第370話 令和4年4月10日(日)「姫香様」神楽坂歴亜
日曜の朝はパーソナルトレーナーに来てもらって、自宅にあるジムで身体を鍛えるのが中学時代からの習慣となっている。
顔の造型を変えることは高校生の身では限界があるけれども、プロポーションなら美しさを追求することができる。
……胸のサイズは思うがままとはいかないが。
私は美しいものが好きだ。
美術、装飾、絵画、風景等々あるが中でも人の美に惹かれる。
初瀬紫苑様、日々木陽稲様、藤井菜月様、鹿法院姫香様……彼女たちの容姿を眺めているだけで時間を忘れるほどだ。
そこらのアイドルを凌駕するその美しさは天から与えられたギフトである。
それを堪能することが私にとっての至福だと言っても過言ではなかった。
トレーニングが終わってラフな格好のまま昼食を摂っていると、ダイニングに姉の陽生が入って来た。
彼女はこれから出掛けるようでめかし込んでいる。
給仕が運んできたのは私の半分にも届かないような量の食事だ。
病的なまでに細い体つきに、高級だが地味めな服装。
顔の作りは悪くないのに、どこか歪みや醜さを感じさせる。
「学校ですか?」と問うと、彼女は首を横に振った。
私は鶏肉のソテーにかぶりつき、それを呑み込むまで彼女の次の言葉を待ってから「どこへ行くのですか」と質問を重ねる。
姉は機械的に行っている食事の手を止め、一度喉を潤してから「美優希様のところ」と小声で答えた。
彼女との会話は私を苛立たせる。
それでも微笑みを浮かべて「お役目ご苦労様」と労った。
そこに皮肉の色があったことは否めない。
従姉である美優希様と良い関係を保つことは母から厳命されていることだ。
野心家である母は前総理大臣の娘という存在に利用価値を見出しているのだろう。
姉はその言いつけを守っている。
そのお蔭で私はあの鼻持ちならない従姉から距離を置くことができるのだ。
「私は茶道部から招待を受けています。何か言づてがあれば伝えておきますよ」
「いい」と首を振って姉は席を立つ。
もう食べ終えたようだ。
私は時間をかけてたっぷり食べるのでまだ三分の一くらい料理が残っている。
姉が部屋から出て行くのを横目で見ながら、「デザートは茶道部でいただくことになると思います。ですので、いらないと伝えてください」と給仕に料理人への連絡を頼む。
ダイニングにひとり残った私は黙々と食事を続けた。
今日は春を通り越して初夏を思わせる気温だ。
陽差しも強く、車から校舎までのわずかの距離でも遮るものが欲しいと感じた。
茶道部の先輩方とは先日のお花見で顔合わせを済ませている。
もともと社交の場で交流もあった。
茶道部の現役部員に対しては先輩といえども圧力を感じることはない。
現在、家柄だけで言えば姉が最上位なのだから……。
彼女は茶道部と対立していた美優希様に近いので幹部に選ばれていない。
いや、単に能力的な問題なのかもしれない。
どちらにせよ、これから私が対峙するのは姉よりも遥かに厄介な相手だ。
茶道部の部室の奥に六畳ほどの畳敷きの茶室がある。
部員の中でも特定の人物しか入れないと聞いている。
そこに着物姿の女性がいた。
吉田ゆかり様。
本日の亭主だ。
その横に部長の三浦ゆめ様が制服姿で控えていた。
私はふたりを前に「本日はお招きいただきましてありがとうございます」と謹厳実直に挨拶する。
穏やかな空気の中で実のないやり取りを繰り返すうちに、もうひとりのゲストが登場した。
真砂大海様に連れられて現れたのは鹿法院姫香様だ。
私や大海様は臨玲の制服だが姫香様は色鮮やかな赤のワンピースを身に纏っていた。
夏のように鮮烈。
激しく情熱的な赤が和室とは不釣り合いなはずなのに、圧倒的な存在感を主張していた。
姫香様とはこれまでも社交の席で何度も顔を合わせている。
だが、ここまで目立つ原色を着こなしたことは記憶にない。
あまりの衝撃とそれが生み出す美しさに私は目を奪われた。
誰が見てもこの場の主役は彼女だと納得する華やかさだ。
私は興奮気味に「お綺麗です! まさに美の女神ですわ。これまでも素敵でしたが今日は特に……。いったいどんな魔法が掛けられているのでしょう?」とまくし立てた。
「パパから紹介されたのよ。ファッションデザイナーのお姉さん。ママは派手だって言うけど、ヤバいよね、これ」と姫香様は得意気にクルリと一回転した。
ワンピースの裾がふわりと舞って、美少女振りがさらに映える。
涎を垂らしそうになって私は慌ててハンカチで口元を抑えた。
ヤバいのは姫香様ご自身ですわとはさすがに口にしなかったが、そう叫び出したかった。
正座を嫌がる彼女を膝の上に座らせたいと思うほど舞い上がっていたが、上級生たちは私が落ち着くのを見計らって茶会をスタートさせた。
抹茶を嗜んだあと、いよいよ本題に入る。
姫香様と私に茶道部に入って欲しいというものだ。
過去二年、岡本真澄様と真砂大海様を生徒会に取られ三年連続となれば茶道部の威信は大きく低下する。
かつては生徒会よりも遥かに権勢を振るっていたそうだが、いまや落日の感が強い。
私は予定通りに入部を承諾した。
一方、姫香様は「大海様から生徒会にも誘われているんですよー。でも、どっちもビミョーって感じがするしー」と決めかねているようだ。
彼女は普段こうして砕けた言葉遣いをすることが多い。
入学式の時のように人前でキチンと話すこともできるが、先輩たちの前でも子どもっぽい言動を見せる。
私はそれを自分の容姿を最大限に利用した彼女の計算だと考えている。
「当然、次期部長としてお迎えします。また、極力姫香さんのご希望に沿うとお約束します」
吉田家は少なくとも臨玲高校の中では絶大な力を有している。
世俗的には
その吉田家の直系が姫香様の歓心を買うために言葉を並べている。
しかし、ゆかり様が提示した厚遇の内容はこの新入生には響かなかったようだ。
つまらなそうに小首を傾げ、話を終えるタイミングを見計らっているようだ。
「茶道部の活動をSNSにアップロードして、インフルエンサーを目指されてはいかがでしょう?」
若者にいちばん人気の職種がユーチューバーという知識から提案してみたが、姫香様は一瞬食いつくように瞳を輝かせる。
茶道部の財力や人脈を駆使して姫香様という最高の素材を世に広めるというのは我ながら魅力的なアイディアだった。
だが、彼女はすぐに俯いて「パパが許してくれないんだよねー」と落胆する。
ほかのことならまだしも、彼女の父親を説得するのは不可能だ。
鹿法院の現当主はアンタッチャブルとも言える存在である。
少なくとも小娘の意見に耳を貸すことはないだろう。
私が姫香様の隣りで肩を落としていると、これまで気配を感じさせなかった現部長がふいに口を開いた。
「それならVチューバーはどうでしょう? 運営は茶道部が行い、中の人については公表しなければ大丈夫なんじゃないでしょうか」
ゆかり様は「そういったことには詳しくないので……」と話を現役高校生に任せる。
姫香様は乗り気な様子だが「それだったら茶道部でなくても良いよねー」と言い出した。
「バーチャル茶室は映えると思いますよ。それに茶道という分かりやすいテーマがあった方がアピールしやすいでしょうし、国内のみならず海外にも推していけるんじゃないでしょうか」
私の理想は茶道部における彼女の側近の立場だ。
こんな可愛い美少女の傍らに常時いて見守ることができれば何杯だってご飯が食べられる。
彼女が生徒会入りを目指すのであれば応援するが、迷っているのなら是非とも引き留めたい。
「それでも家族の許可はいるんじゃないかな」と大海様が冷静な意見を述べた。
冷や水を浴びせられたという顔の姫香様は「パパを説得するのに協力してくれる?」とつぶらな瞳で私を見つめた。
……断れる訳がない。たとえ計算だとしても。
「分かりました。全身全霊を傾け姫香様のお力になりましょう」
††††† 登場人物紹介 †††††
神楽坂
神楽坂
吉田ゆかり・・・臨玲高校の卒業生。前茶道部部長。祖母は臨玲の理事。現在OG会の掌握に務めている。
三浦ゆめ・・・臨玲高校2年生。茶道部部長。会員制の高級旅館の跡継ぎ娘。それでも家格的には茶道部の中で低く肩身が狭い。
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