第53話 令和3年5月28日(金)「日々木陽稲」初瀬紫苑

 インナーの重ね着で肌の露出は抑えられているが、黒のベビードールによってセクシーさは引き立っている。

 高校生とは思えない寸胴もコルセットで補強し、背徳的な妖しさを醸し出していた。

 そして印象的な赤いルージュとボリュームのあるマスカラ。

 純真無垢な顔立ちが小悪魔的な雰囲気にすっかり模様替えしている。


「本当にこんな姿で撮影するの?」


 眉間に皺を寄せた日々木は不満そうに口を開く。

 私は満足げな笑みを浮かべて「もちろんよ」と肯定した。


「可恋もこの映像を見て児ポ法違反とは言わないでしょ」


「あのあと、可恋にしっかり交渉しろって叱られたのよ……」と日々木は愚痴る。


「当然でしょ。どんなプロデュースでも丸呑みするような発言だったのだから」


 日々木はミス臨玲コンテストにおいて互いをプロデュースしたショート動画を撮ろうという提案をした。

 相手の足を引っ張ることも可能な危険なアイディアだが、私も興味を惹かれてその提案に乗った。

 その際に私が「少々の無理は聞いてくれるわよね?」と言ったら、「可恋のお願いと同じ」条件を認めたのだ。

 可恋は私がこの勝負に勝てば何かひとつ言うことを聞いてくれると言って参加を促した。

 その勝利の報酬に対して永遠に関する願いと犯罪行為はダメだと制限をつけた。

 妥当な内容だったので私はそれを受け入れた。

 一方、プロデュースの話でいきなりそれほどの譲歩をする必要はなかった。

 明らかに日々木の勇み足だった。

 そのツケをいま彼女は払っているところだ。


「それじゃあカメラに向かってセリフを言って。声に感情を乗せなくていいから、代わりに目で思いを伝えて」


 臨玲高校にある新館の3階の部屋はいま私と日々木のふたりだけだ。

 可恋は新生徒会長就任に向けて放課後のこの時間も忙しく動き回っている。

 昨日は寒いからと学校を欠席したので、今日はこちらには顔を出せないらしい。


 日々木は何度か深呼吸をしてからカメラを真っ直ぐ見つめた。

 私はマネージャーを通じて借りた高性能のビデオカメラを彼女に向ける。

 ファインダーには完璧すぎるほど整った顔立ちが映し出されていた。


「カメラを可恋だと思って」と私はスタートの合図を出す。


「わたしのことを……愛して」


「カット!」と私が声を掛けると日々木は眉をひそめた。


 私は撮影したものをすぐに確認する。

 演技に関しては素人だが、インパクトのある見た目によって印象深い出来になっている。

 もう少し艶容さが欲しいところだが、BGMで誤魔化せばいい。


「わたしが負けても可恋は初瀬さんの思い通りにはならないからね!」


 精一杯の負け惜しみを口にする日々木に「可恋を簡単に落とせるとは思っていないよ」と私は答えた。

 そして、「だからこそ、やり甲斐のあるミッションだね。私の野望を実現するためには彼女が絶対に必要だから」と言葉を続ける。


 日々木は睨むように私を見ている。

 その視線を私は笑って受け流す。


「私は……そうね、1年後、遅くとも高校卒業までにはハリウッドに進出する。必ず世界的スターになる。可恋がいればそれが夢ではなくなるわ」


「可恋が協力するとは限らないじゃない」


「日々木のその容姿は神から与えられたまさに”ギフト”。さらにファッションデザイナーとしての才能もある。成功は約束されているよ、可恋がいなくても」


「……」


「それに比べると私の成功する確率は高くない。それは自覚している。だけど、可恋がいれば大きく異なると思わないかい?」


「だとしても……」


「ビジネスパートナーとして可恋が欲しい。プライベートのパートナーとしてはその次だ。だから、可恋が日々木ともつき合いたいと言うのであれば二股も許してあげるよ」


「可恋の気持ちはどうなのよ!」


「1年もあれば私のプロジェクトに興味を持ってもらえるさ」


「だいたい、リーダーの試験で赤点を取る人がハリウッドで成功できるの?」


 痛いところを突かれた。

 私は胸元を手で押さえながら「英会話なんてすぐに身につくよ」と言い訳する。


「それができてから口にすべきよ」とプンプン怒る日々木を宥めるように「そっちの撮影もさっさと済ませよう」と私は声を掛けた。


 すでに私は彼女が用意した新しい臨玲の制服に着替えている。

 日々木は頬を膨らませながら私のメイクの最終チェックを行い、「この映像を見て欲しいの」と自分のスマートフォンを手渡した。


「ちょっと長いんだけど」と言いながら彼女は画面にタッチする。


『初瀬さん、ファンです!』『クリスマスの奇蹟を見て泣きました!』『同じ高校に入れて感激しています!』『あの映画、何回も何回も何回も観ています』


 そこには臨玲の生徒たちのビデオメッセージが映し出されていた。

 ひとつひとつのメッセージは短いが、数多くの女子生徒たちが思い思いの言葉で訴えかけている。

 スカーフの色で様々な学年の生徒であることも分かった。


 私は『クリスマスの奇蹟』でブレイク後は露出の機会を制限していることもあって、ファンの生の声には触れずに来た。

 中学や高校でも周りと壁を作っていた。

 私は私のために演技をしているので、ファンの声なんて必要ないというスタンスだった。


 日々木が画面に映り、少し拗ねたような表情で『悔しいけど、ファンです』と呟いている。

 その直後に画面に大きな文字が表示された。

 そこには『カメラを見て、『みんな、ありがとう』と言ってください』と書かれていた。


 私は日々木の方を向く。

 彼女はビデオカメラを構えてこちらを見つめていた。

 左手でセリフを言うように促してくる。

 それにつられるように私は「みんな、ありがとう」と声に出した。


 その瞬間、私は手に持っていたスマートフォンを取り落とし、両手で顔を覆った。

 絨毯にスマートフォンがぶつかるガシャンという音が耳に届く。

 悪いと思ったが目を開けることもできなかった。


 私は映画の時は役になりきって演じているが、普段は初瀬紫苑という女優の役を演じている。

 人前では常に。

 そして、私はひとりでいることを嫌っている。

 独り暮らしということになっているが、後輩の誰かを部屋に引き入れてひとりにならないようにして過ごしている。

 私は女優の初瀬紫苑であるという意識が抜け落ちる瞬間を恐れていた。

 素の私であってはならないのだ。


 それなのに日々木の手によって私は素の自分をさらけ出してしまった。

 失態だ。

 あってはならないことだった。


「いまの映像はNGでお願い。リテイクさせて」


 顔を覆ったまま言葉を絞り出す。

 日々木がどんな表情をしているのかを見る勇気もなかった。


「お願い! 私が勝っても可恋に言うことをきいてもらう権利は放棄するから」


「……初瀬さん」


「紫苑と呼ぶことも許す! だから、お願い……」


 立っているのがやっとな私に日々木は「可恋から駆け引きを覚えろって言われたの。だから、わたしもリテイクさせてくれたならって条件をつけるね」と優しく語り掛けた。

 私は大きく息を吐く。

 強張っていた緊張がスッと解けた。


 指の隙間から日々木の顔を見ると、慈悲深い微笑みを湛えていた。

 私の視線に気づいた彼女は悪戯っぽい目で、「あと、わたしも陽稲でいいよ」と笑った。


 私と陽稲は互いの映像を相手の目の前で消し、改めて撮影し直した。

 私は初瀬紫苑として「みんな、ありがとう」とセリフを口にする。

 陽稲は「あまり違わなかったよ」と言ったが、私の中では大違いだ。

 彼女に対する撮影は次善の策と考えていた女神っぽい衣装とメイクを施し、それっぽいセリフを語ってもらった。

 神々しさを映像に残せたと思えば、それなりの出来だと言えるだろう。




††††† 登場人物紹介 †††††


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。令和元年の年末に公開された『クリスマスの奇蹟』という映画でブレイクした若手女優。同世代からカリスマ的人気を誇る。


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系の血を引き、それが色濃く出た容姿の持ち主。天使や妖精と評されることが多い。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。単に頭が良いというより圧倒的なマネジメント能力の持ち主。NPO法人共同代表を務める傍ら、いくつかのプライベートカンパニーの経営者でもある。


 * * *


『ふたりとももっと攻めてくるかと思っていたのに、やけにおとなしかったじゃない』


 夜、可恋から電話が掛かってきた。

 今日の放課後に互いをプロデュースした映像を確認しての感想だった。


『準備の時間がなかったからね』と私は誤魔化す。


『それでもよく撮れていたでしょう?』


『そうだね』と頷いた可恋は『月曜日はこの映像を流したあとプロデュースの意図の説明と自己ピーアールをしてもらって、それからアプリで投票という流れだね』とミス臨玲コンテストの段取りを告げた。


『私が勝ってもいいのね?』


『十分に盛り上がったし、新しい制服への宣伝にもなった。ひぃなや紫苑も得るものはあったんじゃない?』


『……そうね』


『だったら、勝敗は気にすることじゃないでしょ』


 彼女の口振りから私が勝利の報酬を受け取らないと言ったことを知っているかどうかは分からなかった。

 まあ、どちらでもいい。

 彼女を口説き落とすチャンスは必ず来ると思うから。


『おやすみ』と電話を切る彼女に『愛しているわ、可恋』と応える。


 隣りから「あたしにも愛しているって言ってくださいよ」という声が上がり、私は言葉ではなく唇を使って彼女を黙らせた。

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