第189話 令和3年10月11日(月)「演劇部」湯崎あみ
講堂の裏手、普段ほとんど足を踏み入れることのない場所にわたしはつかさと一緒にやって来た。
鎌倉の一等地にある臨玲高校は見掛け以上に敷地が広い。
その中で一般の生徒が訪れる場所は限られていた。
「こんなところがあったんだね」
緑が多く、静閑で、秋の透き通る陽光にさらされて空気も澄んでいるように感じる。
お昼にこんなところでお弁当を広げたら美味しく食べられそうだ。
3年生の仮校舎からは遠いので実行するのは難しいかもしれないが、つかさが望むなら無理をするだけの甲斐はあるだろう。
「先輩、こっちに来ることないんですか?」
「演劇部員以外は来ないんじゃないかな」
「そうかなあ。いいところなのに」とつかさは納得できない表情だが、校内をくまなく歩き回っている彼女は生徒の中でも珍しい存在だと言えるだろう。
「演劇部の部室の入口ってここかな?」
「みたいですねー」
「演劇部に友だちいるんだよね? 来たことないの?」
「部室まではないですよ。だから、とても楽しみです!」
つかさは眼鏡の奥の目を輝かせている。
屋内でも可愛いが、陽差しに照らされた彼女は3倍増しの魅力を放っていた。
このままずっとここで眺めていたかったが、そういう訳にもいかない。
わたしは引き戸をノックしてから「失礼します」とドアを開けた。
中は昼間でも薄暗いかなり広めの倉庫だった。
入口から少し離れたところに机や椅子、ホワイトボードなどが置かれている。
その周辺を除くと、演劇に使う大道具っぽいものが無造作に山積みとなっているようだ。
「いらっしゃい」と明るい声を掛けてくれたのは演劇部部長の新田さんだ。
部屋の真ん中には彼女のほかにも数人の生徒がいた。
つかさに向かって手を振っている女子もいる。
「遠路はるばる来てくれてありがとう」
新田さんの芝居がかったセリフに、「校内だし。それに調査を依頼したのはわたしたちだしね」とわたしは応じた。
先週、旧館にあった資料を調査していたつかさが昔の演劇部のチラシを発見した。
戦前にこの学校で起きた事件を基にしたらしい劇のものだった。
興味を抱いたわたしが演劇部部長に尋ねてみたところ、「調べてみるよ」と言ってくれた。
もっと時間が掛かると思っていたのに、彼女はわずか1週間で調べ上げたみたいだ。
「いまはこういう推理劇は流行っていないけど、昔は人気があったみたいだ。まだ昭和だった頃には演劇部の看板作品だったんだよ」
わたしとつかさが空いた席に着くと、新田さんが立ち上がって語り始めた。
男役として人気がある彼女の美声が倉庫内に響く。
「このチラシは初演の時のものみたいだね。演劇部にも残っていなかったからとても貴重だよ」とチラシのコピーをヒラヒラしながら彼女は身振り手振りを交える。
「この脚本を書いた本人に連絡を取りました」
そう発言したのは新田さんの横にいた生徒だ。
彼女は座ったままだったが、かなり大柄なことが見て取れた。
「時間は掛かってしまいましたが、興味深いお話をうかがうことができて良かったです」
演劇部はOGとの繋がりが強いとは聞いているが、すぐに連絡が取れるとは驚きだ。
文芸部だとわたしが面識のある1、2年上のOG以外は連絡先すら知らない。
探せば名簿はあるはずだが、情報を更新していないので連絡がつくかどうかも分からない。
「元ネタは校内にあった噂を題材にしたそうです。いまは旧館と呼ばれている建物にまつわる噂話は当時から非常に多く、それらを組み合わせて推理劇にしたと仰っていました」
「噂か……」とわたしが呟くと、新田さんは「戦前の臨玲を知る人にも聞いてみたけど、何が本当にあったことなのかまでは分からなかったよ。この件は情報収集にもっと時間が掛かりそうだ。何か分かればすぐに知らせるよ」とこれで終わりではないと告げる。
「いいの? 忙しいよね?」
新田さんはわたしと同じ受験生だし、演劇部は非常に真剣に取り組んでいる部活として知られている。
臨玲祭も間近なのでこんなことに関わっている暇なんてないはずだ。
「演劇部に関わることだから」と言った彼女は、「それに、生徒会長に恩を売れるのならやって損はないしね」と微笑んだ。
生徒会長は部活動改革に剛腕を振るい、もっとも力を持つ茶道部さえ例外扱いしていない。
一方で、生徒会に協力的なクラブには温情を与えている。
それをズルいと非難する声も聞こえてくる。
だが、この改革の荒波を乗り越えるためにできる限りのことはやっておきたいと思うのも人情だ。
特に演劇部はここ1年半にわたって公演のほとんどが中止に追い込まれている。
生徒会の助けを借りたいと思っても当然だろう。
「あと、小道具に使われていた本を探したのですが見つかりませんでした」
大柄な子が倉庫を見回しながら言った。
このだだっ広い部屋から本を一冊見つけることはかなり困難だろうと思うが、小道具の保管はかなり厳密に行われているらしい。
記録に残る本の特徴を聞くと、「それ、文芸部にあったものかも」とつかさが声を上げた。
「毎年一回はチェックしているんだけど、10年ほど前からステータスが紛失中になっていたんだ。何かのきっかけで文芸部に紛れ込んでいたのかもね」
再演の予定がないので放置していたようだ。
文芸部では本棚にある本の管理なんて一切行っていないので、恥ずかしい思いで「そうかもね」と言葉を濁すしかない。
ちなみに小道具の本はそれっぽい雰囲気の古い本を用意したというだけで、何かの謂われがあるといったことはなかったそうだ。
もちろん、その本が文芸部の部室から消失したことについて演劇部員は「まったく知らなかった」と口を揃えた。
「戦前の出来事と、いまその本が見つからないこととは無関係だと思うね」
まるで探偵のような口調で新田さんが話をまとめる。
確かにこのふたつを結び付けることには無理がありそうだ。
ただ時が止まっていたかのように放置されていた旧館に人の手が入り、その旧館にまつわる人の末裔が臨玲に入学した。
そこに潜んでいた物語はとても魅力的で、わたしはそれに触れられたことを嬉しく思う。
願わくは、つかさとこの物語のさらに深いところを紐解いていきたい。
新田さんは「受験生なのにこんなことをしていていいの?」という視線をわたしに投げ掛けたが、それを見なかったことにする。
いましかできないことだから。
受験勉強もいまやらなきゃいけないことなんだけどね。
††††† 登場人物紹介 †††††
湯崎あみ・・・臨玲高校3年生。文芸部部長。家庭教師について受験勉強は頑張っているが、もう少し真剣に取り組まなければならないという自戒の念もある。
新城つかさ・・・臨玲高校2年生。文芸部。好奇心旺盛。大手を振って演劇部の部室に入れるということでウキウキしていた。
細川
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます