第371話 令和4年4月11日(月)「昼休みの光景」日々木陽稲

「純先輩!」


 弾む声とともに伸び上がって大きく手を振る少女。

 彼女は大股で足早に近づくと純ちゃんの目前でもう一度「純先輩!」と名前を呼んだ。

 わたしの傍らに立つ純ちゃんはそれでようやく反応を見せる。

 とはいえ、わずかに頷いただけだ。

 それを見て、わたしが代わりに「こんにちは!」と挨拶する。


 純ちゃんの巨体と比べるとわたしの身体は豆粒みたいなものだが、真樹ちゃんはそれでようやく気づいたかのようにこちらに顔を向ける。

 臨玲の制服ならばスタイルの良い美少女に見られるだろう。

 水着姿になればその鍛え上げられた肉体が露わになるはずだ。

 和泉真樹ちゃん、臨玲高校1年生。

 彼女は競泳界のアイドルという異名を持つ期待のホープだ。


 真樹ちゃんのあとを追うように神瀬こうのせ結さんもやって来た。

 こちらは制服でも隠し切れない筋肉の持ち主だ。

 純ちゃんほどではないが身体の厚みが半端じゃない。


 彼女とも挨拶を交わしたあと、連れ立って新館に向かう。

 このふたりは臨玲では珍しいスポーツ推薦で入学した。

 そして、純ちゃん同様お昼休みに新館のジムを利用する許可が与えられている。


「1階のカフェは座席が少ないので予約制だけど、生徒会室に運んでもらえるので一緒に食べよう」とわたしが言うと、真樹ちゃんは文字通り飛び上がって喜んでいる。


「これから毎日純先輩とご一緒できるなんて! 臨玲に来て良かったです!」


 彼女は純ちゃんに憧れて臨玲に進学した。

 わざわざ東京からだ。

 通学の時間が無駄ということで鎌倉市内の寮母さんがいる下宿に入ることになったと聞いている。

 一方、結さんも東京の自宅から離れ、可恋のマンションの近くに居を構えた。

 三谷先生の空手道場が近いからではあるが、あわよくば可恋に近づこうという魂胆は見え見えだ。


 生徒会室はまだ誰も来ていない。

 わたしは自分の席に着き、3人は自分たちで大きめのテーブルと椅子を準備した。

 すぐに料理が運ばれてくる。

 いつもはスタッフひとりで配膳が済むのに、今日はふたり掛かりだ。

 テーブルには肉や野菜がどんどんと積み上げられていき、軽く10人前はありそうに見えた。

 純ちゃんがいつものように手を合わせてから食事を始めると、真樹ちゃんと結さんも「いただきます」と唱和してから食べ出した。


 わたしはその光景を呆然と眺めていた。

 純ちゃんの大食いは見慣れているし、結さんとも食事を同席したこともある。

 いまは戦場のような荒々しさで三人は食べ物を口に押し込んでいた。

 少しでも早く食べ、このあとのトレーニングの時間を確保したいということは分かる。

 だが、こんなに食べて動けるのかと心配になってしまう。


 そこへ真砂さんがやって来た。

 ひとりではなく後輩を連れて来ていた。

 彼女はテーブルの様子を目にして、「あちゃー」と声を上げる。


「彼女たちは食べ終えたらすぐにトレーニングルームに行くので、そのあとで良ければ……」とわたしが助け船を出すと、真砂さんは一緒に来た後輩たちを振り返った。


 テーブルではあんなにあった料理が半分以上なくなっていた。

 三人は入って来たメンバーをほとんど目に留めず、食べることに集中している。

 可恋に言わせると食べることもトレーニングの一環だそうだし、すでに練習モードに入っているのだろう。


 真砂さんと来た一年生のふたりは目を丸くして彼女たちの食べっぷりを見つめていた。

 わたしは記憶をたぐり寄せて鹿法院姫香さんと神楽坂歴亜さんだと認識する。

 鹿法院さんを生徒会に誘いたいと真砂さんが言っていたので見学に訪れたのだろう。


 そうこうしているうちに「ごちそうさまでした」と真樹ちゃんが手を合わせ、入口付近に立ったままの1年生に笑みを向けた。

 先ほどまでのアスリートの顔から一転してアイドルと呼んでもいい笑顔だ。


「意外なところで会いますね」とふたりに声を掛けた真樹ちゃんは「とっても美味しかったです!」とわたしや真砂さんに対しても愛嬌を振りまいた。


 純ちゃんが席を立った時には結さんと真樹ちゃんによってテーブルの上は綺麗に片づけられていた。

 真樹ちゃんは遊びにでも行くかのように「トレーニングに行ってきまーす!」と手を振り、純ちゃんや結さんのあとを追って生徒会室を出て行く。


 そして入れ替わるようにカフェのスタッフが料理を持ってやって来た。

 テーブル上に三人分を並べるが、先ほどとの違いに苦笑しか出て来ない。

 ……皿に埋まってテーブルの表面が見えていなかったもの。

 いまはテーブルのサイズと皿のサイズもピッタリ合っているし、皿の上の料理の量もごく普通だ。


「私も食べる方だと思っていましたが、想像を超える世界があるのですね」


「ヤバかったよねー」


 神楽坂さんと鹿法院さんがそんなやり取りをしながら食事を摂っている。

 名家のお嬢様らしく意識をしていなくてもマナーはしっかり身についている感じがする。

 優美で繊細。

 それでいて早い。

 わたしが食事を終えた頃にはもう三人も食べ終えていた。

 アスリート三人組に呆気に取られて手が止まっていた時間はあるが、それにしてもである。

 少し落ち込んだ気分を立て直すためにわたしはデザートを口に運んだ。


「この部屋は素敵ですね。機能美に優れ、とても心地よいです」


 神楽坂さんの指摘に、わたしは自分が褒められたかのように「良いでしょ。可恋の要望に添うよう、かなり念入りに作られたからね」と胸を張る。

 真砂さんは「建設したのは日々木さんの祖父君おじぎみの系列だよ」とふたりに教えた。

 祖父の”じぃじ”は地元では名士だが、彼女たちの家とは格式が違いすぎる。

 神楽坂さんは感心したように「良いお仕事ですね」と口にしたが、こういう社交に不慣れなわたしは笑みでごまかすしかできなかった。


「ところで、鹿法院さんの制服、臨玲うちのものとは違いますね」


 わたしは話題を変えようと鹿法院さんに話し掛けた。

 彼女がいま着ている制服はわたしがデザインしたものではない。

 似せて作られているのでパッと見には分からないだろうが、全体の形状が異なっていた。


「分かるぅ?」とドッキリが成功して喜ぶような声を上げる鹿法院さんに、神楽坂さんが「先輩に対して失礼です」と窘める。


 わたしは「構いません」と言ったあと、立ち上がって鹿法院さんの側に行く。

 彼女にも立ってもらい、その制服を観察した。

 背丈はほぼ同じ。

 このサイズはわたしを基準に基本のデザインをアレンジしているのだが、彼女が着ているものは標準サイズの制服の基本デザインに近い。

 そこに鹿法院さんの長いストレートの黒髪が映えるように微調整が加えられているようだ。


「これを仕立てたのは誰か教えてもらってもいいかな?」


「ミヤツコさんだよー。最近パパが連れて来た姫香の専属デザイナーなの!」




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。ファッションデザイナーとして臨玲の新しい制服をデザインした。なお身長では姫香に若干負けている。


安藤純・・・臨玲高校2年生。陽稲の幼なじみ。競泳の選手としてパリ五輪を目指している逸材。


和泉真樹・・・臨玲高校1年生。競泳選手。純よりも大会での実績はあるが、真剣に練習に取り組む純を尊敬している。


神瀬こうのせ結・・・臨玲高校1年生。空手家。昨年度の全中チャンピオン。可恋に憧れて臨玲に進学した。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。退院はしたもののまだ通学できる健康状態ではない。


真砂まさご大海ひろみ・・・臨玲高校2年生。生徒会役員。姫香を生徒会に勧誘している。昨日はふたりの茶道部見学につき合ったので今日は生徒会室を見せようと連れて来た。


鹿法院ろくほういん姫香・・・臨玲高校1年生。九条家の分家でありながら現在絶大なる力を誇る鹿法院家の姫。同母の兄のほか異母兄弟が多数いる模様。


神楽坂歴亜れきあ・・・臨玲高校1年生。美しいものが好き。彼女はすでに茶道部入りを決めていたので来る必要はなかったが、姫香と日々木先輩を鑑賞するためについて来た。


ミヤツコ・・・若手デザイナー。

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