第386話 令和4年4月26日(火)「告白」中之瀬コロナ
「あの……、あとで話がしたいの」
「いいよ」とあっさり応じた朱雀さんは少し考え込んでから「体育の時間にこの教室でいいかな?」と時間と場所を指定する。
「うん。でも、サボることになるけど、いいの?」
「実はさ、担任に相談したんだ。それで多少の融通は利かせてくれると思うから。詳しいことはその時に話すよ」
それが朝の会話。
そして、体育の時間になると彼女に教室の隣りにある準備室へと案内された。
ふたりで向き合って座る。
学校の中なのにどこか別世界にいるようだ。
「あの……、事件のこと、聞かせてもらっていい?」
「あんまり詳しく話すなって言われているけど、ロナっちならいいか。地下鉄に降りる階段を先輩ふたりと歩いていたんだ。ふたりが前に並んでいて、あたしはその後ろで」
「うん」
「そしたら若い男の人が駆け上がってきて、キッカ先輩は避けようと岡崎先輩の側に寄せたんだけど、すれ違う瞬間に急に斜めにぶつかってきたんだよ」
「……」
「下まで残り7、8段くらいのところだったんだけどさ。キッカ先輩は岡崎先輩を巻き込まないように自分から落ちるような感じになっちゃったんだ。あの勢いならふたり揃って転落してもおかしくなかったから」
「……」
「それで岡崎先輩がもの凄く大きな悲鳴を上げて、周囲の人の足も止まって……。ぶつかってきた人もビックリしたようにあたしの目の前で下を見たんだ」
「……」
「あたしはすぐに救急車を呼ぼうとスマホを取り出したんだけど、通報する前にその人の顔をパシャリと撮影してね。その音でこっちに気づいてもの凄い顔で睨まれたんだけど、ほかの人も騒ぎ出したせいか慌てて逃げ出して行ったんだ。……大丈夫? 気分悪い?」
「……平気。続けて」
「あとで日野先輩には叱られたんだけどね。もし犯人がスマホを奪おうとしていたら怪我した可能性が高いって。自分では冷静なつもりだった。でも、そんなことはなかったんだね、きっと」
「……」
「それで今度は本当に救急車と警察、それと日野先輩に連絡して、あとはその指示に従った感じかな。でも、倒れたキッカ先輩を撮影しようと足を止める人がいて……。ほかの通行人の何人かが壁を作ってくれたから助かったけど……」
「……」
「あとになって撮影しようとしていた人をこちらも動画で撮ればよかったって思ったんだけどね。あ、でも、また日野先輩に怒られるかな」
「……凄いね」
「そんなことないよ。あたしひとりだったら落ち着いてはいられなかったと思うよ。先輩と一緒だったから動けたと思うもの」
朱雀さんはそこまで話して、自分の水筒から水分を補給する。
そして、水筒をしまうのを見てから「実は……」と話を切り出した。
「同じような体験をしたことがあるの」
「えっ?」
「小学6年生の時、友だちの家からの帰り道で、自転車に乗っていたところを後ろから自転車で衝突されたの」
「……」
「故意か事故かは分からない。向こうは無灯火でかなりのスピードで飛ばしていて、気づいたのはぶつかる寸前だった……と思うから」
「それで……」
「もの凄い衝撃を受けた気がする。そして、気がついたら病院で、1ヶ月以上が経っていたの」
朱雀さんは目を瞠っている。
そんな彼女の顔から視線を逸らして、話を続ける。
「相手の人は見つかっていない。警察の人に事情を聞かれたとき、防犯カメラを避けて路地のような道を選んで逃げたんじゃないかって言われた」
「……」
「いまも道を歩いていたらその人がどこかから見ているんじゃないかって思ってしまうの……」
朱雀さんはしばらく沈黙したあと、「今回は犯人が観念して出頭してくれて良かったんだな」とポツリと呟いた。
その言葉に頷いてから、”秘密”について説明する。
「事故は卒業式の直前で、意識を取り戻したのはゴールデンウィークが終わった頃。身体はすぐ回復したのだけれど、心は……」
「それは仕方がないよ。誰だって時間が掛かると思うよ」
「退院しても外に出るのが怖くて……。秋になってようやく外を歩けるようになった。勇気を出して学校に行こうとしたのはかなり寒くなった時期だった」
「うん」
「でもね、出席日数が足りないから留年になるって言われて。それでも慣れるために登校したかったのに、周囲に迷惑が掛かるからって断られたの」
「何、それ。ヒドいじゃない」
「ずっと家にいて、せめて勉強だけは追いつけるようにって頑張ってきたんだけど……。学校としてはひとりだけそういう子がいることが負担だったんじゃないかな」
「でもさ、教えるのが学校の仕事じゃない」
「……翌年、入学式は出席が許されなかった。1年生の教室に行ったら多くの人が留年のことを知っていて……。結局、誰とも馴染めないままそれから3年間を過ごしてきたの」
それが私の”秘密”。
これが知られたら、高校でも同じことが繰り返されるのではないか。
不安が常に私の心を蝕んでいる。
「そんなのおかしいよ!」と朱雀さんの声は怒気を孕んでいた。
母親は2つ下の妹ばかりを可愛がって私のことには関心がない。
入院中も面会になかなか来てくれなかったし、来た時はいつも迷惑そうな顔をしていた。
先生たちは腫れ物に触れるような扱いをしていた。
勉強の面では熱心に指導してくれる人がいたものの、友人関係は自分の力でどうにかするようにというスタンスに見えた。
無視や陰口程度だったからなんとか耐えてこられた。
それでも世界のどこにも自分の居場所がないと絶望し、死んでしまいたいと思ったことは何度もある。
その勇気が私になかっただけだ。
「例えばさ。ロナっちの成績なら飛び級で2年生に編入してもらうってのはどうかな? 日野先輩に頼めば何とかしてもらえるかも」
「えっ……?」
「あたしはロナっちと同じクラスのままがいいけど、ロナっちが望むのなら何とかできないか頑張ってみるよ」
「どうして私なんかのためにそこまで……」
「あたしがそれをしたいから。それじゃあダメ?」
彼女のような強さがあれば、私は違った時間を過ごせたのではないか。
そう思うと心が痛い。
でも……。
「ロナっち、大丈夫?」と突然泣き出した私に朱雀さんは声を掛ける。
「嬉しい時も涙が出るのって本当なんだね」
††††† 登場人物紹介 †††††
中之瀬コロナ・・・臨玲高校1年生。子どもの頃から学業は優秀。それだけが自分の取り柄のように思ってきた。
原田朱雀・・・臨玲高校1年生。幼なじみのちーちゃんから”勇者”と言われ続けてきたせいか、そうありたいという自覚が出て来たのかもしれない。
日野可恋・・・臨玲高校2年生。魔王……ではなく生徒会長にして臨玲高校理事。朱雀が真っ先に可恋に連絡したことは大いに褒めている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます