第367話 令和4年4月7日(木)「菜月の本気」古和田万里愛

 ここは鎌倉市内にある高級マンションの一室。

 臨玲高校のほど近くにあり、学校帰りや休みの日にここで集まるのが日課のようになっていた。


「新入生の間では日々木さんの人気が急上昇しているみたい」


 やや成金趣味な感じがする高価な調度品が並ぶ部屋の中で、豪華な革張りのソファーに座っているのは4人だ。

 発言したわたしと、それを深刻な表情で聞き入る菜月、朗らかな笑みを浮かべている紅美子、そしてわたしたちに鋭い視線を送る大人の女性。


「歓迎の挨拶で彼女が噛んだ時の反応が凄かったの。盛り上がりというか熱気があって」と入学式で肌に感じたことを説明する。


 わたしと紅美子は生徒会の手伝いという形で入学式に参加した。

 式の間は膝掛けを配ったり、体調を崩した子がいないか観察したりといった仕事が主だったが、それだけに日々木さんを応援する空気を身近に知ることができた。


「1年生の半数、いえ、4割の票が取れれば勝つのは確実なのに……」


 歯がみするように菜月が声を上げる。

 この部屋は5月に行われる予定の臨玲高校生徒会選挙の対策本部だ。

 菜月の、いや、藤井家の本気がここに現れている。

 校内では情報漏洩の恐れがあるからとこんな部屋を用意した。

 彼女の家は日本有数のIT企業の創業家であり、その資産は国内で一二を争うと言われている。


 わたしは当初この大げさな選挙対策を醒めた目で見ていた。

 菜月のことは尊敬しているし、大事な友だちだと思っている。

 彼女が生徒会長を目指すと言ったときも力になりたいと考えていた。

 常に頂点に立たなければならないと努力する彼女の姿を見てきただけに、わたしにできることがあれば協力したいと思うことは自然だったのだ。

 だが、その準備はわたしの想像を超えるものだった。

 この場所もそうだし、選挙のプロを雇ったこともそうだ。


「日々木さんの弱点、綺麗ではあっても頼りなさげな印象を与えるところを衝いていくのが良いのでは?」


 いかにも上に立つ者といった貫禄を示しつつ菜月が戦略を立てる。

 そこに割って入ったのがノンフレームの眼鏡を掛け研究者といった風体の紀平さんだった。


「こちらが日々木さんを攻撃するのを待ち構えている可能性があります。同情票を集めるのが向こうの戦略かもしれません。相手の思うつぼです」


 彼女は昨秋の衆院議員選挙終了後に加わった。

 今年の参議院議員選挙に向けて引く手あまただったらしいが、相場を遥かに超える報酬を提示して藤井家が射止めたのだ。

 それまでわたしたちは必死で選挙対策を考えていた。

 相手は現会長の後継者である日々木さんと分かっていたので、その弱点を分析したり、どんな政策を打ち出すか考えたりしていた。

 いまのところ生徒の間に大きな不満はない。

 そこにどんな争点を作るか、それを散々検討していたのだ。


 しかし、紀平さんはわたしたちのそうした努力を無意味だと切り捨てた。

 そして菜月に命じたのだ。

 休み時間や放課後に教室を回ってひとりひとりの話を聞いてくるようにと。


 説得や票の依頼ではない。

 議論することも禁止だと言い、ただ相手の意見を聞くようにと念を押した。


「有権者ひとりひとりが何を考え、何を大事に思い、何を求めているのか。臨玲の生徒数なんてたかがしれているのですから全員から話を聞いて、全員の人物像をレポートにまとめてください。ひとりA4用紙1枚にびっしり書き込むくらいにね」


 その必要性を巡って菜月は反発したが、従わなければこの職を降りると紀平さんは断言した。

 わたしと紅美子はとりあえずやってみてそれから考えようと菜月を説得し、聡明な彼女はそれを受け入れた。

 だが、これは彼女にとっては苛酷な試練だった。


 菜月は勉強でも運動でも努力に努力を重ねてトップを保ち続けている。

 それだけに努力をしようとしない人間には厳しい態度で接することが多い。

 また恵まれた環境で生きてきたため、できない環境があるということに理解不足な面があった。

 結果、周囲を見下す傾向が強まり、それが周囲の反発を招くという悪循環に陥っていた。


 この取り組みを始めた当初は相手の意見や人となりではなく、菜月による批判ばかりがレポートに記されていた。

 それらは紀平さんからやり直しと言われ、勉強では体験したことがない苦労を味わった。

 それでも彼女はできないと弱音を吐かず、毎日毎日話を聞きに行きそれをレポートにまとめていた。

 わたしたちは励ますことしかできなかった。


 年末頃になると周囲からの風当たりの強さが和らいだ。

 徐々に面談での会話が弾むようになり、それとともにクラスにも溶け込んでいった。

 年が明けた頃には紀平さんからレポートを突き返されることもなくなった。

 そして、選挙への手応えを感じるようになったのだ。


 日野さんがいればこういう展開にならなかったかもしれない。

 しかし、彼女は長期入院していて、そのせいか日々木さんも目立った活動を行わなかった。

 あとは入学する1年生の支持を集めるだけというタイミングで日野さんが退院したというニュースを知った。


「相手は日野さんだからね。どんな手を使ってくるか分からないよ」


 わたしは弱音の言葉を吐いてしまう。

 実際に向こうは1年生の支持獲得のための手を打ってきた。

 制服の採寸というわたしたちが手出しできない場所で日々木さんのことをアピールしたのだ。

 これはかなり効果的だったようだ。

 日々木さんは推しやすい存在だし、1年生にとって共通の盛り上がる話題にもなっている。

 友だち作りをしたい新入生は「日々木先輩、可愛いよね」と言っておけば共感を得られやすい。

 入学式で彼女を挨拶に立たせたのもそういった計算があってのことだろう。


「時間がないよねー。合同フェスでも日々木さんが目立つだろうし」と紅美子もわたしに同調する。


 さすがに紀平さんも難しい顔つきになっている。

 話を聞いて回るという手法は入学したばかりの1年生には使いにくいそうだ。

 菜月は親しみやすさが欠けているので先輩としての圧を強く感じさせてしまう。

 簡単にはフレンドリーな会話にならないだろう。


「あなた方は正攻法で挑みんでください。1年生に関しては私が動きます」


 これまで指示をするだけだった紀平さんが自ら動くと明言した。

 菜月も驚いた表情になっている。


「1年生から立候補者を出し、票の分散を狙います。ただし、あなた方との繋がりが発覚すれば逆効果ですから、そこは絶対にバレないように対策します」


 わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。

 選挙の裏側を垣間見た思いだ。


「これまで私が指南した候補者はなんだかんだと理由をつけて指示通りに動こうとはしませんでした。しかし、あなた方は真剣に取り組んでくれました。そのお返しとして私が全力であなた方を勝たせます」




††††† 登場人物紹介 †††††


古和田こわだ万里愛まりあ・・・臨玲高校2年生。菜月の取り巻きという目で見られることが多い。だが本人は大切な友人だと考えている。


藤井菜月・・・臨玲高校2年生。昨夏に生徒会長選挙出馬を決め家族に協力を要請した。親からは「出るからには絶対に勝つように」と言われている。


光橋紅美子くみこ・・・臨玲高校2年生。ムードメーカーであり、普段は万里愛のシスコンぶりをからかったりしている。


紀平・・・選挙対策のプロとして国・地方問わず活動している。接戦となったときに非常に強く、この界隈では「マジック」と称されることも。本人は「言った通りに活動してくれれば楽に勝てたのに」とぼやいているらしいが。


日々木陽稲・・・臨玲高校2年生。生徒会副会長。本人の意志ではなく可恋に言われたから生徒会長になる決意をした。見た目の幼さが頼りなく見られる原因になっていることは気づいているが、こればかりは仕方がないよねと割り切っている。


日野可恋・・・臨玲高校2年生。生徒会長。入院中は不測の事態が起きることを避けていたので、現在の選挙情勢は想定内ではある。ただ「想定の中では最悪」の状況なので退院を待たずに動き始めた。

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