第383話 令和4年4月23日(土)「恋愛指南」網代連

「人は独りでは生きられないの。自分を理解してくれる人、自分だけを求めてくれる人、無条件に自分を受け入れてくれる人、そういう人が必要なのよ。それは幻想ファンタジーに過ぎないんだけどね」


 新館の会議室で淀野さんの語りに思わず聞き入る。

 恋愛経験豊富な彼女は奥手なわたしからすれば遙か高みにいる人だ。


幻想ファンタジーでもなんでもそれを信じていないと人は生きていけないのよ」


「でも、独りで生きている人もいるよね?」と問うと、「パートナーを見つけられなかった可哀想な人たちがいるのは事実ね。そういう人たちは自分を誤魔化すために理屈をこねくり回しているだけだから相手にしない方がいいよ」と彼女は顰めっ面で切って捨てる。


「問題は」とわたしの方に身を乗り出して「漣、あなたよ」と鋭い視線をこちらに送る。


「漣は恋を知らないって前に言ったけど、正確には恋を必要としていないのよ。親からの愛情に包まれて、しかも確固たる自分ができていない。だから他人の愛が必要ないの」


「わたしだって好きって気持ちは分かるよ」と反論するが、「漣は反抗期もほとんどなかったでしょ? まだ子どもなの。好きというより憧れみたいなものでしょ」と淀野さんはわたしを正確に分析してみせた。


「そういうのが一部の人にとっては純粋とか無垢とか思われて好まれるのよね。ガツガツ他人を求めないし、素直に話を聞いてくれるし、真夏みたいな子にとってはうってつけって感じね」


「……真夏の何を知っているのよ」


「あの子の場合、周りから見られる『自分』と自分が思い描く『自分』にズレがあるのよ。そのギャップに苦しむ中で、漣だけが本当の『自分』を見てくれると信じ込んでいるのね。そんな訳ないのに」


 淀野さんは真夏と会った回数はほんのわずかだ。

 それなのにわたしよりも彼女のことを深く理解しているように感じてしまう。


「真夏がわたしを過大評価しているのは事実だと思う。だから、中学時代のように接することができなくなったのかな……」


「いまのままふたりがつき合えば、彼女はあなたの重荷になる。ちゃんと向き合って話をしなきゃいけないのに友情を壊したくないからって逃げ回っているとますます深みにはまっていくわ」


 彼女の忠告は痛いほど胸に刺さる。

 自分自身でも分かってはいるのだ。

 このままじゃいけないと。

 ただ真夏を傷つけずに……と思ったところで、淀野さんが「ここまでこじれたら互いに無傷で終わるなんて思わないことね」とさらにグサグサと刺さる言葉を吐いてきた。


 わたしが自分の胸を押さえていると、「キッカは……」と彼女は分析対象を変える。

 本当は淀野さんに頼るのではなく自分で考えるべきなのだろうが、耳を塞ぐという選択肢は採れない。


「彼女は中学時代に自分の考える『正しさ』と学校や教師から押しつけられる『正しさ』の間で苦しんでいた。臨玲に来てそこから解放されたって感じね。自分の正しさに自信を持てるようになった」


 それはわたしも感じていることだ。

 本来真面目な優等生であるキッカが、どうして厳しいとはいえみんなが守れている校則に苦しんでいたのか理解できなかった。

 彼女にとって正しいかどうかは関係なくただルールだから守れと言われることが苦痛だったのだろう。

 そういうことに敏感な彼女の真面目さが裏目に出た中学生時代だと言えそうだ。


「自分の正しさをもっとも近くで理解してくれているのが漣、あなたよ。いまのキッカにとって漣がもっとも大切な理解者なの」


 そう指摘されると思い当たる節はいくらでもあった。

 彼女が迷っているときにわたしが背中を押すと自信に満ちた表情になってキッカは前へ進んだ。

 わたしはそういうキッカをスゴいと思っていた。

 その後押しができたことを喜んでいたが、キッカにとってもありがたい行為だったのかもしれない。


「でも、たまたま近くにいただけだよ」


「恋愛なんて基本そういうものよ。自分の半径5メートルとか3メールととかに居て、より優秀で自分に好意を持っていそうな異性を好きになる。それが生き物としての本能のようなものよ。女子高だから異性ではなく同性というだけね、違いは」と淀野さんはカラカラと笑う。


 ちょっとムッとしたわたしは「ひよりはどうなのよ?」とまだ分析対象として名前が出ていない友人を持ち出す。

 淀野さんは恋愛を幻想ファンタジー扱いしたり、本能に依るものだと言ったりしているが自分のそれはどうなのか。


「ひよりは母親の再婚で急いで自分というものを作らなければならなくなった。しかも、貧乏暮らしからお嬢様という急展開よ。もっと幼い頃ならシンデレラみたいだって無邪気に思えたかもしれないけど、もう思春期だった。だからすぐに大人になる必要があったのね」


 大変だったんだろうなとは思うものの、それがどれくらいなのかは想像がつかない。

 いまの彼女はどっしりと構えている印象だが、本人から話を聞く限り中学時代は全然違ったようだ。


「彼女はここでも本当の自分を見せずに過ごすことはできたでしょう。だけど、いまの彼女の方が魅力的だと思わない?」


 惚気が混じっている気がしたが、淀野さんの問い掛けには頷かざるをえない。

 わたしの反応に満更でもない顔つきになって、「これが愛の力よ」と淀野さんは言い切った。


「さっきまで幻想ファンタジーって言っていたじゃない」


「そう。幻想ファンタジー。完璧に互いを理解し合っている訳じゃない。そう信じているだけ。でも、そう信じているから、信じられるから人は変われるのよ」


 良いことを言ったというドヤ顔に、わたしは「淀野さんは変わったの?」とツッコミを入れる。

 ひよりという恋人がいながら愛の伝道師と言って憚らない。

 ハーレムを求めて止まない彼女はひよりとつき合うことで何か変化があったのか。


「良い女は自分のことは語らないものよ」


 そう言って煙に巻いた彼女は「そろそろ仕事に戻りましょう」と話を打ち切った。

 ずるいと思いながらもそれを口にできないのはキッカたちが戻って来るまでに覚えなきゃいけないことがたくさんあるからだ。


 今日、キッカとひよりはプロデューサーの朱雀ちゃんと広告代理店を訪問している。

 ファッションショーで大型モニターを使うことになったのでその打ち合わせのためだ。

 本来わたしとキッカが行く予定だった。

 だが、今回の件はテレビの放送にも絡むそうで、業界に顔が利くひよりの父親のコネを有効利用するために変更された。


 わたしはショーでは進行を担当する。

 秒単位で設定されたタイムシフトに従いモデルの歩く速さを調節するのが本番での役割だ。

 そのためにはこのタイムシフトを頭に叩き込んでおかなくてはならない。

 同じ進行役のキッカはモデルが舞台に出るタイミングを調節する役割で、そちらの方が大変らしいが……。


 その時、淀野さんのスマホが鳴った。

 彼女はすぐに電話に出る。


『あ、ひより。どうしたの? えっ! 事故?』




††††† 登場人物紹介 †††††


網代あじろれん・・・臨玲高校2年生。3校合同イベント実行委員。高校進学のタイミングで浜松から鎌倉に転居した。


淀野いろは・・・臨玲高校2年生。中学時代からいろいろな女子に手を出しまくっていた。悪い噂が広まりすぎたため内部進学ではなく臨玲に入学した。


田辺真夏・・・浜松にある私立高校の2年生。多くの男女から人気があった漣の親友。昨夏、漣に告白した。


飯島輝久香きくか・・・臨玲高校2年生。3校合同イベント実行委員。愛称はキッカ。


岡崎ひより・・・臨玲高校2年生。浮気癖のある恋人のいろはをしっかり管理している。


原田朱雀・・・臨玲高校1年生。ファッションショーのプロデューサー。新入生だが漣やキッカは彼女の優秀さを身をもって理解した。

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