第79話 令和3年6月23日(水)「新入部員」湯崎あみ
ついに文芸部に新入部員が入った。
入ってしまった。
つかさとふたりきりのイチャイチャラブラブな毎日がこれで終わりを告げることになる。
イチャイチャラブラブはわたしの妄想の中だけでのことだから、現実には何の変化もないのだけれど……。
それでも、つかさが私だけを見るということはなくなってしまう。
これまでは――部活中に限ってではあるが――わたしのことを誰よりも最優先に考えてくれたのにもうそんなことは望めなくなった。
新しく入った1年生のみるくちゃんは色白でぽっちゃりした女の子だ。
舌足らずな話し方が印象的で、母性本能をくすぐるのかつかさは入ったばかりの彼女の面倒を積極的にみている。
「つかさ先輩って素敵ですね。何でも知っているんですねぇ」
いまも部室で隣り合わせに座ってつかさが文芸部の活動のことや現在関わっている生徒会関連の仕事のことを説明している。
今日の鎌倉は過ごしやすい気温だが、だからといってそんなにぴったりくっつくこともないだろうと思いながらわたしはふたりの様子をうかがっていた。
「えー、あたしなんてまだまだだよ。先輩はもっと凄いから」
「そうなんですかぁ」とみるくちゃんは一瞬わたしに視線を向けるが、すぐに「でも、そんな風に謙遜できるなんて素敵です!」と再びつかさに顔を近づけた。
わたしが1年以上の時間を掛けて少しずつ少しずつ距離を詰め、ようやく触れ合える近さまで接近したのに、この1年生は会ってすぐにわたしと同じ間隔まで踏み込んでいる。
つかさもそれを受け入れてしまっている。
彼女は元からそういうことをあまり気にしない子だった。
むしろわたしが彼女との距離感に戸惑い慣れるのに要した時間だったと言えるだろう。
わたしは少し離れた席に座り、本を読む振りをしながら彼女たちの様子を盗み見ていた。
自分のヘタレさ加減にウンザリしながら……。
「あの初瀬紫苑さんとお知り合いなんですね。やっぱり先輩は凄いですぅ」
「知り合いって言えるかどうか……。名前を覚えてもらっているかどうかも怪しいから」
つかさは後頭部に手を当てて自嘲する。
初瀬さんとは何度か顔を合わせているが、わたしも似たようなものだろう。
みるくちゃんはつかさの言葉を華麗にスルーして、「初瀬さんってどういう人なんですか?」と興味深そうな目を向けた。
「綺麗な人だけど、それ以上に近づきがたい感じの人かなあ。……先輩はどう思いました?」
「え? 何?」と小芝居を入れてから、改めてつかさの質問に「他人との壁をすごく作る人だね。認めた相手なら親密そうになるみたいだけど」と応じる。
「分かります! 先輩もそうですもんね」とつかさが目の前で手を合わせた。
いきなりつかさに自分のことを指摘されて身体が固まった。
確かにわたしは人見知りなところがあって、親しくない人とは当たり障りのない会話しかできない。
そういう性格を悟られないように気をつけてはいるものの、観察眼の鋭い人には気づかれてしまうレベルだろう。
わたしは気恥ずかしくなって顔を赤らめ俯いてしまった。
「つかさ先輩って凄いですねっ」という褒め称える声と「そんなことないよ。いつも一緒にいる人のことなんだから分かって当然だよ」と照れくさそうな声が耳に届く。
みるくちゃんは語彙は乏しいものの、つかさを褒めて褒めて褒めまくる押しの一手で懐に入り込んでいる。
わたしも頭の中ではつかさへの美辞麗句をこれでもかと浴びせているが、声に出さない限りその思いは伝わらない。
どれだけボキャブラリーが豊富でも、ちゃんと言葉にしなければ意味がないのだ。
みるくちゃんの「眼鏡がとっても似合っていますぅ」というセリフも「笑顔が素敵でキュンキュンしますぅ」というセリフもわたしが言いたかったものだ。
わたしが上目遣いでふたりの様子を観察すると、みるくちゃんと目が合ったような気がした。
しかし、すぐに彼女はつかさにすり寄っていく。
「つかさ先輩はどんな本を読むんですかぁ?」
つかさは「なんでも手当たり次第に読むけど、いちばん好きなのは恋愛小説かな」と少し恥じらいながら答えた。
うっとりした顔でみるくちゃんは「素敵ですぅ」と相づちを打ち、「お勧めを教えてください」とおねだりする。
わたしとつかさだと片方が一方的に聞き役に回ることはない。
相手が読んだ本を貶したりはしないが、これも良かったよ的な情報を惜しみなく与え合うのが普段のやり取りだった。
一方、みるくちゃんは相手を乗せるような対話術で、つかさは話すことが楽しくてしょうがないという顔になっている。
褒められた時よりも嬉しそうで、その顔は赤く染まり目はとろんとしているようにわたしからは見えた。
……どうしたらいいんだろう。
卒業してしまった先輩の顔が脳裏に浮かぶ。
キリッとしていてかっこ良かった先輩。
彼女なら自分の想いを遂げるためにあらゆる手を講じただろう。
年齢では出会った頃の先輩をいまのわたしは上回っているが、精神面ではいまだに足下にも及ばない状態だ。
わたしはつかさとの平穏な日々がずっと続くと信じていた。
嘘だ。
終わりが来ることも、こんな展開になることも予想はしていた。
それが怖くて目を瞑っていただけだ。
成長を求めず、変化を求めず、この日常が続くという幻想に逃げ込んでいただけだ。
そのツケがいま回ってきた。
わたしの自業自得なのだ。
ポツンと離れた席に座り、仲が良さそうなふたりの姿を見つめることしかわたしはできない。
みるくちゃんに勝てる気がしない。
こんな光景を見るために部室に通うのなら、もう引退してしまおうか。
そんな思いが頭を過ぎった。
「みるくちゃんはどんな本を読むの?」
さすがに語り過ぎたと反省した様子のつかさが後輩に話を振った。
みるくちゃんは「あたしですかぁ」と語尾を伸ばしたあと、「あたし、百合小説が好きなんですぅ。憧れますよねぇ、ああいう世界」とニッコリ微笑んだ。
あたしは息を呑む。
驚きというか強い衝撃を受けたが、それよりもいまはつかさがどう答えるのかに関心があった。
耳を象並に大きくしたつもりで神経を研ぎ澄ませる。
一言一句聞き逃さないように。
「そうなんだ。あたしもいちど読んでみたいな。お勧めってある?」
「お勧めですかぁ。物語の中もいいですけど、実際に体験してみるのがお勧めかもしれないですぅ」
ここって「じゃあ、わたしと体験しよう」って名乗り出る場面だよね?
……できないけど。
つかさがこちらに視線を向けた。
わたしはもう本を読む振りができず、ふたりを凝視していた。
目と目が合う。
マスクの下で何か言おうと口を動かすが、頭の中が真っ白なため言葉が出て来ない。
手が届く距離なら強引に抱き締めたのに。
我に返って咳払いをしたつかさは、「こればっかりは相手がいないとね」とみるくちゃんに顔を向けて答えた。
みるくちゃんは不満そうな顔になったが、すぐに微笑んで「あたしならいつでもお相手になりますよぉ」と冗談めかして言った。
……本当に冗談だよね?
帰り際につかさから「さっき思い詰めた表情をしていましたよね? 何かありましたか?」と訊かれた。
引退のことを考えていた時だろう。
わたしは「べ、別にたいしたことじゃないよ」と誤魔化す。
引退している場合ではない。
先輩の顔を思い浮かべて勇気をもらいながら、わたしはつかさの相手に立候補するタイミングをうかがうのであった。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。自分が入部した時にいた先輩のことを尊敬し憧れている。彼女はつかさと入れ替わるように引退してしまった。
新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。読書家で好奇心旺盛。
嵯峨みるく・・・臨玲高校1年生。文芸部の新入部員。紫苑とは別のクラスのため話したことはない。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。有名な若手映画女優。
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