第95話 令和3年7月9日(金)「攻撃と対策」日々木陽稲

「紙媒体とはね」と紫苑が苦笑を浮かべた。


 今日で1学期の期末テストが終わった。

 開放感に満ちた気分で新館に向かったわたし、可恋、紫苑の3人の前に1冊ずつ雑誌が手渡された。

 買ってきたのは紫苑のマネージャーさんだ。

 カフェの5人掛けの白いテーブルに腰掛け、わたしたちは聞いたことのない名前の雑誌を手に取ると付箋のついているページをめくった。


『日野陽子教授の娘』『臨玲高校』『初瀬紫苑』の太字で書かれた3語と一枚の写真が目に飛び込んでくる。


 要約すると、女性の支援活動を行う日野陽子先生の娘である可恋が有名なお嬢様学校である臨玲に進学したことへの批判(車で送り迎えされていることにも言及してあった!)と、臨玲理事長と結託し初瀬紫苑を利用して生徒会長になり生徒会を私物化しているという糾弾が書かれていた。

 あたしはマスクの上から口元に手を当て、何度も文章を読み返す。


「なんだかパッとしない記事ね」と紫苑が感想を漏らす。


「おそらく」と可恋が口を開く。


「意図的でしょうね。紫苑の事務所が動かない範囲、母や私に対してもこの程度ならと思える範囲で記事を書いている」


「それで意味があるの? 紙媒体を使ったことといい的外れで時代遅れにしか見えないんだけど」


「そうでもないよ。単なるネットのゴシップより雑誌に書かれたという方が人は信じやすい。紫苑の写真が掲載されているから拡散もされやすい。OG会は記事の内容ではなく、こうした記事が出たことを攻撃の材料にすると思う」


 紫苑は可恋の指摘につき合いきれないという表情を見せた。

 わたしも気持ちは同じだ。


「それでどうするの?」とわたしは可恋に尋ねる。


 可恋は臨玲高校の理事に就任し、有力理事の娘でOG会の中心人物である九条山吹さんと対立している。

 向こうから何らかのアクションがあるだろうと予想していたが、それが昨日発売されたばかりのマイナー雑誌のこの記事だ。


「そうだね。まずはこの写真の出所を探りたいね。あとはネットでどのように拡散されるか観察することとこの雑誌に関する情報収集かな」


「出版社及び編集部の情報はこちらです」とマネージャーさんが可恋にメモを手渡す。


「ありがとうございます」と受け取った可恋はサッとメモに目を通した。


 紫苑は肩透かしを食らったような顔つきだが、可恋の眼光は鋭いままだ。

 おもむろに顔を上げた可恋は「こちらからも少し反撃しておこうか」とサラリと言い放った。


「いいの? また攻撃されるんじゃない?」とわたしは心配する。


 紫苑も「根に持つと厄介なんじゃないの?」と乗り気ではない様子だった。

 しかし、可恋は首を振り、「無視していると何をやってもいいとつけ上がるから、最初に強くノーと言った方がいい。向こうは見下しているから手を出してくるのよ。可能なら一回の反撃で戦闘不能に追い込みたいところだけど」と不敵な笑みを浮かべた。

 紫苑は納得の表情になったが、可恋の性格をよく知っているわたしは「もの凄く怒っているのは分かるけど、冷静になってね」と諫める発言をした。


「怒ってる?」と驚く紫苑に「陽子先生に迷惑を掛けたからね。かすり傷にすらならない程度のダメージでも可恋なら全力で反撃しかねないし」とわたしは説明を加える。


 可恋自身は無表情のまま平静を装っている。

 声音も落ち着いたものだがどこか物騒な気配を漂わせていた。


「向こうの本命は理事長を追い落とすことだから、こちらには軽く牽制をしたつもりでしょう。それがどれほど愚かなことか分からせてあげないと」


 可恋がますますエスカレートしそうだったので、わたしは「理事長の方はどうなの?」と話題を逸らす。

 その質問を聞いた可恋はひとつ溜息を吐くと「愉快な状況ではないみたいだね」と声を落とした。


 紫苑が続きを促すと、可恋は「北条さんが困って相談してきたの。プライベートにどこまで口を出すべきかって。いま理事長は仕事そっちのけで男に入れあげているらしいわ」と淡々と話す。

 それを聞いた3人は揃って眉をひそめた。


「いい歳をした大人でしょ。まるで子どもじゃない」と紫苑が全員の気持ちを代弁する。


「大人とか子どもとか関係ないよ。責任感も情熱も規範意識も年齢とは相関しないから」とその言葉を実証している高校生がのたまう。


 理事長の名誉のために言っておけば、仕事に対する能力は可恋も認めるところだ。

 情熱もあったから可恋も協力する気になった。

 だが、色恋沙汰は人を変えるようだ。

 厚かった友情が男ができた途端にティッシュペーパーよりも薄くなったなんて相談をわたしは過去に受けたことがある。

 恋愛はプラスにもマイナスにもなるのだろう。

 それでも恋愛そのものはおおいにすべきだと思う。

 ただ、それが仕事に影響を及ぼすのは社会人としてどうなのか。


 その場の全員が同じようなことを考えていたら、その被害をもっとも受けている人が登場した。

 臨玲高校主幹の北条さんだ。

 理事長の右腕として知られ、事実上この学校を支えている人物と言っても過言ではない。


 簡単な挨拶を済ませ、北条さんはオーダーを取りに来た給仕の女性にコーヒーを注文する。

 しかし、「カフェインの取り過ぎは健康に良くないです」と可恋が待ったを掛けた。


「ハーブティーとホットミルク、どちらが良いですか?」と可恋が尋ねると、一瞬北条さんは険しい目で可恋を見た。


 だが、すぐに肩を落とすと「ハーブティーで」と張りのない声を出した。

 その様子を見ただけでかなり精神的に追い詰められていることが伝わってくる。


「鎖に繋いで男に会わせなかったらいいじゃない」と紫苑が好き放題言うが、「上司相手にそのようなことは……」と北条さんは律儀に答えた。


「相手の男性については分かっているんですよね?」と尋ねたのは可恋だ。


 北条さんは頷いたが、「プライベートにどこまで触れていいのか判断に迷っています」と煮え切らない態度を見せる。

 可恋は「初瀬紫苑の恋愛対象は成人したあとでも事務所は把握しようと努めるでしょう。ビジネスに大きな影響を与えるからです。理事長の件は自由恋愛ではなくハニートラップなのですから、情報を共有して対策を採るべきです」と断固とした口調で言い切る。


 北条さんは今度こそ恨むような目で可恋を睨みつけた。

 一方、紫苑は「ハニートラップって?」と疑問を口にする。

 すかさずマネージャーさんが「恋愛を餌に相手を籠絡することです」と説明したが、普通は籠絡の方が難しい単語のような気がする。

 納得顔の紫苑は「つつもたせみたいなヤツか」といやらしい顔をし、「それで、相手は?」と可恋に尋ねた。


 可恋は北条さんが口を開くのを待っている。

 渋々といった顔で北条さんが「相手はホストです。九条山吹さんが懇意にしている店の」と内情をさらす。

 紫苑は「みえみえじゃん」と目を丸くしていた。


「あからさまなのに引っ掛かっています。理事長は私の忠告を聞こうとしません。むしろ遠ざけようとするようになりました。このままでは……」


 北条さんは俯いて肩を震わせた。

 まるで泣いているかのようだ。

 だが、彼女の口から出た言葉は「このままでは、臨玲は日野さんに乗っ取られてしまいます!」というものだった。

 魂の叫びのようなその言葉はそれでもどこか悲しげだった。


「私も理事長なんてなりたくありませんよ。ただ九条さんたちに牛耳られることだけは阻止しないと」と可恋は煩わしげな表情で語った。


「はぁ~」と息を吐き、バカバカしいという気持ちを隠そうともしない紫苑は「もっと良い男を宛がうとか、そのホストを寝取るなり買収するなりするとか、いろいろやり方はあるんじゃないの? 単につき合うのを止めろって言うだけじゃかえって執着するものよ」と吐き捨てる。


 恋愛に対して特別なものという感情をまったく持っていないかのような紫苑の様子をわたしは訝しく思った。

 リアリストな可恋でもここまで徹底した物言いはしないだろう。


「うまく謀って、ふたりを結婚させて仕事に復帰させる方が現実的かな」と可恋が述べた落としどころは紫苑よりも救いがありそうだ。


「そこで……」と話し始めた可恋の計略を聞くと、どっちもどっちという感想が浮かんだがそれは心の中にそっとしまっておこう。




††††† 登場人物紹介 †††††


日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。可恋のパートナーであり彼女をいちばん良く知る人物。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。臨玲高校理事にも就任した。類い希な実務能力の持ち主であり、いくつかのルートから情報とお金を集めることができる。空手は黒帯であり戦闘能力も高い。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。生徒会広報。非常に有名な人気女優。大手の事務所に所属している。その方針により、メディアへの露出はかなり制限されている。


北条真純・・・臨玲高校主幹。理事長の右腕。学園長派との派閥争いでは窮地に陥りながら彼女の手腕で逆襲に転じた。理事長と日野を取り持つ役割を担っている。


椚たえ子・・・臨玲高校理事長。対人コミュニケーションが苦手で人望がまったくない。臨玲を再建させるために学力向上を目指していたが……。


九条山吹・・・臨玲高校OG。母親は臨玲の理事でOG会の会長。OG会では彼女が実権を握っている。椚とは高校時代クラスメイトだったことも。

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