第38話 令和3年5月13日(木)「テスト前」森薗十織

 季節が1ヶ月戻ったかのようだ。

 鎌倉は厚い雲に覆われ、降ったり止んだりの一日となっている。

 明日から高校に入学して初めてとなる定期試験が始まる。

 なのに、教室内には試験前特有の緊張感は欠片もなかった。


「こういう時こそしっかり勉強するのよ」


 わたしがそう話し掛けるとサイドテールにした少女が「うん」と自信なさげに頷いた。

 入学して1ヶ月と少し。

 この高校でできた唯一の友人だ。


「高校受験が終わってまだ浮かれている連中を置いてきぼりにするくらいしないと」


 わたしは周囲を見回してから小声で囁く。

 休み時間に教科書やノートを広げているのはわたしたちくらいだ。

 これならクラスで1番も夢ではない。

 いや、学年トップなんてこともあり得るかも……。


「蘭花も成長しなくちゃダメよ。わたしみたいに」


 彼女は可愛らしい外見をしているが気弱な性格だ。

 クラスメイトたちが次々グループを作っていく中で彼女はポツンとひとりでいた。

 ほかの生徒と馴染めない感じがしたわたしは彼女に声を掛け、以来一緒に過ごすようになった。


 正直、この高校に入学したことは失敗だったと思っている。

 本命はもっと偏差値の高い進学校だった。

 周りは厳しいと止めたが、わたしは絶対に合格すると確信して受験に挑んだ。

 不合格になったのは採点ミスがあったせいだ。

 それなのに誰もそれを真面目に取り合ってくれなかった。


 中学受験の時もそうだった。

 たくさん受けたのにことごとく落ちた。

 陰謀に巻き込まれたのだ。

 いくつかの試験は手応えがあったのに、わたしを合格させないという力が働いたのだ。


 大学受験では有無を言わさない成績を上げて有名校に合格してやる。

 そんな思いを抱いているのにこの高校の授業は低レベルで、受験に役立ちそうにない。

 クラスメイトも試験前なのにこの有様だ。

 気を抜くと足を引っ張られそうで、嫌になってしまう。


「……私立中学出身だからって何よ」


 わたしは忌々しげに呟いた。

 クラスメイトの多くが私立中学出身者だ。

 話しているとかなりの頻度で自分がいた中学との比較になる。

 公立中学出身のわたしからするとそれなりに立派な高校という感じなのに、施設がみすぼらしいだとか華やかさに欠けるだとか彼女たちの言葉の端々に見下す傾向があった。

 それが、わたし自身を蔑んでいるように思えたのだ。


「何か言った? 十織とおるちゃん」と蘭花が聞き返したが、わたしは「別に」と何でもない態度に装う。


 蘭花はふわふわした砂糖菓子のような女の子だ。

 彼女もまた私立中学出身である。

 友だち関係で上手くいかず、エスカレーターで高校に進学するのではなく外部を受験したと聞いている。


 幼い感じがする彼女の手が視界に入り、綺麗に手入れがされた爪に目が引きつけられた。

 わたしの短く切っただけの爪とは大違いだ。

 公立中学にもこういうケアをしていた子はいたと思うが、なんとなく格差のようなものを感じてしまう。


「とにかく、書いて、書いて、書いて覚えるのよ」


 わたしはシャーペンを固く握ってペン先をノートに叩きつける。

 ひたすら書くというのがわたしの勉強法だ。

 ノートがわたしの字で埋まっていき、自分の努力の跡としてハッキリ分かるのが好きだった。

 蘭花の手はもっと汚れないといけない。

 わたしの手のように。

 女の子らしさなんて必要ないのだ。


「効率悪そうなこと、しているのね」


 上から目線でそう言ったのは、知らないうちに近寄ってきていた西口だ。

 彼女は学級委員だからか、時々わたしたちに口を挟んでくる。


「余計なお世話。黙っていて」


 睨みつけるわたしを鼻で笑った西口は「自分ひとりでするのは構わないけど、他人を巻き込むのは見ていて可哀想だもの」と引こうとしない。

 彼女も公立出身で、最初の自己紹介では堂々とそれを公言していた。

 だから仲良くなれるかと近づいてみたが、この性格だ。

 仕切りたがりな上、他人のやることにすぐケチをつける。

 最低の女だ。


「蘭花も余計なお世話だと言ってやりなさい」

「染井さんはそんなこと言わないよね」


 わたしと西口との間で板挟みになった蘭花は俯いて黙り込んでしまった。

 それを見て、「勉強の邪魔だから!」とわたしは大声で怒鳴りつける。


「ごめん、ごめん」とへらへらした顔で謝ると、彼女は「じゃあ、こうしない? 今度のテスト、あなたの方が成績が良ければもう二度と口出ししない。逆にこっちが良ければ勉強法を押しつけないって約束するというのは」と提案してきた。


「いいわ。受ける」とわたしは即答する。


 蘭花が少し顔を上げ、心配そうにこちらを見た。

 わたしは親指を立てて微笑んでみせた。

 西口は単願で臨玲を受験したと聞く。

 単願だとかなり低い偏差値でも合格できるので、彼女もその口だろう。

 思い上がった彼女の鼻っ柱をへし折る姿を想像して笑いがこみ上げてきた。


 西口はそんなわたしを見て肩をすくめ、「約束よ」と言って去って行った。

 蘭花は「西口さん、自信がありそうだったよ」と不安そうにひそひそ話す。

 わたしは「本当に勉強ができるってどんなものか見せてあげるわ」と大見得を切った。


 その後の時間は上機嫌で過ごしていたが、帰る間際になって懸念材料に思い至った。

 蘭花が一緒に帰ろうとやって来てもわたしは椅子から立ち上がることができない。


「西口って市会議員の娘だって言っていたよね」


「そうだっけ?」と蘭花は首を傾げるが、「確かそう言っていたの。あいつ、圧力をかけて成績を操作するつもりなのよ」とわたしは奥歯を噛み締める。


 蘭花は「まさか」と信じようとしないが、この学校の生徒の多くが勉強しないでいられるのは試験の成績を金で買えるからだ。

 お金さえ積めばどんな大学にだって入れるのが現実だ。

 わたしのようにコツコツ努力する人間はそういうズルい人たちによっていつも不利益を被っている。


十織とおるちゃんのお家もお金持ちだって話していたよね?」


「うちはそんなことしないから!」と大声を出すと、蘭花は「ごめんなさい」と涙目になった。


「わたしは自分の努力で成長しているの。ほかの子といっしょにしないで!」


 クラスメイトたちがこちらを見たが気にしない。

 わたしはどんな陰謀にも屈しない。

 文句がつけられないほどの成績を取ればいいだけだ。

 最後には必ず正義が勝つ。

 わたしが負けるはずはないのだから。




††††† 登場人物紹介 †††††


森薗十織とおる・・・臨玲高校1年生。私立中学受験に失敗し公立中学に進学した。高校受験でも本命に落ち、二次募集で臨玲に入学した。


染井蘭花らんか・・・臨玲高校1年生。私立中学で人間関係に問題があり、外の高校に進学することにした。おとなしい性格の持ち主。


西口凛・・・臨玲高校1年生。親の反対を押し切って臨玲高校に進学した。公立中学出身。自ら立候補して学級委員を務めている。

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