第105話 令和3年7月19日(月)「友」網代漣
まるで梅雨明けの太陽のように、ひよりが生き生きと輝いている。
そう、あの宣言のあとから。
寝耳に水だった。
ちょうど1週間前、ひよりが淀野さんの頬を打つという事件が起きた。
彼女の友だちだというのに、わたしはいったい何があったのかまったく知らなかった。
そもそも彼女がそんな行動を取ること自体意外だった。
わたしは心配することしかできなかったが、翌日さらに驚く出来事が起きる。
ひよりは淀野さんを引き連れて教壇の前に立つと、自分たちは恋人同士だと宣言したのだ。
その顔は強い決意を秘めているようだった。
もちろん発言の内容にも驚いたが、それ以上にひよりらしくない言動に衝撃を受けた。
ひよりは引っ込み思案とまでは言わないが、目立とうとしない性格だと思っていた。
自分から前に出て行くことはなく、一歩引いたところにいるタイプ。
まさかクラスメイトの前であんなことを高らかに言い放つとは思いもよらなかった。
「中学の時に母が再婚して生活レベルがグンと上がったって話は何度もしたよね。当時はそれが周りに知られて羨ましく思われたり嫉妬されたりしたら嫌だなと思っていたの」
わたしが抱いた気持ちをひよりに伝えたところ、そう説明してくれた。
元はもっと活発な子だったようだ。
だが、調子に乗っていると見られることを恐れて目立つことを避けるようになったらしい。
「きっかけはいろはのことだったけど、この学校ならそんなキャラを演じなくてもいいのかなって気づいたの。私より凄い人がいっぱいいるしね。それにあの人たちを見ていると私なんて全然お嬢様じゃないって分かったし」
そう言葉を続けたひよりは「だからこれからも仲良くしてね」とニッコリ微笑んだ。
わたしもそのつもりだ。
彼女の手を握り、「こちらこそよろしく」と友情を確かめ合った。
親の経済力は子どもの持ち物や行動、言葉遣いや習い事の有無など様々なところに現れる。
子どもは意外と敏感にそれを察知する。
基本的に同じようなレベルの子と一緒にいるようになる。
わたしは中学から私立だったのでそれほど気にしなくなったが、子どもの貧困を扱ったニュースなどを見て心を痛めることはあった。
そして、この高校に入学すると突然わたしは平均以下の立場に置かれた。
それまで恵まれた環境で暮らしていると思っていたのでこの変化に心が波立った。
見下すようなことを言うのは藤井さんくらいだが、劣等感めいたものを抱く場面は何度かあった。
こればかりは本人の努力ではどうしようもない。
それが分かるだけに、ひよりのこれまでの悩みも少しは理解できるような気がした。
「あたしも彼氏欲しい!」とリカが嘆く。
それに対して「彼氏じゃなくて彼女」とひよりが訂正を入れる。
わたしとキッカは椅子に座ってふたりのやり取りを見上げていた。
明日が1学期の終業式で、今日は校内清掃が割り当てられている。
お嬢様でも真面目に取り組む子もいれば、終始グチグチと文句を垂れている子もいる。
生徒会長の日野さんは「こんなくだらない行事は撤廃するように掛け合ったのだけどOG会の反対にあって叶いませんでした」と裏事情を教えてくれた。
とはいえかなり緩い空気の中での清掃であり、あらかた終わったいまはお喋りタイムになっている。
もうみんな夏休みムードだ。
どこでどう過ごすかというマウントの取り合いが繰り広げられているのだろう。
「リカは彼氏を作るより補習をどうするか考えないとね」と浮つくリカにわたしは水を差す。
わたしとひよりはギリギリ補習を免れた。
一方、リカはいくつかの科目で撃沈してしまった。
頭を抱えたリカは「マジ補習とかあり得ないんだけど」と現実から目を逸らそうとするが、「今年から進級を厳しくするって本当なのかな」というひよりの言葉に耳を塞いでしゃがみ込んでしまった。
「習熟度別クラスを教科によって導入するって話も聞くし、大変そうだよね」
「東女や高女に追いつけ追い越せって理事長が言っているみたいだし……」
わたしとひよりがそんなことを話していると、キッカが「良いじゃんか。やる気があって」と学校側の肩を持つ。
彼女は見掛けによらずと言っては失礼だがわたしたちより成績が良い。
校則の厳しい中学に嫌気が差していたが、勉強ができたので多少は目を瞑ってもらっていたそうだ。
「そんなの聞いてないよー。詐欺だよー」と悲嘆に暮れるリカを放っておいて、ひよりが「夏休みの課題も多いよね」と顔をしかめる。
「そうだよな。真面目にやろうと思えば夏休み中ずっと取り組まないとな」
「せっかくの夏休みなのにねー」とわたしも愚痴のひとつも言いたくなる。
昨年は一斉休校があったため非常に短い夏休みになってしまった。
今年は高校生になって初めての長期休暇ということでとても楽しみにしている。
家族旅行だとか帰省だとか予定は目白押しだ。
春まで住んでいた浜松に遊びに行く計画も立てた。
キッカたちと夏の思い出も作りたい。
しかし、夏休みの課題が重くのしかかる。
ひとつひとつはそんなに多くなくても高校だと科目数が多いのでトータルにすると相当な量になる。
それに単純に問題集を解くというような課題ではなく、いろいろ調べてレポートを書いたり、自分で研究テーマを定めて2学期に発表したりするようなものが多い。
手を抜こうと思えば短時間で済ますこともできるだろうが、そうやって作成したことは簡単にバレてしまうだろう。
「そこで、一緒に鎌倉を探検しようぜ」
唐突なキッカの言葉にうまくリアクションが取れない。
わたしだけでなくひよりやリカも同様だ。
ようやくひよりが「探検って?」と疑問を口にする。
「古都鎌倉には発表のテーマになりそうなものがたくさんありそうだし、いくつかのレポートにも役に立つんじゃね? 自分の足で調べたら評価も高いかも」
「良いね、それ」と飛びつくわたしとは対照的にひよりは「みんな同じだとマズいんじゃない?」と不安を述べた。
「切り口を変えたり、自分で調べたことを付け足したりすれば平気だろ。心配ならあとで職員室に行って聞いてみよう」
ひよりは納得したように頷いた。
リカは「寺とか神社とか行って楽しいの?」とあまり乗り気ではないようだ。
わたしは鎌倉に引っ越してきたばかりなので楽しみの方が大きかった。
「よし。それじゃあ凛たちにも声を掛けてみるか」とキッカが言ってわたしをチラッと見た。
わたしはひよりの方を向くと、「淀野さんを誘わなくていいの?」と声を掛ける。
ひよりは教室の中でポツンとひとりでいる淀野さんに視線を送った。
そして、一度キッカを見てから「聞いてくるね」と淀野さんのところへ歩いて行った。
ひよりはあの宣言の直後わたしとキッカに「黙っていてごめんなさい」と謝った。
わたしたちは気にしないでと宥めたが、隠してつき合っていたことにひよりは思うところがあったようだ。
事情が事情なので隠していたのは仕方がないと思う。
それに彼女は「みんなの前であんなことを言えたのはキッカや
その期待に応えない訳にはいかない。
ひよりは淀野さんの肩に手を置くと顔を近づけ話し込んでいる。
その距離感は近く、恋人同士という言葉が真実だと伝わってくる。
ひよりの表情も友だちの前では見せない蕩けるようなものだ。
その様子を羨ましいような寂しいような複雑な気持ちでわたしは眺めていた。
「幸せそうで良いじゃんか」
キッカはふたりを見守るような眼差しを送っていた。
わたしは「そうだね」と答える。
こんな良い友人を持ったのだからわたしもきっと羨ましがられる立場だろう。
自慢の友に目をやるとわたしはもう一度「そうだね」と頷いた。
††††† 登場人物紹介 †††††
飯島
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。シングルマザーで経済的に苦労していたが再婚によって環境が一変した。時間が経つのにいまだに慣れていない。倹約の精神が根付いてしまっているのかもしれない。
淀野いろは・・・臨玲高校1年生。中学時代も恋愛問題でトラブルを起こし、外部進学を選択した。恋愛対象は同性のみ。なお、ひよりの許可なく教室の外に出ることは禁じられている。
加藤リカ・・・臨玲高校1年生。玉の輿を目指してこの高校に入学したが思うようになっていない。成績でも苦戦している。
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