第187話 令和3年10月9日(土)「インタビュー」日野可恋
『インタビューですか』
私が代表を務めるF-SASにその依頼が来たのはまだ緊急事態宣言が解除される前の9月のことだった。
過去に何度かメディアの取材に応じたことはある。
十分に話す時間を確保してもらうという条件でテレビに出演したことだってあった。
だが、基本的にメディア対応は私ではなく共同代表の篠原アイリスさんに任せていた。
彼女は有名アスリートだし、メディアに対する受け答えにも定評がある。
それに私は母の七光りで代表に就いているように思われているので、名指しでインタビューの対象として指名されることはこれまでなかった。
『平岡薫さんよ。日野さん、好きだと話していたでしょ?』
『額田さん、よく覚えていましたね』
平岡薫さんは私が敬愛するミステリ作家だ。
それを公言している訳ではないが何かの機会にそう話したことを額田さんは覚えていてくれたようだ。
額田さんは桜庭さんを通じてF-SASに入ってもらった人で、仕事上の有能さは際立っている。
特に人を使うことに長けていて、いまでは彼女抜きにはF-SASが回らないほどだ。
『喜んでお引き受けしますとお伝えください』と私は答え、電話でのやり取りを終えた。
それからひと月ほどが経ち、待ちわびていた日を迎えた。
写真撮影もあると聞いて張り切るひぃなに、「臨玲の新しい制服をアピールする良い機会だから」と制服を使ったコーディネートを頼む。
彼女には時々とんでもないファッションを提案されるので、自衛する手をあらかじめ用意しておく必要がある。
髪やメイクも制服に合った「学生らしさ」の範囲内にしてもらい、私は東京の出版社へ向かった。
豪華なハイヤーで乗り付けたのは学生らしくなかったが、この辺りはお嬢様学校である臨玲らしさだと理解してもらうほかない。
受付で入館証をもらい、応接室に歩を進める。
軽やかな足取りのまま入室すると、すでに平岡さんは担当の編集者と思しき人とともに待っていた。
著作に掲載されている著者近影で何度もお見かけしている方だが、実際に会うと可愛らしい女の人という印象だった。
作品は知的にして緻密。
トリックも人物描写も高いレベルで、”ミステリの女王”と評されることもある。
だが、こうしてお会いする限りでは特別なオーラのようなものは感じられなかった。
挨拶と名刺の交換を終えると、編集者の女性による写真撮影が行われた。
マスクを外して、ひぃなから合格点をもらった笑顔を浮かべる。
初めて
対面で着席し飲み物等を用意してもらって、いよいよインタビューの開始だ。
応接室はごく普通の造りだが、有名な作家のサイン色紙や本が並んでいて読書家にはたまらない場所だった。
その上、ずっと好きだった作家の前なので若干緊張の面持ちになる。
そんな私を気遣って平岡さんは雑談から会話をスタートさせた。
「素敵な服装ですね」
「ありがとうございます。私が通う臨玲高校がこの秋から新しい制服に切り替わることになり、それをアピールできればと思って今日は制服で来ました」
「臨玲って女子高ですよね? いまは女子高でもスラックスの制服があるんですね」
私は臨玲高校の理事も務めているので、これも仕事の一環だ。
新制服のユニークさをセールストークした上で、「臨玲高校は初瀬紫苑さんの入学を機に生まれ変わろうとしています」と食いつきやすいネタを振る。
「初瀬紫苑さんには映画化した私の作品に主演していただきました。幸い映画は多くの方に楽しんでいただけているようで、私もたいへん喜んでいます。初瀬さんとは対談も行ったんですよ」
「映画は観ました。とても素晴らしかったです。原作はとても魅力的でしたが、映画も原作に匹敵するものだったと思います」
VIP席のある映画館でひぃなと観賞したが、忙しいはずなのになぜか紫苑もついて来た。
主演女優が撮影秘話を語る横で観るというのは贅沢すぎることだが、私はストーリーを知っていたから良かったもののネタバレを聞かされたひぃなには不評だった。
私は話半分という感じで聞き流しながら映画に集中していたが、ひぃなが怒るのも無理はなかった。
「初瀬さんとの対談も楽しく読ませていただきました」と告げると、平岡さんの瞳がキラリと輝いた。
「初瀬さん、高校で出会った人から影響を受けたと仰っていたんです。とても意外だったのでどんな人なのか尋ねたのですが、答えてくれませんでした」
今度は私が目を細める番だ。
どうやら単にF-SASの活動に興味があってインタビューを申し込んできた訳ではないようだ。
私が「そうなのですか」ととぼけると、ミステリ作家は謎を解明した探偵のように微笑んだ。
「臨玲高校は関東の名門です。そこで何かあれば広く伝わるものですよ」
私立高校の内幕は私ですら探るのが容易ではなかった。
それを短期間でやってのけたということはかなりの情報網があるということなのだろう。
室内に緊張感が走ったタイミングで編集者が本題に入るように指示を出した。
「F-SASは女子学生アスリートを支援するNPO法人だと伺っています。その共同代表を務める日野可恋さんはご自身も空手家であり、またトレーニング理論の研究者でもあるとお聞きしています。日野さんはこの活動を通じてどういった目標を目指していらっしゃるのでしょうか?」
「そうですね……」と私はF-SASのホームページにも掲載している理念を語る。
だが、通り一遍の回答では満足しないようで、かなり突っ込んだ質問が平岡さんから飛んで来た。
F-SASの活動や学生スポーツの現状などへの深い理解からの質問だけに私も熱を帯びて話し始めた。
「……アスリートに限らずすべての人に対して、AIを利用してその人に適したトレーニングメニューを提示できないかと考えています。いまでも可能ではありますが、まだデータの質や量が乏しくて精度が低いものしかできません。またAIが提示した内容を分かりやすく伝える技術も不十分です。それらを高めていくことによって、F-SASの活動から得られたものを社会に還元できればと考えています」
「壮大な目標ですね」
「私ひとりの力では到底叶いませんが、多くの人の協力があれば実現に近づくと思っています。更に誰もが自分のレベルに応じてスポーツをプレイする環境作りへと繋がっていくことを期待しています」
社会人になると取り組めるスポーツの種類が限られたり、時間やお金の面でハードルが高かったりする。
適度の運動が身体に良いと言われていても、ほとんどの人は運動不足に陥っている。
その改善は果てしない道のりだが、大きな社会貢献となるものだ。
「いまの高校生で貴女のように社会の問題に目を向けている人は珍しいのではないでしょうか?」
「どうでしょう。私の場合、母の影響は大きいと思います。母と同じ方法では敵いません。だから、私なりのアプローチを目指しています」
「日野さんのお母様は著名な女性問題の研究者である日野陽子教授ですね。やはり日頃からいろいろな教えを受けていらっしゃるのですか?」
「いえ。家の中ではごく普通の母と娘だと思います。学者としての母の考えは著作や論文を通じて知ったものがほとんどです」
「お父様も有名な方ですよね」
平岡さんの口調の中に挑発的な意図が含まれているようには感じなかった。
しかし、私の両親が離婚しているのはかなり知られていることだ。
ここまで私のことを事前調査している作家が知らないはずはない。
「私が産まれてすぐに離婚しましたし、父とはほとんど会ったことがありません」
「そのことについて、何か思うことはありませんか?」
畳み掛けてくる平岡さんに「まったくありません」と私はピシャリと言い切った。
少しキツい言い方になってしまったが、彼女は動じた様子もなくサラリと話題を変えた。
その後は私がファンだという話になり、持参した著作にサインを入れてもらった。
別れ際に父のことを訊いた意図を尋ねた。
話してくれないかと思ったが、彼女は「気に障ったならごめんなさい」と謝ったあとで「母子家庭というと世間のイメージは『可哀想』みたいな画一的なものだけど、実際は当事者ごとに捉え方は異なるでしょう。100人いれば100通りの考え方がある。だから機会があれば聞くことにしているの。そうすることでリアリティのあるキャラクターを生み出せるんじゃないかと思って」と答えた。
「我が家はかなり外れ値ですよ」
「平均を描けばいいって訳じゃないから。むしろ外れ値ほど興味が湧くものよ」
その瞳には好奇心が宿っているようだ。
私は「興味を持っていただけたのなら協力を惜しみませんよ」と微笑む。
こっそりモデルにされるより、情報を渡す代わりにこちらの意見も聞いてもらった方が良い。
そんな気持ちを汲みとった彼女は「よろしくね」と警戒心を抱かせないおっとりした笑みを私に向けた。
††††† 登場人物紹介 †††††
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。NPO法人F-SAS代表。趣味は読書。最近は多忙であまり読めていないが話題のミステリは必ずチェックしている。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。臨玲の新しい制服をデザインした駆け出しのデザイナーでもある。可恋と同居している。
平岡薫・・・ミステリ作家。最近のミステリ界では飛ぶ鳥を落とす勢いの作家。先日、初瀬紫苑主演で彼女の原作の映画が公開された。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。若者に絶大な人気の映画女優。これまでは若者向けの映画に出演したが、今回は大人向けだったのでその演技力が再評価された。
日野陽子・・・可恋の母。東京の超有名大学に属する。女性問題を扱い名前も広く知られている存在。
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