第369話 令和4年4月9日(土)「後輩」網代漣

「後輩って可愛いよね。これまで部活とかやってこなかったから新鮮に感じるよ」


 わたしの弾む声に淀野さんがボソリと「三股する気?」と呟いた。

 彼女はニヤニヤしながら、「そんなんじゃないよ!」というわたしの叫びを無視して、「後輩をたくさん侍らせてハーレムを作りたいな」と自分の欲望を口にする。

 しかし、すぐに「いたーい!」と悲鳴を上げた。


「もう、耳は性感帯なんだから引っ張らないでよ!」


「いろはは全身性感帯でしょ。なんなら身体中にわたしの名前を刻みつけてあげようか?」


 淀野さんの耳を吊り上げたひよりの表情は穏やかだが目は笑っていない。

 ふたりの痴話げんかには口を挟んではいけないという教訓を得ているわたしは見ていることしかできなかった。


「確かにあのふたり、可愛かったよね」と見かねたキッカが話を戻す。


「しかも、可愛いだけじゃなかった。あのふたりが来なかったらどうなっていたことか。終わらなくて泊まり込みをする羽目になったかも」


 キッカと泊まり込みをするのは楽しそうという思いが一瞬過ぎったが、それでもあの苛酷さを思い出すと「大変だったよね……」と彼女の言葉に同意するしかない。

 悪夢の春休み。

 人間関係以外からあんな修羅場が訪れるとは夢にも思っていなかった。

 それは、3学期終了間際に3校合同イベント実行委員が会議室に呼び集められたところから始まる。


 この委員会がスタートしたのは昨年の夏だ。

 1、2年生の十数名が参加した。

 わたしはキッカが委員になると言ったので釣られて手を挙げた。

 面倒なことが多いかなと最初は警戒していたがそんなことはまったくなかった。

 イベントは半年以上も先のことなのでやるべきことは多くなく時間にもゆとりがあった。

 アイディアを出すという名目で委員会はお喋りをする場になっていた。

 他校の実行委員との交流と称して週末一緒に遊んだり、イベントではなく素敵なお店やオシャレな雑貨の情報交換をしたりした。

 また、新館の会議室を使えるときはカフェの利用が可能だったので、その役得を楽しみにしていた。


 春休みの活動もそんな部活の延長くらいの気持ちで捉えていた。

 寮生活のいぶきのように春休みは実家で過ごすからと明確な理由を挙げて欠席する委員もいれば、休みだから学校に来るのが面倒くさいと主張する委員もいて、参加者は半数以下ということになった。

 わたしは浜松に行くか鎌倉に残るか迷っていた。

 責任感の強いキッカは「どうせヒマだし、手が足りないと困るだろうから」と毎日参加すると決めた。

 それを聞いて「わたしもそうする」と言ったのだ。


 委員会は名称は違うものの3校それぞれに設置されている。

 各校で行われるイベントの準備がメインの仕事だ。

 臨玲はファッションショーを開催する。

 だが、その設営や演出などの大半はプロの業者に任せることとなった。

 人気女優である初瀬さんに出てもらう以上、それが必要なのだそうだ。

 従って臨玲の実行委員の仕事は他校と比べて非常に少ない。

 そこでイベント全体の統轄や広報などの仕事は臨玲が担当することになった。

 そして、春休みに行われた委員会の初会合で「2週間後の4月7日に合同イベントの詳細を発表します。その準備をお願いします。なお、この期日は厳守してくださいね」と委員長を兼ねる生徒会副会長から言われたのだ。


 はじめは軽く考えていた。

 春休みが始まったばかりの頃は生徒会長代行の岡本先輩や真砂さんがいて、わたしたち委員の負担は小さかった。

 ところがこのふたりが来られなくなった。

 のちに淀野さんから事情を聞いたが、こういう家柄だと表向きの仕事のほかに大事な仕事があるそうだ。

 それは「親戚づきあい」で、高校生にもなると否応なく担当させられるらしい。

 本家の後継者の立場に近ければ近いほど周囲から厳しい目で見られる。

 ほんの些細なミスでも大きく取り上げられ、ケチをつけられると彼女は教えてくれた。

 そして、仕切っていたふたりが姿を見せなくなると途端に仕事が回らなくなった。


 まず、「何をやればいいの?」と言う委員が続出した。

 顔触れが毎日変わるから余計にそうなるのだろう。

 キッカが進捗が記されたスケジュール表を見ながら仕事を振り分けていたが、その対応に追われて自分の仕事ができなくなってしまう。

 仕事内容の説明やこれで良いかどうかの確認はわたしも手伝ったが、やり慣れていないので時間が掛かり、「いいよ、もう」なんて言われたこともあった。

 これまでの委員会とは雰囲気がガラリと変わった。

 そのため、途中で帰ったり、行けなくなったと連絡してきたりする委員も出て来た。

 仕事は進まなくなり、徒労感だけが募っていく。

 しかも、ひとつの遅れがほかにも影響し、それがさらに……とどんどん拡大してどうしていいか分からなくなった。


 春休みの半ばにはもう泥沼に沈んでいるような気持ちだった。

 足掻いても足掻いても抜け出せない。

 進捗表もどこまで正しいのか不明で、先行きは見通せなかった。

 イベント内容の発表のためには学校サイドの許可を取る必要がある。

 すぐに対応してくれる人もいたが、なかなか返事をくれない人もいた。

 連絡が約束の時間を守れなかったり、許可を急かす発言をして相手を怒らせたりする事態も起きた。

 とにかく混沌の極みだったのだ。


 夜8時には学校を追い出されるので家には帰ることができた。

 とはいえ、帰宅しても作業をしなければ終わりそうにない。

 わたしはキッカから文案の最終責任者を任命されていた。

 手紙を書くことが趣味だと知ってのことだ。

 各委員の文章力はバラバラで、家ではそれを直すことに時間を割いた。

 最初は表記の揺れや文体の違いを統一したいと考えていたが、そんな余裕はすぐに失われる。

 読んで意味が分かるという最低ラインのための手直しで精一杯となり、自分で一から書いた方が早いと思ったことも一度や二度ではない。

 そうして苦労に苦労を重ね修正した文章がやり直しを求められて頭を抱えることもあった。


 受験勉強よりも闇に包まれているように感じていたわたしに光明を差し込んでくれたのは友人たちだった。

 真夏は鎌倉まで手伝いに行こうかと言ってくれたが、さすがに彼女に手伝わせる訳にはいかない。

 ひよりは自身が不慣れな「親戚づきあい」で精神的に参っていたはずなのに毎晩わたしの愚痴を聞いてくれた。


 キッカはわたし以上に重圧にさらされていた。

 面倒見が良くリーダーシップもある彼女は今回の作業の責任者と見なされた。

 わたしにはキッカを助けるゆとりがなく、彼女もまたわたしに気を配る余地がなかったようだ。

 それでも顔を合わせるたびに「漣が頑張っているんだから自分も負けていられないよ」と己を奮い立たせていた。


 終わりは見えないのに締切が切迫していく。

 逃げ出したいと思うのに朝は重い足取りで学校に向かう。

 その頃には誰かに助けを求めるという発想すら消えていた。

 ただこの状況を乗り切ることだけが頭の中を占めていた。


 そんな時に現れたのが後輩のふたりだ。

 いまここにある危機を微塵も認識していないような生徒会副会長が連れて来た助っ人。

 中学を卒業したばかりのふたりが加わって本当にわたしたちの助けになるのか。

 もう手取り足取り仕事を教える時間はないよというのが正直な感想だった。


 ――だが、奇跡が起きる。


「一緒に進捗表を確認してもらっていいですか?」


 ふたりはこれまでに出来上がった資料や残っている仕事の内容をざっと目を通すとキッカに声を掛けた。

 三人掛かりで進捗表を更新し、それが終わると「ここは時間が掛かりそうなのであたしたちがやります」と請け負う。

 そうして瞬く間に仕事を成し遂げ、次へと取りかかっていく。


「ついこの前まで中学生だったんだよね? なんでそんなに動けるの?」


「あー、日野先輩や日々木先輩に鍛えられたからかもしれないですねー」


 わたしが唖然として口から出てしまった質問に朱雀ちゃんは照れながら答えてくれた。

 進捗表はどんどん埋まっていき、もう間に合わないと思っていた作業は締切前日の夜に完了する。


「終わったー」とわたしは口から言葉とともに魂が出ていくように感じながら叫んでいた。


「朱雀ちゃんたちが来てくれたお蔭で終わったよ! 本当にありがとう!」と心の底から感謝すると、朱雀ちゃんも「大変でしたねー」と言いながら達成感を顔に出していた。


 そんな中、キッカだけは複雑な表情を見せていた。

 わたしが「どうしたの?」と顔をのぞき込むと、「力不足を感じた。もっとできると思ったんだけどなあ……」と嘆く。


「頑張っていたじゃない」と励ましたものの力不足はわたしも同じだ。


「経験が大事なんじゃないんでしょうか。誰でも初めての時は何から手をつけていいか分からなくて苦労すると思います。でも、次に生かすことができれば良いとあたしは思っています」


「朱雀ちゃん、大人だなあ」とわたしが明るく言うと、「日野先輩の足下にも及びませんから日々勉強しているところです」と彼女は謙虚な態度を見せた。


「わたしは朱雀ちゃんのこと会長代行の岡本先輩と同じくらい凄いと思ったよ」


 生徒会長である日野さんの仕事振りを間近で見たことはない。

 知る限りでは岡本先輩がいちばん「できる」という印象を持っていた。

 次が真砂さんやいぶき辺りか。


「日々木先輩も凄いんですよ」と彼女はなぜか張り合うように副会長の名前を出した。


「見た目が素敵で才能があって人格も素晴らしくて、中学時代は女神様と全校生徒から崇拝されていましたから」


 朱雀ちゃんのほとばしる熱気に苦笑しながら、「神様だったらもう少し早く助けて欲しかったな」とわたしは本音を漏らす。

 すると、「期待値が高かった……と思います」と滅多に喋らない千種ちゃんが口を開いた。

 それを「皆さんの力で成し遂げられると信じていたんじゃないでしょうか」と朱雀ちゃんが翻訳する。


 彼女に依ると、日野さんは相手の能力を完璧に見極めるのでその人にとってギリギリ達成できる仕事を振るのだそうだ。

 一方、日々木さんはそこまでの見極めができず、相手の能力を高めに見ているのではということだった。


「自分だったらこの人数と仕事量なら間に合うと踏んだんじゃないかと思います」


 日々木さんの周囲にいたのが日野さんや朱雀ちゃんみたいな人ばかりだったらそういう勘違いも分かる気がする。

 だが、普通の高校生に高い次元を要求されても困る。


 あれから3日が経ち、イベントまでは1ヶ月を切った。

 今日は本館の会議室でこれからの予定が発表されることになっている。


「またあんな風に忙しくなるのかなあ……」


 わたしは集まった委員の顔触れを見ながらそう呟いた。

 ひよりと淀野さんがこの場に同席しているのはキッカが頭を下げて来てもらったからだ。

 人手不足の悪夢を二度と起こさないように彼女はこのふたり以外にも声を掛けていた。


 ざわざわとしていた空気が会長代行や副会長の入場によってピタリと止む。

 副会長はみんなの前に立つと落ち着き払った口調で一緒に入って来た人物を紹介した。


「ファッションショーの開催まであとわずかです。今日はそのショーのプロデューサーをご紹介します。原田朱雀さんです」


 名前を呼ばれた朱雀ちゃんは恐る恐るといった感じで副会長の横に立ち、「1年の原田朱雀です。若輩ですが、これからよろしくお願いします」と挨拶した。

 委員の中からは「1年……?」という疑問の声が上がる。

 副会長は「これからは彼女の指示に従ってください」と言って会議室を出て行く。

 一方、委員たちから説明を求める声は大きくなっていった。


「今度はこっちが助ける番だな」とキッカが頼もしい笑みを浮かべた。


「そうだね。可愛い後輩のために頑張らないと」とわたしは力強く頷いた。




††††† 登場人物紹介 †††††


網代漣・・・臨玲高校2年生。一般家庭で育ったのでお嬢様のことには詳しくない。中学まで浜松で暮らし、家族が鎌倉に引っ越したので臨玲に進学した。


飯島輝久香・・・臨玲高校2年生。愛称はキッカ。姉御肌で真面目な性格だが、ルールに縛られることを極端に嫌う。


岡崎ひより・・・臨玲高校2年生。母の再婚によって上流階級にクラスチェンジした。その生活に慣れていないが努力はしている。いろはとつき合っている。


淀野いろは・・・臨玲高校2年生。分家筋だがそれなりの家柄で育つ。レズビアンを公言しているので「親戚づきあい」の中では相手にされない。


田辺真夏・・・浜松在住の高校2年生。漣の親友であり、昨夏には好きだと告白もした。春休みは鎌倉に遊びに行こうと考えていたが、漣から委員会の仕事で無理だと言われた。


香椎いぶき・・・臨玲高校2年生。鎌倉の寮(下宿)で暮らしている。逃げ出すように実家を出たが、独り暮らしをすることで自分を見つめ直した。


岡本真澄・・・臨玲高校3年生。生徒会長代行。大手製薬会社の創業家一族であり、不出来な兄より自分が優れていると証明したくて生徒会に入った。


真砂大海・・・臨玲高校2年生。県内有数の地主の家系。有能さを認められて生徒会入りした。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。退院した可恋とのラブラブな生活に没頭中……という訳ではなく、ファッションショーの衣装作りのために忙殺されている。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。退院はしたものの本調子には遠く、最低限の活動しか行っていない。それでも……。


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。陽稲や可恋の中学時代の後輩。中学ではファッションショーのプロデューサーを務めた。


鳥居千種・・・臨玲高校1年生。朱雀の幼なじみ。容姿端麗・頭脳明晰だが変化や挑戦を恐れる性格だと自覚している。それらを恐れない朱雀と一緒にいることが自分の成長にも繋がると信じている。

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