第106話 令和3年7月20日(火)「1学期の終わり」西口凛
こんなハズじゃなかった。
それが臨玲高校に入学して4ヶ月経った私の率直な気持ちだ。
親の反対を押し切ってまでこの高校に入学した理由はいくつかある。
家のすぐ側にあって、昔ほどではないのだろうけどここに通う生徒たちがキラキラ輝いて見えたこと。
中学時代にリーダーシップを発揮した私の実力がここでどの程度通用するか確かめたかったこと。
親の反対に遭い、引っ込みがつかなくなったというのもある。
晴れて、意気揚々と入学したまでは良かった。
だが、1学期の私は挫折の連続だった。
「凛はよく頑張っているよ」
大柄で、いつもニコニコ。
蔭で”千尋ママ”と呼ばれることもある六反千尋が私を励ましてくれる。
その隣りで園田美羽も「そうだよ」と頷いた。
今日は1学期の終業式だ。
放送で行われるため、ホームルームの開始を教室で待っている。
当初は講堂に集まる予定だったが生徒会長が感染状況の悪化を訴えて変更された。
暑い中を講堂まで行く必要がなくなったことに多くの生徒から喜びの声が出ている。
人気取りかもしれないが、先生に言われたことを唯々諾々とやりがちな私は見習わなくてはと思った。
「立候補してクラス委員になったまでは良かったけど、相談を受ける側じゃなく相談に乗ってもらう側になっているから……」
現状では、この千尋や”みんなの女神”日々木さん、私が内緒で呼んでいる”親分”ことキッカの方が私よりも人望がある。
実際に彼女たちにいまの私は太刀打ちできない。
公立中学で培ったちっぽけな経験では歯が立たないのだ。
「凛がクラス委員の仕事を積極的にやってくれていることはみんな認めているよ」
面倒見が良い保健委員の美羽が慰めの言葉を口にする。
臨玲に入る前は藤井さんみたいな子がたくさんいて、ギスギスした学校なのかと思っていた。
蓋を開けてみれば、表向き相手を尊重しない態度を取るのは少数派だった。
中学の時は周りがみんな子どもに見えたが、ここでは私の方が子どもっぽく感じることもあるくらいだ。
「『金持ち喧嘩せず』って言うけど、そういうのもあるのかな」と私は呟く。
貧しい人は清廉というイメージがある。
現実は生活に余裕がないと他人を気遣うことはできないし、粗野で取り繕うことをしない人が多い。
私の父はリベラル系の市会議員をしていて困窮している人たちの支援を行っている。
その苦労話を聞く限りは清廉にはほど遠いと感じてしまう。
「お金のあるなしに関わらず、いろんな人がいるよ」
そう言ってニッコリ笑った千尋は「人それぞれだよ」と言葉を続けた。
どうしても私はこういう人だと決めつけて見てしまう。
裕福か貧乏か、私立出身か公立出身か、勉強ができるか否か、人となりを見るより分かりやすいレッテルで認識してしまう傾向にあった。
「お金持ちといってもいろんな人がいるってことは臨玲に来て学んだよ」と私は自嘲気味に話す。
一概にお金持ちといってもその中にだって格差はある。
そんなことさえ私は知らなかった。
それにお嬢様の方が勉強熱心だったりする。
彼女たちは校内だけでなく、お嬢様同士のネットワークの中で優劣を競っている。
それは学校の成績だけでなく、社会の知識や視野の広さといったものも含まれる。
将来一労働者になるのではなく、経営や政治に関わっていくという自負があってのことなのだろう。
「特にこのクラスはいろんな人がいるからね」と美羽が笑った。
「超有名女優に、次元が違うレベルのお金持ち、ひとりだけ社会人って感じの人もいるし……」と千尋が言えば、「やっぱり日々木さんは外せないよ。あれほど美人なのにあんなに心が綺麗なんて人間とは思えないもの。妹にひとり欲しいくらい」と美羽が推しを語るように話す。
「弟妹3人じゃ足りないの?」と私は美羽にツッコミを入れた。
「妹や弟は生意気だから。癒やし枠は欲しいでしょ」
「我が家の妹たちは素直で良い子たちだよ」と千尋が自慢げに割って入る。
私は妹の立場だが、目の前のふたりはどちらも下に複数の弟妹を持つ長女だ。
姉とはそれほど仲良くないだけに、ふたりを見ていると羨ましく感じることもある。
「人には誰しも向き合わなければならない課題があるね。他人に目を向けるよりも自分の課題を見つめる方がきっと良いよ」
突然の千尋の箴言に私は胸に手を当てた。
確かに最近は他人を羨んでばかりだった。
中学時代と違い私は周囲に比べると恵まれない環境にいる。
しかし、それは最初から分かっていたことだ。
「小さいことからコツコツとって格言だっけ? でも、大事だと思う。大きな目標もあった方がいいんだろうけど、足下もしっかり見なくちゃダメなんじゃないかな」
美羽は彼女らしい言葉を掛けてくれる。
千尋は「大丈夫。凛は我らの委員長だよ」と冗談めかして私の背中を押す。
そのタイミングで予鈴が鳴り、私は「ありがとう」と感謝して自分の席に戻った。
すぐに担任の戸辺先生が入って来た。
目で私を呼んだので座ったばかりの席を立って担任のところへ行く。
このあとの打ち合わせをしているうちに本鈴が鳴り、私以外の生徒は自分の席に着いた。
終業式の放送が始まる。
ようやく打ち合わせが終わり席に向かおうとした私に戸辺先生が「初めての担任なのだけど、西口さんのお蔭で随分助かっているわ」としみじみとした口調で囁いた。
私は立ち止まり「私なんて」と謙遜の言葉を返す。
小柄な教師は首を振り、「あなたはよくやっているわ」と労ってくれた。
放送が終わり、成績表が配られる。
こちらも挫折のひとつではあるが、中間試験の時よりは改善された。
そのあと私は教壇に立ち、夏休みの注意事項を全員に知らせる。
特に注意するのは校舎が建て替えられるので教室に忘れ物をしないことだ。
保健委員の美羽からは感染対策の話をしてもらう。
補習のこと、課題のこと、登校日のことと、担任と打ち合わせをした内容を伝え質問があればそれに答えていく。
「それでは臨玲高校の生徒の自覚をもって夏休みを過ごしてください。以上です」
私は締めの言葉とともに教壇を降りる。
戸辺先生は「気をつけて帰ってくださいね」といつもの注意をしただけでホームルームを終わらせた。
私は立ったまま「絶対に忘れ物をしないようにね!」と大声で呼び掛け続ける。
みんなは分かっているという顔をしているが、私は周囲を見回しながら目を光らせる。
「森薗さん! 机の中、残っているじゃない!」
「……ゴミだから」
「持って帰って自分の家で捨てて」
「良いじゃん。どうせ壊すんだろ」とブツブツ文句を言う彼女の首根っこをつかみ、机の中に残っていたプリント類を彼女の鞄に突っ込んだ。
すぐに帰途についたりや部活に向かったりする生徒もいるが、いつもより教室に残る人が多い。
長い休みの前に、名残を惜しむように彼女たちはお喋りに勤しんでいる。
「そこ、教室の中でイチャイチャしない!」と私はひよりと淀野さんを見咎めた。
「このくらい別にいいでしょ」と淀野さんが口答えをするが、「開けっぴろげにすることじゃないでしょ」と反論を許さない。
なおも文句を言おうとする淀野さんをひよりが引っ張って教室から出て行った。
千尋と美羽が近づいてきて「ご苦労様」と笑顔でいたわってくれる。
警戒を怠らないように気を配りながら「いつものことよ」と私は返答する。
千尋が「頼りにしているよ、委員長」と私の肩をポンと叩き、近くの机の上に腰掛けた。
終わるまで待ってくれるようだ。
私は自宅がすぐ近くなので一緒に帰るといっても校門までだ。
「先に帰っていいよ」と言うと、美羽が「すぐに帰るのもね」と優しく微笑んだ。
持つべきものは友だ。
キッカと漣も帰り際に「無理するなよ」「鎌倉巡り行こうね」と声を掛けてくれた。
こんなハズじゃなかったという気持ちはいまも強い。
しかし、臨玲に進学したことは後悔していない。
これだけの出逢いがあったのだから。
††††† 登場人物紹介 †††††
西口凛・・・臨玲高校1年生。自ら立候補してクラス委員長に就いた。特定のグループには所属せず、あちこちに顔を出している。
園田美羽・・・臨玲高校1年生。保健委員。真面目で面倒見が良い。
日野可恋・・・臨玲高校1年生。生徒会長。クラスメイトには近寄りがたい存在となっているが、クラス委員長の凛とは話す機会がある。終業式を放送にしたのは人気取りではなく暑いのが嫌だから。
日々木陽稲・・・臨玲高校1年生。生徒会副会長。天使と見紛う美少女。それでいて美貌を鼻にかけず誰にでも優しい。
初瀬紫苑・・・臨玲高校1年生。有名女優。現在映画の新作の撮影中で学校は欠席している。
藤井菜月・・・臨玲高校1年生。臨玲全体の中でもトップクラスのお金持ち。IT企業の創業者一族。学力も優秀。
岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。キッカのグループの一員で、凛とも仲が良い。最近いろはと恋人宣言をした。
淀野いろは・・・臨玲高校1年生。クラスの中では浮いている存在だった。
飯島
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