第384話 令和4年4月24日(日)「合同練習」依田こゆき

「悪いね。日曜の朝早くに来てもらって」


 そう言ったのは風格を感じるほどドッシリとした吹奏楽部のコンマスだ。

 わたしは「いえ、大丈夫です」と返答した。

 大丈夫じゃなかったのはわざわざ学校まで車で送ってくれた父親だろう。

 普段は最寄り駅まで送り迎えをしてもらっている。

 自転車なら行けない距離ではないが、転倒して手を怪我するのが怖くてもう何年も自転車には乗っていない。

 中学の時は学校まで車だったが、高校では電車通学に切り換えた。


「ゴールデンウィークにマーチングのイベントがあって、全然時間が取れなくてね」と申し訳なさそうに話すが、むしろそんな忙しい時期に参加してもらってこちらが詫びなければならない。


「何しろ3年振りだから我々も初参加なんだよ」と言ったのは吹奏楽部の部長さんだ。


「大学にいるOGの手を借りて準備をしているから部長やコンマスが堂々とサボるわけにもいかないしね」と説明してくれる。


 今回このジャズユニットに吹奏楽部から参加するのは3人。

 3年生のコンマスと部長、2年生の”逸材”さん(3年生のふたりからそう紹介された)。

 4人揃って練習するのは今回一度きりとなる。

 それで大丈夫なのかという不安も残るが、部活動を優先するのは当然なのでできることを頑張るしかない。


「とりあえず1曲やってみようか」とコンマスがサックスを手にして全員に呼び掛けた。


 彼女は部活ではフルートを担当している。

 サックスの腕がどれほどのものか、わたしは興味津々といった感じでピアノの前に座った。

 1曲目はそのサックスがメインとなる曲だ。

 サックスはふたり――コンマスと”逸材”さんで、ふたりの掛け合いもあり楽しい楽曲だ。

 わたしのピアノや部長さんのドラムは引き立て役に徹する。


「どう? なかなかのものでしょ」と1曲目が終わると得意気な顔でコンマスが語った。


「コンマスがフルートで良かったですよ」と”逸材”さんが言った通り、本職ではないにもかかわらず吹奏楽部のサックス奏者のエースと遜色ない腕を見せた。


「二刀流なんてスゴいですね!」とわたしも驚嘆する。


「パーカッションなんてひとり何役もこなすのに全然褒められないんだよなあ」と部長が拗ねると、「部長は木魚から人の頭まで叩けるものなら何でも見事に叩いてみせるから」とコンマスが褒めているかの貶しているのか分からない発言で応えた。


 時間がないこともあり、今回演奏するのは吹奏楽部の3人にとって馴染みの曲で構成されている。

 わたしにとっては初めて弾く曲ばかりだ。

 今日までそれなりに練習してきたが、いよいよ次はピアノがメインとなる楽曲である。


「思いっきり弾いて良いからね」とコンマスに励まされて演奏をスタートする。


 わたしの演奏の欠点。

 それは、とにかく身体を動かすことだ。

 先生からは一度もそれを注意されたことはないが、わたし自身はそれを他人に見られることが恥ずかしいと思ってきた。

 ひとりで弾いている時は身体の動きなんてまったく気にしない。

 だが、コンクールなどの場ではなるべく身体を動かさずに弾こうと意識してしまう。

 それで音に違いがあるのかどうかは実は良く分かっていない。

 わたしはあると思い、先生はないと言う。

 ただコンクールで実力をすべて出し切れていないというのは事実だろう。


 見せ場のある曲を弾くのは楽しい。

 自分が主役になった気分になる。

 そういう時に動きが派手になる。

 肩が揺れ、身体は前後に大きく動く。

 いまこの場にはわたしのほかに3人いる。

 ただ、みんな演奏中なのでこちらを見ていないだろう。

 ……なんて思っていたが、しっかり見られたみたいだ。


「こゆきちゃんってピアノの前だと人が変わるんだね」


「ドラムももっとド派手なパフォーマンスをした方がいいのかな?」


 3年生ふたりにそう指摘されてしまった。

 穴があったら入りたい。

 顔を赤くしたわたしに”逸材”さんは「ノリが良くて合わせやすかった」と言ってくれたものの、コンマスからは「この部分だけど……」と曲のテンポについてリクエストが入った。


「いまのが良かった悪かったじゃなくて、いくつかのやり方を試してみたい。それでベストを探ろう」


「コンマスは音楽のことになると容赦がないから。つき合わせてゴメンね」と部長が謝ってくれるが、「いえ、勉強になります」とわたしは答える。


 これまでこうして誰かと合わせて演奏するという機会が非常に少なかった。

 ピアノとはそういうものではあるが、わたしも大舞台で良いものを披露したいという気持ちは強く持っている。

 吹奏楽部のメンバーにとってもピアノとの共演はほとんど経験がないようで、試行錯誤が必要らしい。


 コンマスの指示に従い、ほかのメンバーの音を聞きながらの演奏を続ける。

 それはこれまでやってきたような、没頭して曲にのめり込んでいく感覚とは異なるものだ。

 自分を含めメンバー全員の演奏を一段高いところから見ている、そんないままでにないヴィジョンがわたしの中に降りてきた気がした。

 しかし。


「ごめん。いままで言ったこと全部忘れて。最初のがいちばん良かった」


 繰り返し指示を出していたコンマスがわたしに手を合わせて謝罪する。

 ほかのふたりも異議はないようだ。


「良くなかったですか、わたしの演奏は」


「うーん……、いつも顧問からちゃんと言葉にしろって言われているんだけど、なんて説明したらいいか……」と彼女は身もだえながら頭を抱える。


「悪くはないんだよ。でも、最初のは欠点もあったけど一緒にやっていてゾクゾクしたんだ。本当はその魅力を残しつつミスを修正しなきゃいけないんだけど、指示を出す側の実力が足りていない」


 コンマスの役割は学校によってかなり違うそうだが、我が校では顧問の代わりに指揮棒を振ることもあるらしい。

 フルートとサックスという異なる楽器を高い次元で吹きこなすことからも分かるように、彼女の音楽的センスには素晴らしいものがある。

 それでも時間という制約があってはできることは限られる。

 キッパリできないと決断するのも非常に大事なことだ。


「うちの顧問は『高校の部活で燃え尽きるな』が口癖でさ。吹部すいぶってそういう人が多いけど、全国で金賞を取るよりもひとりでも多くの部員に長く音楽を奏者プレイヤーとして楽しんで欲しいんだって」


 そう話すコンマスは「だから時間はある。ライブには間に合わなくてもこの曲はもっと良いものに仕上げたい。頼む! つき合ってくれ」とわたしに向かって頭を下げた。

 部長さんは「悪いね。コイツの気が済むまでつき合わせることになるかもしれないけど」と苦笑し、”逸材”さんは「秋の文化祭でリベンジしましょう!」と意気込んでいる。


 わたしの方こそ頭を下げたい気持ちだ。

 もっと良い演奏ができていれば、もっと技量が高ければ、もっと……。


 どう見られるかなんか気にしている場合じゃなかった。

 もっと、もっと、もっと上手くなれば、コンクールの結果も違っていただろうし、今日だってこうはならなかったかもしれない。

 動きが変だと笑われるのはわたしの腕がまだまだ下手くそだからだ。


 そう、自分が下手だということをこれまで直視してこなかった。

 それを認めたらもう弾けないのではと怖がっていたのだ。


「わたし、もっと上手くなります。だから、とことんつき合ってください!」




††††† 登場人物紹介 †††††


依田よだこゆき・・・高女の1年生。プロを目指すピアニスト。家は神奈川県内とは思えないほど田舎にある。


コンマス・・・高女の3年生。吹奏楽部。正しくはコンミスだが、高女ではコンマス呼びが伝統となっている。楽器を始めるときに女の子ならフルートでしょと思ったのに体格からサックスを勧められた。それからサックスを演奏する傍らフルートも蔭で懸命に努力し、高等部ではフルート奏者として1軍入りを果たした。


部長・・・高女の3年生。吹奏楽部部長。パーカッション等打楽器を担当している。すぐ熱くなるコンマスを宥める人格者として部内では知られている。


”逸材”・・・高女の2年生。吹奏楽部。サックス奏者。「10年にひとりの逸材」とこゆきは紹介されたが、”逸材”さん曰く毎年そう呼ばれる部員がいるらしい。しかし、1年の早い時期からサックスでは部内一の評価を得ている。

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