第39話 令和3年5月14日(金)「高校生になったことを思い知らされた1日」日々木陽稲

「1日48時間欲しいよ」


 学校へ向かう車中で、わたしはいつものように可恋と純ちゃんに挟まれて座っている。

 今日は雲は多いが朝からグングンと気温が上がっている。

 陽差しが苦手なわたしにとっても、寒いのが嫌いな可恋にとっても快適な天候だと言えるだろう。


「1日って72時間じゃなかったっけ?」と済ました顔で言ったのは可恋だ。


 彼女はどこをどうやって時間を作り出しているのか不思議に思うほど膨大な活動を平然と行っている。

 睡眠時間はしっかり取っているし、身体を動かす時間も十分に確保している。

 その上、学業、NPO法人代表としての仕事、新しい生徒会の準備、家事、趣味の読書、情報収集に自分が興味を持っていることの勉強、トレーニング理論の研究も行っているし、いろんな人たちと連絡も取り合っている。

 実は3人いると言われても信じてしまいそうだ。


「可恋の真似はできないけど、もう少し効率良くやらないと……」


「クリエイティブな活動は時間の制約とは相性が悪いからね。あまり効率重視になってもいけないんじゃないかな」


「そうだけど……」


 わたしは今日から始まる中間試験の勉強の傍ら、月末のミス臨玲コンテストで発表する新しい制服のデザイン作りに頭を悩ませてきた。

 最初はまったく新しい制服を考えていたものの、臨玲高校のブランドイメージ作りとセットにするという考え方を可恋から示され考え直すことにした。

 刷新するのではなく継承する。

 そうすればOGや生徒の保護者にも受け入れてもらいやすくなるかもしれない。


 そこで参考にしたのが1枚の写真だ。

 わたしの祖父である”じぃじ”にお願いしてデジタルデータとしたものを送ってもらった。

 それは戦前に撮影された”じぃじ”の母の臨玲高校在学時の白黒写真だ。

 生粋のロシア人である曾祖母の美しさが際立つもので、彼女は臨玲の制服に身を包んでいた。

 その後の想像を絶するような苦労話を聞いたあとでは、まだそんな未来が来ることを知らない彼女の無垢な表情に何とも言えない気持ちになる。


 その写真をAIによるデジタル処理でカラー化した。

 いまの臨玲の制服と大きくは変わらないが、マイナーチェンジは何度も行われてきたようで細部に違いが見られる。

 何よりモデルが良いせいかその写真の中の制服はいまのように野暮ったく感じなかった。


 学校の制服である以上、多種多様な生徒が身につける前提なのであまり尖った作りにはできない。

 そこを襟のラインや腰の飾りベルトをオプションにすることでカバーすることにした。

 その分、制作コストや製品化の難しさといった問題が生じるがまずはプロトタイプの作成を優先させる。


「とりあえずデザインは完成したから、次は実際の試作品作りだね」


 わたしはあえて明るく可恋に言ったが、ここからが大変なことは分かっている。

 イメージした通りに服が完成するなんて決して容易いことではないのだ。

 これからは試行錯誤の連続になるだろう。

 出来上がったものがイメージに合うかどうかをチェックし、合わない部分をどう修正するのかという手間の掛かる作業が続くことになる。


「桜庭さんが日本にいてくれて助かったね」と言った可恋の声には安堵の響きがあった。


 桜庭さんは雑貨輸入商として東南アジア各国を飛び回っている人だ。

 コロナ禍でも仕事のために海外を訪れることがあり、いまは隔離期間等があって一度出国するとなかなか帰国できない状態だ。

 帰国しても二週間の待機が必要だしね。

 彼女はアパレル業界で顔が広く、やり手として知られている。

 若手ファッションデザイナーのためのファッションショーを企画し、それをわたしたちが見学したことがきっかけで知り合いになった。

 今回臨玲高校の制服作りにも協力を快諾してもらい、彼女とその友人でデザイナーの醍醐さんがわたしをサポートしてくれている。


「桜庭さんがいなければ可恋の負担が増えていたよね」とわたしは恐縮する。


 まだまだわたしひとりでできることは少ない。

 可恋の助けがなければ、一高校生の範疇でしか動けない。

 彼女のように、このためにプライベートカンパニーを立ち上げるなんて思いもつかなかっただろう。


「そうなったらそうなったで動いてくれる人を探すだけだから」


 可恋はなんでもないことのように微笑んだ。

 しかし、そんな風に動けて信頼できる人を探すことだって大変なはずだ。


 そんな話をしているうちにハイヤーが臨玲高校に到着する。

 可恋が警戒をしていた高階さんが学校を去ったいま電車通学をしても大丈夫なはずだが、ハイヤー通学が続いている。

 もちろん新型コロナウイルスの感染リスクを考えれば満員電車を避けるという判断は間違っていないだろう。

 それ以前に可恋が電車を好まないという理由の方が大きそうだが……。


 新館に立ち寄って今日の予定を確認してから教室に向かう。

 中間試験の間も新館のカフェで食事を摂る予定だ。

 昼食を作る時間を省くことができるし、上の階のスペースは勉強や仕事を快適に行うことが可能となっている。

 セキュリティも万全で、理事長さえ事前の予約なしには入れないと可恋は胸を張っていた。


 難点は新館から教室までが遠いことだ。

 可恋や純ちゃんはわたしの歩くペースに合わせてくれるが、ふたりに迷惑を掛けたくなくて早足になってしまいがちだ。

 さすがにこれで疲れるとまでは言わないが、教室にたどり着くとホッとして大きく息を吐いてしまう。


 教室の中は試験当日の朝とは思えないほど緩い雰囲気だ。

 普通にお喋りをしている生徒も多い。

 正直、これで良いのかなという気持ちになってしまう。

 中学3年生の時は学級委員としてクラスメイトの間に勉強するムードを作ることを心掛けていた。

 もう高校生なのだから自分の力で勉強へのモチベーションを高めるべきかもしれないけど……。


 今日の最初の科目は”コミュニケーション英語”だ。

 以前は英文読解と言われていたそうで、英文法が中心の”英語表現”の科目と対になっている。

 わたしは日本語が話せないキャシーとの会話は苦も無くこなせるようになった。

 文法にはやや苦手意識があるものの英会話なら自信がある。


 そんな思いで挑んだ高校生活初めての定期試験は問題文を見て声を上げそうになった。

 ……え、何これ。

 びっしりと印刷された問題文。

 その要所要所を和訳したり要約したりする問題が並ぶ。

 その量の多さを目の当たりにして、先に全体像を把握することにした。


 ……うわ、後半は応用問題だ。

 楽勝モードは吹っ飛んだ。

 時間内に最後までできるかどうかも定かではない。

 わたしは余計なことは考えず、ひたすらシャープペンシルを走らせる。

 もっとも得意な英語でこれだとほかの科目は準備不足じゃないかという不安が頭を過ぎったが、いまはそれどころではない。


 最後の問題の答えを書き終えたタイミングでチャイムが鳴った。

 わたしは息も絶え絶えに机の上に突っ伏した。

 恐るべし、高校。

 わたしは初めて自分が高校生になったことに気づかされたのだった。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。ロシア人の曾祖母の血を引き、彼女自身ロシア人のような風貌をしている。将来の目標はファッションデザイナー。なお、曾祖母の母はロシア貴族で、ロシア革命から日本経由で他国に渡ろうとする最中、娘を産み落とし結果的に日本に定住することになった。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。次期生徒会長。類い希な集中力の持ち主で頭脳明晰。その能力はテストなどより研究や仕事でさらに発揮される。


安藤純・・・臨玲高校1年生。陽稲の幼なじみ。競泳選手で、それ以外のことにはほとんど興味がない。


桜庭・・・本業は雑貨輸入商だが非常に手広く事業を行っている。フットワークが軽く、便利使いされることもあるがそのネットワークは高く評価されている。可恋のNPO法人設立に協力するなど他業種にも参画し、若者への投資を惜しまない。


醍醐かなえ・・・桜庭の友人でOL兼業のファッションデザイナー。

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