部長さんを選ぶのなら応援するよ」と微笑みを浮かべる。
実の姉妹ならまだしも、あたしだけが与えてもらう関係が歪なのは理解できる。
あの部長に対して、あたしが返せるものは思い浮かばない。
では、剣持先輩には……。
「人間関係にはいろんな形があって正解はないのだから、難しく考えずに行動できたら意外と上手くいくものなんだけどね。それができないからみんな苦労するんでしょうね」
悟ったように語るみるくちゃんはあたしの肩をポンと叩く。
彼女は「行こうか」と促し、あたしは頷いた。
どんな顔で剣持先輩と会えばいいのだろう。
そう考える時点でみるくちゃんの術中に落ちていたのかもしれない。
だが、いまのあたしにそれを気づかせてくれる人はいなかった。
††††† 登場人物紹介 †††††
梶本
嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部。カップルを生み出すことが生き甲斐であり、そのためなら善意の押し売りを厭わない。
剣持
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