第96話 令和3年7月10日(土)「報酬」関いつき

 気分は最悪だったが、晴れたことだけは良かった。

 嫌なことはさっさと終わらせるに限る。

 待ち合わせ場所は県内の寂れた駅の前だ。

 こんなところ誰が利用するのかと思うが、ハイキングに向かう家族連れの姿がちらほらあった。

 山の麓付近なので暑さもさほどではない。

 山歩きの趣味はないが、そうできたらどんなに良いだろう。

 自分がした約束を僕は死ぬほど後悔していた。


 空気を切り裂くようなバイクの音が近づいてきた。

 その喧しさに周囲の人々は顔をしかめている。

 耳を塞ぎたくなるような騒音の元凶である大型バイクが目の前に停車した。

 僕が睨みつけているにも関わらず、ライダースーツにフルヘルメット姿の怪しいヤツがこちらに降りてくる。

 僕はポケットに手を突っ込み、ナイフを取り出す準備をする。

 ナンパなら良くて半殺し、ここならちょっと歩けば死体を埋めても発見されない場所もあるだろうと頭の中で計算する。


「物騒な顔ね」とヘルメットを取ると、長い髪がサラリと宙に舞った。


「……石川先輩」


 それは僕が待ち合わせをしていた相手だった。

 3年生の先輩。

 清楚なお嬢様だとばかり思っていた。

 学校での姿とはまるで別人で、僕は口をあんぐりと開けて驚くのを止められなかった。


「廃墟巡りにバイクがないと不便でしょ。この前18歳になったから大型に切り換えたのよ」


 石川先輩は自慢げにバイクを見せびらかす。

 まだ新車同然であり、車体はピカピカ輝いている。

 彼女は予備のヘルメットを僕に渡すと「乗って」と声を掛けた。


 先に彼女がバイクに跨がる。

 女子高生の平均身長より少し大きいくらいだろうか。

 バイクの大きさと比較すると少し頼りない感じだが、彼女は堂々とシートに腰を下ろす。

 急かされるように「早く乗って」と言われ、僕もヘルメットをかぶり彼女の背後に座る。

 僕は女子の平均よりも小柄なので結構大変だ。

 それでも身軽さを生かして乗り込んだ。

 想像以上に車高が高い。

 スポーツウェアの上下という服装なので、ちょっと心もとない気分になる。


「しっかりつかまっていて。落ちても知らないから」


 後ろに乗ったは良いがどこをつかむか迷う。

 バイクに乗るのは初めてだ。

 二人乗りだとなんとなくライダーの腰に手を回すイメージがあるが、さほど親しくない相手に密着するのは躊躇われる。


「行くよ」と僕のことなどお構いなしに先輩はバイクを発進させた。


 まだたいしてスピードを上げていないのに風圧が凄い。

 自転車とはまったく異なる感覚だ。

 膝で車体を押さえつけることで安定はするものの、やはりどこかをつかまないと不安だ。


 すぐにバイクは山間部に入った。

 舗装された2車線道路だが、カーブばかりになる。

 かなりのスピード感があって、遠慮なんてしていられなくなった。

 彼女の細い腰にグッとつかまる。

 ライダースーツの感触がなんだか心地いい。


 バイクの走りに慣れるにつれて爽快な気分になっていった。

 自由自在に風を切って走って行けたら楽しそうだ。

 本気で免許を取りたいと思うようになった頃、バイクは舗装されていない山道に進入した。


 振動が激しく舌を噛みそうになるが、まるでジェットコースターに乗っているようだ。

 僕は「もっと攻めて」と大声を出し、先輩はそれに応えてスピードを上げる。

 バイクが飛び跳ね横転しそうになるが、ギリギリでバランスを保っている。

 このままどこまでも走り続けていたかった。


 しかし、無情にも目的地に到着してしまった。

 山奥の別荘というにはオンボロで、廃屋と呼ぶには手入れがされているような建物だ。


「寂れたロッジを買い取ったのよ」と建物の前でバイクを止めた石川先輩がサラリと言う。


 ここを拠点に周辺の廃墟巡りをしているそうだ。

 風変わりな趣味の持ち主だが、「廃墟探検部」という立派な部活動の一環でもある。


 彼女のことを僕が知ったのは昨年の臨玲祭でのことだ。

 クラブ連盟副長という役職だった僕は活動していない部活の展示作業をすることになった。

 実績作りとして何年も同じ展示を繰り返すだけで活動費が入るという仕組みになっている。

 そんな面倒な作業をしている時に廃墟探検部の展示が目に入った。

 写真がいくつか飾られているだけの小さなスペースだったが、その写真に目を奪われた。


 ……ただの廃墟の写真にどうしてこんなに心が惹かれてしまうのか。


 写真や風景を眺めるなんて趣味はなかったのに、そこに展示された写真だけは見ずにいられなかった。

 朽ち果てたボロボロの家屋。

 伸び放題の雑草の間にわずかに残る生活の跡。

 行ったことのない場所なのになんだか懐かしい感じがした。


 その写真を撮影したのが僕より1学年上の石川先輩だった。

 おとなしそうな女性で、廃墟のイメージとは似つかわしくない。

 その時はカメラにお金を掛けているみたいな話をしただけだった。

 彼女のことを思い出したのは先日OG会から初瀬紫苑と日野可恋の写真を撮るように依頼されたからだ。


 臨玲高校の中で忘れ去られたような場所だった旧館を利用して僕はめっきり数が減った反理事長派の教師や職員とやり取りしていた。

 生徒会室が使えなくなり、監視カメラが多い校内ではほかに話ができる場所がなかった。

 その旧館も生徒会の奴等に踏み込まれてしまった。

 そんな状況でOG会の依頼に応えるのは困難だ。

 自分ひとりでは到底無理だった。

 そこで頼ったのが石川先輩だった。

 なんとか秘密裏に接触し、とある条件で依頼を受けてもらった。

 そして、彼女は見事にやり遂げた。


「それで、どこで撮るんですか?」


「慌てないで」と彼女は言ってライダースーツを脱ぎ捨てる。


 同性の前だから平気なのか下着姿を惜しげもなくさらす。

 彼女はバイクのリアボックスからカメラや鞄を降ろし、その中から厚手のつなぎを取り出した。

 ライダースーツのように身体にフィットしたものではなく全身をすっぽり覆うような服だった。


 この建物の周りはそれなりの道があるが、奥に行くと道も荒れ果てているらしい。

 それなりの服装でないと怪我をしたり虫に刺されたりすると彼女は説明した。


 一方、僕に対しては「脱いで」と簡潔に言う。

 尻込みする僕に「虫除けのスプレーを掛けるから」とスプレーを片手にニコリと微笑む。


「せめてロッジの中で」


「誰も見てないよ」


 彼女が僕に求めた成功報酬は、僕をモデルに写真撮影を行うことだった。

 しかも、全裸で。

 その条件以外では協力しないと言われ、悩んだ末に僕は首を縦に振ってしまった。

 確かにこんな山奥にほかに人のいる気配はないが、それでも外で全裸になるのには抵抗がある。


「早くして」と催促され、仕方なくアウター上下を脱いだ。


 虫除けスプレーを咳き込むほど掛けてから彼女は大きなカメラを首からぶら下げた。

 そして、まだ下着姿の僕にファインダーを向ける。

 さすがに羞恥心が沸き上がる。

 大きなシャッター音がして、瞬間的に僕は彼女に背中を向けてしゃがみ込んだ。


「そんなうぶって柄じゃないでしょ」


 以前、生徒会室で高階さんが高月の裸を撮影したことがあった。

 あの時は僕も高月の怯え方を大げさだと感じていたが、自分がやられる立場になるとそれが誤りだったと気づく。

 何だか心がすり減るような感覚だ。


 それでも僕は覚悟を決めた。

 さっさと終わらせて帰ろう。

 心を無にして、何も感じないようにしなければ。


 機械的に自分の下着を剥ぎ取り、陽差しの下で靴以外何も身につけていない姿になった。

 石川先輩に言われるままにポーズを取る。

 彼女は一枚の写真を撮るのに何度も何度も微調整を要求し、すべてを納得してからシャッターを切った。


 素っ裸のままあちこち移動させられ、写真を撮られるうちに心が麻痺していくのを感じた。

 しかし、それが先輩にはお気に召さないらしい。


「そこに腰掛けて、大きく脚を広げて」


 朽ちた石垣のようなものの上に座らされた。

 だが、さすがにすんなりとは脚を広げられない。

 彼女はカメラを構えたままジッと僕の動きを待っている。

 無言の圧力に押されて、少しずつ太陽の下で股間が露わになっていく。


 ここまでして自分は何を得ようというのか。

 日野に復讐したいという気持ちが強い訳ではない。

 ましてや高階さんを救おうなんてこれっぽっちも思ってはいなかった。


 ……たぶん僕は高階を自分の手で壊したかったんだ。


 高階の片棒を担いでいたが、心の底では彼女が嫌いだった。

 反社勢力との繋がりを背景に好き放題する彼女が。

 力では圧倒的な差があるのに、従うことしかできなかったことに無性に苛ついていた。

 いつか彼女をぶっ殺すと夢見ていた。

 それが果たせないまま、彼女は日野の手によって壊れてしまった。

 ああなってはもうまともな姿には戻らないだろう。

 それを確認した僕は目標を失ってしまった。

 OG会の手先となって日野を陥れようとしているものの、それはほかにやりたいことがないからだ。


「オナニーでもしてみてくれる?」


 彼女のドキッとする要求にさすがにキレて「なんでそこまでしなきゃいけないんだよ!」と怒鳴り返した。

 石川先輩は長い髪をかき上げ、「貴女が撮影に向き合わないからよ」とつまらなそうに話す。


「向き合う?」と尋ねると、「私のことを意識しなさい。撮影は対話なの」と彼女は見下ろして言う。


「だったら言葉でちゃんとそう言ってください」


「言ってなかったっけ?」と彼女はとぼけ、「貴女の恥じらいに打ち震える表情が素敵だったから……」と言い訳をつけ加えた。


 その後は吹っ切れて先輩の求める被写体になれた気がする。

 撮影が終わったあとに撮った写真を見せてもらった。

 そこに映っていたのは自然に溶け込む淡い少女の姿だった。

 自分じゃないみたいだ。

 一部には性器のアップといった信じられないものもあったが、大半は全裸なのにいやらしさを感じさせなかった。

 芸術的というのだろうか。

 エロ画像を消して欲しいと頼んでみたが、先輩は「嫌よ。自分ひとりで愉しむから」と一蹴した。

 最悪だ。


「生徒会から何か問われたら、僕に命令されたと言っておいてください」


「貴女は期待以上の報酬をくれたから、その恩には報いるわ」


 そう言って微笑む石川先輩は僕が知っていた彼女とは別人のようだった。

 今日一日で本当に彼女のいろいろな顔を見た。

 ライダーの顔、カメラマンの顔、僕を困らせようとする顔、すべてを見通すような顔。

 ごく普通のお嬢様だと思っていただけに衝撃を受けたが、多様な彼女の姿を知ることができて良かったと思う。


「帰りましょうか。私の家に寄るといいわ。私の手で身体の隅々まで洗ってあげるから」


 彼女の瞳に危険なものを感じて、咄嗟に僕は断ろうとした。

 だが、「免許を取るなら私のお下がりのバイクを譲ってあげてもいいのよ……」という言葉に抗えなかった僕は……。




††††† 登場人物紹介 †††††


関いつき・・・臨玲高校2年生。元クラブ連盟副長。格闘技研究会に所属している。裕福な家に育ちお小遣いは多いが金遣いが荒く、最近は金欠状態が続いている。


石川・・・臨玲高校3年生。廃墟探検部唯一の部員。彼女が設立したものではなく、過去に作られたものを復活させた。


日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。高階を退学に追い込んだ張本人。


初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。超有名女優。校内での写真撮影は基本NG。


高階たかしな円穂かずほ・・・3年生に進学した4月に反社勢力との繋がりや部活動費の私的流用などを理由に退学処分を受けた。深刻な摂食障害や精神鑑定の結果を基に強制入院の状態となっている。

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