第120話 令和3年8月3日(火)「私の居場所」岡本真澄
「珍しいですね。
彼女は3年生の中でもかなり顔を知られた人物だ。
前生徒会長の芳場さん、悪名高い高階さん、茶道部の吉田さんや榎本さん、それに肩を並べるのが演劇部の新田さんと言っていいだろう。
もし1年前にもミス臨玲コンテストを開催していたら榎本さんと並ぶ大本命だったはずだ。
このふたりは下級生の女子から圧倒的な人気を誇っていた。
新田先輩は男役がはまり役であり、榎本先輩も女性ながら男前として有名だ。
女子高ならではの崇められ方だが、どちらが人気が高いかとファン同士が言い争う光景も以前はよく見られた。
「何だ。岡本ひとりか」
新館にあるこの生徒会室を見回してから新田さんが訝しそうに尋ねた。
実用性が優先された部屋ではあるが、所々にアクセントとして小物が飾られている。
以前の成金趣味の部屋とは違い清新で落ち着く環境だ。
隅に置かれたプランターは現在私が管理をしており、部屋の主になった気分で過ごしていた。
「生徒会はリモートワークを推奨しています。ですが、私は家に居ても落ち着かないので……」
私はあまり家族と過ごすことを好んでいない。
優秀な私ではなく兄を後継者として選んだことにわだかまりを感じたままだ。
4月の高階さんとの一件で家族の愛情は伝わったものの、それをどう受け止めるべきか自分の中で整理がついていない。
私はそれと向き合うことを避け、生徒会長補佐という仕事に没頭した。
昨年度は生徒会長のご機嫌取りという虚しい役割をこなさなければならなかったが、いまは思う存分に自分の実力を発揮できた。
「岡本が生徒会長みたいだな」
「いえ。現会長の手腕は見事です。視野の広さをはじめ見習いたいところが数多くあります」
目の前にあるひとつひとつの実務だけなら私でもやり遂げられる。
しかし、彼女は複数の改革や企画を同時に進行し、それらを連携させて大きな成果を得ようとしている。
壮大なビジョンありきなのだ。
そこが彼女と私との最大の差だろう。
新田さんは腕組みをして私をじっと眺めている。
彼女と接したことは数えるほどしかなかったが、「根を詰めすぎずに肩の力を抜くことも覚えた方が良い」とアドバイスを受けたことがあった。
芳場会長の無茶振りに右往左往していた頃のことだ。
結局私はその言葉に従わず、1年間真面目に対応し続けた。
それが良かったのかどうかは分からない。
性格は簡単には変えられないという教訓は得られたが。
「それで、どういったご用件でしょうか?」
仕事が一段落したところで改めて先輩に向き直る。
彼女は単刀直入に用件を切り出した。
「公演が中止になった。そこで劇を動画として公開することを許可して欲しい。本当は生徒会長と直談判したかったんだがな」
「本日中に会長に伝えておきます。結果については明日お知らせするということでよろしいでしょうか?」
「岡本じゃ決められないのか?」と問われたが、私は首を横に振る。
すんなりと許可が出るかどうかも分からない。
会長は情報管理に関してはかなり厳しい態度で臨む人だ。
私のそんな雰囲気を察したのか新田さんは眉をひそめ、「面会できるとしたらいつになる?」と質問した。
「今週は私用があって来校しないと聞いています。早くても週明けでしょう」
「分かった。返答次第で面会を要請するってことで良いか?」
「了解しました」と私は事務的に答えた。
言うべきことを終えたという感じで背中を向けようとした先輩は途中で動きを止め再びこちらを向く。
気を抜いた訳ではないが、緊張が途切れかけたタイミングで彼女は先ほどよりもグッと上体を近づけてきた。
まだかなり距離が離れているのに圧迫感がある。
「後輩が言っていたんだけどな」と切り出した新田さんは「岡本もミス臨玲コンテストに関わっていたから知っているか。あれに出ていたHikariってユーチューバーを紹介して欲しい。なにせ急に芝居を公開したって誰も見に来てくれないだろうから」と言葉を続けた。
生徒会役員は美形揃いで慣れたとはいえ、新田先輩が至近距離で芝居がかった仕草を見せると思わず目が離せなくなる。
よく通る美声も魅力のひとつだ。
私にその気がなくてもグラリと心が揺れるのを感じてしまう。
おそらくそれが先輩の狙いなのだろうが、まんまとしてやられた。
もし私がHikariさんの連絡先を知っていれば勢いで頷いてしまったかもしれない。
「会長と副会長のご友人だそうですよ」と答えた私は「それも伝えておきます」と請け負った。
「初瀬紫苑が出てくれるのがいちばん良いんだけどな」と先輩は豪快に笑い、「広報より補佐の方が偉いんだろ?」と私の力を借りようとする。
「難しいとは思いますが、本人と直接交渉してください。お盆明けから臨玲祭で公開する短編映画撮影のため来校するそうです」
そう応じた私は「エキストラを数名募集するかもしれないという話をしていましたので、その時は演劇部を売り込んでおきます」とつけ加える。
新田先輩はニヤリと笑い「頼む」と短く告げた。
そして、ウィンクを綺麗に決めて今度は振り返らずに部屋を出て行った。
彼女がいなくなっただけでこの部屋がくすんだように感じる。
初瀬さんもそうだが、役者というものは存在感が大事なのだろう。
私はひとつ息を吐くと、卓上のノートパソコンで文書を作成する。
新田先輩の依頼内容とともに演劇部の活動内容や部員の詳細を記す。
報告は簡潔・正確に。
しかし、判断材料として使えそうな情報は多角的に準備しておく。
資料を集めることや原典に当たることの重要性も叩き込まれた。
政治や官僚の世界に進みたいのであれば芳場会長の下にいた経験は非常に役に立つと思いますよと現会長は話していたが、仕事のやり方については現会長の下にいた数ヶ月間の方が遥かに自分のプラスとなっている。
ノックの音とともにひとりの小柄な教師が入室してきた。
生徒会を担当している戸辺先生だ。
普段からあまり教師っぽい雰囲気を感じさせない人だが、夏休み中のいまは企業の研究員のように見える。
うちは製薬会社なので、こういう人には馴染みがある。
「高校生のうちから働き過ぎは良くないですよ。まあ、好きでやっているのを止めたりはしませんが」
「戸辺先生こそお疲れのようですね」と気遣うと、彼女は「どうして人って他人を放っておこうとしないんでしょうかね」と溜息を吐いた。
気持ちは分かる。
好きで独りでいるのに構ってくるし、何かにつけて一緒にしようと誘われてしまう。
それを断ると信じられないものでも見るような目を向けられる。
相手が善意だと分かるだけに強くも言い出せない。
その点、ここはそうした煩わしさがない。
戸辺先生も職員室より居心地が良いのか、会長がいない時はよくここに顔を出すようになった。
「お茶を淹れますね」と言って私は席を立つ。
会長の趣味で生徒会室には多種多様な紅茶の茶葉と一流のティーセットが数組用意されている。
生徒の来客にはいちいち出さないが、自分たちで飲む分には自由に使って良いと言われていた。
「いかがですか?」
「ありがとうございます。心が安らぎますね。また腕を上げたのでは?」
「そうですか」と私は微笑む。
仕事でも紅茶を淹れることでも自分の上達が認められると非常に嬉しい。
戸辺先生とは会話を交わさなくてもなんとなく通じるものがあり、こうして彼女が紅茶を飲んでいるところを見ているだけで幸せな気持ちになった。
先生もこちらを気に留めるでもなく自分の鞄から資料らしきものを取り出し読み始めた。
外は真夏の陽差しに焼け焦げているかもしれないが、この空調の効いた部屋の中は静かで落ち着いた時間が流れている。
ここはまるで私にとっての楽園のような場所だった。
††††† 登場人物紹介 †††††
岡本真澄・・・臨玲高校2年生。生徒会長補佐。昨年度は芳場会長の下で生徒会副会長を務めていた。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。有名な映画女優でもある。
戸辺シャーリー・・・臨玲高校教師。生徒会担当。可恋や紫苑の担任教師でもある。
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