第52話 令和3年5月27日(木)「手紙」網代漣
『今日は1日ずっと雨で、とても寒かったの。冬の防寒着はもう仕舞っていたので大変だったよ』
わたしは久しぶりに机の前で便せんに向き合った。
愛用の万年筆を使うのも1ヶ月振りだ。
手紙を書くことが趣味だけど、ここ最近はご無沙汰だった。
ゴールデンウィークは前に住んでいた浜松まで親友に会いに行った。
連休が終わると試験があり、油断していたわたしは酷い目に遭った。
そんなこんなで激動の高校生活は間もなく2ヶ月が過ぎることとなる。
『浜松でもたくさん話をしたように、こちらでは毎日驚きの連続。やはりお嬢様学校なんだって感心するようなことばかり起きるよ』
浜松では中学時代の友人が集まり、わたしは女優の初瀬紫苑の話をして来た。
もっとも食いつきの良い話題だったし、みんな知りたがった。
初瀬さんとは同じクラスだが、話す機会はこれまでほとんどない。
勇気を出して話し掛けてもスルーされたし、本当に事務的なやり取りくらいしか言葉を交わしていない。
それでも彼女の一挙手一投足がクラスの注目だし、友だち同士の日々の会話でも彼女の普段と異なる一面を見たり聞いたりしたらそれだけで自慢ができた。
そうして得られた情報を自慢げに話した。
親友の真夏には初瀬さんに相手にされていないことがバレているが、ほかの友人たちは羨ましそうにしていた。
昨日はその初瀬紫苑のプロモーションビデオが教室のモニターに映し出された。
あの初瀬紫苑のデビュー作『クリスマスの奇蹟』のワンシーンを再現したものだ。
友だちのキッカがこの映画を見たことがないと言うので、昨日はその後ひよりの家に集まって鑑賞会をした。
ひよりは母親の再婚で急にお金持ちになった子だ。
かなりの豪邸に住んでいるけど、全然お嬢様っぽくない。
本人はいまだに現在の生活に戸惑っているようだ。
だから、わたしたち一般人グループにいる。
気の優しい良い子で、ふたりでお嬢様たちの様子を「凄いね、凄いね」と言い合っている間柄だ。
わたしは真夏への手紙にプロモーションビデオの感想を書き記す。
本当は電話で伝えたかった。
話したいことはいくらでもあったから。
せめてLINEでとも思ったが、彼女の高校は間もなく前期の中間試験を迎える。
臨玲よりも進学校だし、高校の試験の大変さは身に沁みて分かったので邪魔をしちゃいけない。
だって、下手をしたら一晩語り明かしてしまいそうだし……。
『近日中にwebでも公開されるそうだから、真夏も必ず見てね。わたしが「臨玲に入って良かった」って叫んでしまうくらいの出来だから、絶対にお勧めだよ!』
初瀬さんのことだけでいつも書く量を越えてしまった。
彼女へのファンレターならこれで良いが、親友への手紙なのだからもう少し近況を記しておこう。
『ミス臨玲コンテストは予想通り初瀬さんの圧勝になりそうだけど、対抗馬の日々木さんも素敵で、健気に頑張っているよ。『クリスマスの奇蹟』に霞んでしまったものの、彼女のプロモーションビデオも格好良くて、新しい制服のデザインも魅力的だったの』
入学当初はそれほど目立たなかったものの、最近はその美少女ぶりを周囲に振りまいている。
初瀬さんや藤井さんの美しさは人間の域だけど、彼女のそれは人間離れした、緻密に計算して作り上げられたもののような域に達している。
カリスマ女優がいなければもっと騒がれていただろう。
実際に話してみるととてもフレンドリーだし、気が利いて親切だ。
初瀬さんが他者を近づけない態度を取るのと対照的で、より性格の良さが際立っている。
プロモーションビデオが流れる前までは彼女を応援しようという空気も結構あった。
だが、それを吹き飛ばすのがプロの女優の凄みかもしれない。
『世間的には暗い話題が目立つけど、学校の中は賑やかでとても楽しい感じ。鎌倉は落ち着いた雰囲気の街だし、今度は真夏が遊びに来てね』
静岡と神奈川は隣県だが、近いようで遠い。
鎌倉から東京は時間にして1時間ほどで着くが、浜松だと新幹線を使っても2、3時間くらい掛かる。
スマホで直線距離を調べてみると約4倍の違いがあった。
気軽に行き来ができる距離ではないが、夏休みになればお互いの家に遊びに行くことも可能だろう。
問題は真夏がわたしよりいまの高校の友人たちを取ることだ。
彼女もまた新しい環境で充実した日々を過ごしているようだ。
高校に馴染み、そこでできた友人関係を優先したいというのは仕方がない。
わたしだってそうなるかもしれない訳だしね。
知らない土地に来たわたしの方から真夏に連絡することがこれまで多かったのは自然なことだと思うけど、そろそろそういうことも考えなきゃいけない。
わたしは一度ペンを置き、大きく息を吐いた。
それでも、この手紙はできる限り続けていきたい。
この大切な繋がりがあるから、何が起きてもこの細い糸に頼ることができると思えるから、わたしは前向きに生きていける。
真夏の健康を気遣う結びの言葉を書き終え、文面を再読する。
マイナスの感情が文章ににじみ出ていないかしっかり確認を入れる。
臨玲では友だちもできたし、刺激的な日常を送っている。
クラスメイトすべてが良い人という訳ではないが、それはどこだって同じだろう。
ただ、嫌な感覚はあった。
わたしの家はごく普通の家庭で、裕福とは言わないが特に貧乏でもない。
これまでは経済的なことをそれほど気にすることなく過ごしてきた。
しかし、いまは周りから気遣われる立場だ。
お金持ちの子の多くは優しく、わたしを見下したりはしない。
でも、対等という感じもしない。
グループ内だけで行動が完結していればいいが、学校生活はそれだけでは済まないことが多い。
そういう時にちょっとした気遣いをされると心臓に棘が刺さったような気分になる。
キッカは気にしすぎだと言う。
きっとそうなのだろう。
ひよりはわたしとは異なる苦労を感じているようなので、わたしのこの悩みは相談していない。
恵まれているように見える人にも、その人なりの苦労というものがあると知った。
環境が違う真夏に相談しても理解してもらえない可能性が高い。
それに、中学までは普通の学校に通っていたのでわたしもほかの人たちにそういう感情を抱かせていたかもしれない。
臨玲に来て「普通」の基準に微妙な差があることに気づいた。
いろんな人がいれば、多数の意見や考え方が「普通」の基準になっていく。
いままでわたしは多数派にいたが、臨玲では少数の側になることが増えた。
それで不利益を被っている訳ではない。
それでも、不安というか居心地の悪さのようなものが拭えない。
頑張って多数派に行けるのなら……。
家の経済力は学生の自分ではどうしようもない。
それに勉強を始め様々な経験の有無がその家の裕福さと関わることも肌で知った。
優秀な家庭教師にマンツーマンで教わったり、今は無理だが世界各地を旅行したり、著名人と面会したり、刺激的な経験がいくらでもできる環境に彼女たちはある。
そういう話を聞けば素直に羨ましいと思う。
一方、小中学生時代にわたしよりも遥かに貧しくて勉強をする環境が整えられていなかった子の存在も知っている。
わたしは可哀想だと思い、わたしなりに優しく接してきたつもりだ。
それはどう受け止められていたのだろうか。
逆の立場になってようやく単純な話ではないことに思い至った。
一般人への蔑みを隠そうとしない藤井さんより、表面上だけでも親切に接してくれるお嬢様たちの方が良いとは思う。
しかし、本当にそうなのかどうかは分からなかった。
スタートラインが違うことに目を瞑り、見せかけだけの公平さの下で結果を求められるのは辛いことなんじゃないか。
「こんなこと誰に相談したらいいか分からないよ」
わたしは独り言を呟くと、フーッと息を吐く。
再び万年筆を手に取り、新しい便せんを用意する。
この心のもやもやを自分宛の手紙に書こう。
わたしは『拝啓 漣様』とスラスラと書き出す。
真夏宛てよりも長い分量を書き終えた時には既に日付を越えていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
田辺
飯島
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。中学時代に母が再婚するまではかなり貧しい生活を送っていた。現在は漣たちよりワンランク上の富裕な家に暮らしている。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。同世代に人気のカリスマ女優。事務所が借りたマンションに暮らし、給料は本人曰くスズメの涙ということだが普通の高校生のお小遣いよりはかなり多い。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア系美少女。家庭環境は漣たちと同程度だが、多額の資産を持つ祖父が溺愛しているのでお金にはあまり困らない。
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