第186話 令和3年10月8日(金)「地震」香椎いぶき

「昨夜の地震、スゴかったね!」


 今朝の教室の中はどこもかしこもその話題ばかりだ。

 大雨などと違い地震は突然襲ってくる。

 少しくらいの揺れなら気にも留めないが、さすがに昨夜のそれは衝撃的だった。


「おはよう。いぶきは平気だった?」


 凛が真っ先にわたしに声を掛けてきたのは、こちらの事情を知っているからだろう。

 彼女はクラス委員としての義務感からわたしの登校を待ち構えていたようだ。


「下宿は古い建物だからギシギシいってたけど、それくらいかな。むしろ実家の方が棚からものが落ちて大変だったみたい」


 わたしは親元を離れて寮のようなところで暮らしている。

 こういう非常時には心細くなるだろうと心配して凛は声を掛けてくれた。

 彼女の気遣いに感謝し「下宿には友だちがいるから案外平気」と安心させるように笑顔を浮かべると、凛は「何かあったらいつでも言ってね」と親身な言葉を残して別の生徒のところに向かって行った。


 実際、昨夜は瑠菜とずっと一緒にいたので心細さとは無縁だった。

 いつもなら就寝時間後にほかの人の部屋に行くと管理人さんに怒られるが、昨日は大目に見てもらえた。

 怯えていたというと瑠菜は抗議するだろうが、少し不安げな表情の彼女がそばにいたことでかえって安心できた。


「瑠菜って東日本大震災のこと、覚えてる?」


 わたしのベッドにふたり並んで横になる。

 残暑は続いているが夜は秋を感じさせる気温にまで下がっているので、彼女が身体をピタリと寄せてきても暑苦しさは感じなかった。

 むしろ人肌の温もりが心地よい。

 それを口にすると、ところ構わず抱きついてくることが予想できた。

 そのくらいは彼女のことが分かってきたつもりだ。


「覚えているよ。ものすごく怖くて、ものすごく泣いたの」


 10年前のことだから、いま15、6歳のわたしたちにとっては物心がつくかつかないかといった頃だ。

 瑠菜も覚えていると断言した割には朧気な記憶のようだ。


「揺れそのものより、周りの雰囲気だとかテレビの映像だとかの方が鮮明かもしれない」


「そうだね。大人の人たちのピリピリした空気は意外と覚えているものだよね」


 彼女の言葉にわたしは頷いた。

 地震の不安や津波の恐怖。

 そして、放射能というよく分からないものへの忌避感。

 当時はもちろん何も理解していなかった。

 ただ家族や幼稚園の先生たち、近所のおじさんおばさんから漂う気配が尋常ではなかったことに言葉にできない恐ろしさを感じていた。

 もしかしたらいまの子どもたちもこの1年半の社会の空気に同じような思いをしているのかもしれない。


「いぶきはどうだった?」


 瑠菜の何気ない質問に、わたしは軽く答えようとして言葉を失う。

 失語症とでも言うのだろうか。

 突然、声が出せなくなった。

 原因は分かっている。


「いぶき、もう寝たの?」と瑠菜が身体をさらに密着させてきた。


 わたしは目を閉じ、このまま寝たふりをするかどうか迷う。

 大震災があった頃に妹が生まれた。

 よく弟妹が生まれると両親を取られたように感じてしまうと言われるが、わたしの場合文字通りそうなった。

 妹には生まれつき障害があった。

 身体も弱く、産まれてから家に来るまでかなりの時間を要した。

 わたしも何度かは親に連れられて病院まで行ったが、やはりそこは退屈でぐずることが多かった。


 両親はどうしても妹のことばかり気にする。

 それは子どもながらに仕方がないことだと分かっていた。

 両親はほとんど口にしなかったが、周りは「お姉ちゃんだから」だとか「妹さんは可哀想だから」だとか言ってわたしに自覚を求めた。

 そんな中でわたしは妹の面倒を見ることで両親に自分を褒めてもらうというやり方を身につけた。

 わたしが本気で妹のことを大切だと思っていたかどうかは覚えていない。

 世話をするうちに自分が頑張らないとと思うようになったが、それだって妹の気持ちを理解した上でのこととは言い難かった。


 結局自分で自分を追い詰めてしまい、中学生になった頃にはどうしようもなくなっていた。

 義務感と罪悪感が常に心に渦巻き、息苦しい日常を過ごしていた。

 両親はもっと自分の時間を持つようにだとか好きなことを探すようにだとか言ってくれたのに耳に届かなくなっていた。

 逆に妹の世話で両親に少しでも落ち度があると激しく非難するようになった。

 わたしがこれほど頑張っているのだから、もっとしっかりしてよと。

 いま振り返ると、どうしてあんなにカリカリしていたのかと思う。

 妹だってそんなことを望んでいなかったのに。


 ここで独りで暮らしていることに罪悪感が消えた訳ではないが、離れてみて思うこともいろいろあった。

 わたしが逃げ出さなければ、家の中はさらに酷い状況になっていたかもしれない。

 そう認めていても、妹との思い出を口に出すことはまだできないでいた。


 目を開けると、瑠菜がわたしにしがみつくようにして眠っていた。

 妹とはこんな風に接したことがない。

 常に世話をする対象だった。

 もっと彼女の気持ちに寄り添ってあげられたら良かったのにと、瑠菜から教えられた気分だった。


 休み時間に漣が珍しくひとりでわたしのところに来た。

 彼女とはそれなりに親しく話すが、たいていキッカやひよりと一緒だ。

 思い悩んだ表情の彼女は「いぶきって女の子とつき合っているんだよね?」と顔を近づけて確認した。


「つき合うというか、仲が良い子ならいるよ」


 オンラインでの会議で瑠菜がつき合っている宣言をしたものの、わたしと瑠菜との距離感はそれ以降もあまり変わっていない。

 昨夜のようなことが起きればともかく、普段は節度を持って接しているつもりだ。


「親友と恋人って何が違うの?」


 いきなり深い質問が飛んできてわたしは戸惑う。

 とはいえ漣は真剣な顔つきなので、サラリと流すのも悪いような気がした。


「人によって捉え方は異なると思うけど……。この人のためなら何だってしてあげられると思ったら恋人なんじゃないかな」


 ……家族に対してのように。


 そう声に出さずに頭の中だけで言葉を続ける。

 妹の顔と瑠菜の顔が思い浮かぶ。

 いまのわたしが、どちらにどれだけのことをしてあげられるかは分からない。

 ただこのふたりに何かあれば、わたしはできるだけのことをしたいと思うだろう。

 考え込む漣の姿を見ながら、わたしも誤魔化さずに瑠菜を恋人だとちゃんと言わなきゃと決意して頬を染めた。




††††† 登場人物紹介 †††††


香椎いぶき・・・臨玲高校1年生。鎌倉三大女子高の生徒が暮らす寮住まい。その3校が来年度合同イベントを開くことになり、その実行委員となった。


麻生瑠菜・・・高校1年生。いぶきと同じ寮に暮らす。ほかの女子高生とはかなり雰囲気の異なるいぶきに興味を抱き、合同イベント実行委員の会議で恋人宣言を行った。


西口凛・・・臨玲高校1年生。クラス委員長。こうありたい、こうあらねばという気持ちが強く、時としてそれを他人にも求めてしまってウザがられることがある。


網代あじろれん・・・臨玲高校1年生。特に目立ったところのない生徒だが、目下恋愛のことで悩み中。

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