第146話 令和3年8月29日(日)「女の勘」網代漣

 あまりにも予想外の出来事だった。

 親友の真夏がやって来たのは。


 それまで毎日のようにSNSで連絡を取り合っていた。

 ひとことあっても良さそうなのにそんな素振りは一切なかった。

 夏休みに浜松で4ヶ月振りくらいに顔を合わせたばかりだ。

 こちらも向こうも新学期が始まり、もっとも油断していたタイミングと言えたかもしれない。

 だから本当に心の底から驚いたのだ。


 もちろん親友である彼女が来てくれて嬉しくはあった。

 浜松で会った時も「遊びに来てね」と言ったし、落ち着いたら鎌倉の観光名所を案内することも考えただろう。

 だが、突然すぎた。

 何の準備もしていなかった。

 気持ちの整理も……。


「紹介してくれるよね?」と真夏は笑顔で迫ってきた。


 手紙やSNSで伝えていたわたしの高校の友人たちに彼女は会いたいとせがむ。

 その瞳がなんだか怖かった。


 中学の3年間彼女はわたしの親友で、わたしは彼女のことをよく知っていると思っていた。

 しかし、この夏に浜松で会った時にそれが思い違いだったと感じた。

 考えてみれば手紙では自分のことばかり書いていた。

 普段の会話でも聞き上手の真夏に聞いてもらうことが多く、彼女が心の裡の深いところを打ち明けるといったことはなかった。

 わたしと違い彼女は何でもできて、周りの信頼も厚い。

 悩みを抱えているなんていう思いに至らなかったのだ。

 それを話してもらったばかりか、彼女はわたしを必要だと語った。

 告白されて、わたしはそれを受け入れた。

 彼女の好きとわたしの好きが同じ熱量でないとしても、真夏のことは好きだしこれまでの感謝の気持ちもある。

 だから、みんなの目の前で彼女の告白を断るなんてできなかった。


 鎌倉に戻ってなんだかホッとした。

 つき合うことになってから、ずっと側にいると戸惑うことが多く息苦しさを感じていた。

 浜松での数日間が日常離れした時間だったのに対して、鎌倉に戻ってからの日々は平穏で落ち着いていた。

 ここでの生活はもうわたしの日常になっている。

 そんな開放感に浸っていた矢先にいきなり非日常が浸食して来たのだ。

 慌てるのも無理はない。


「キッカは……、今日は用事があるって言っていたから明日聞いてみるよ。ひよりはどうかな……」


 わたしはひよりにLINEを送る。

 土曜日の午後だから淀野さんとデート中かなと思う。

 すぐに返信が来るとは期待していなかったが、数分で応答があった。


 わたしは横に腰掛ける真夏に見えないようにスマートフォンを操作しようとしたが、彼女は何食わぬ顔で覗き込んできた。

 少し緊張しながら『浜松から友だちが来ているの。キッカやひよりと会いたいって言っているんだけどどうかな?』とわたしは尋ねる。

 今日は無理だと言われ、明日はと聞いたら午前中なら時間が取れると教えてくれた。

 淀野さんも一緒になるということだが、それは仕方がない。


 次はキッカだと思っていたら、ひよりが『キッカには私から聞いておくよ。漣は友だちとの時間を大切にして』と言ってくれた。

 わたしはその言葉に甘えることにした。

 真夏のことをキッカに伝えたくない気持ちがどこかにあったせいかもしれない。


 そんな訳で今日、真夏と鎌倉にあるオシャレな古民家カフェに向かった。

 空は雲に覆われている。

 終わり間近の夏の太陽を浴びずに済んだのはいいが、真夏が腕を組んでくるので暑さと周囲の視線が気になった。


 趣のあるカフェにはひよりたちが先に来ていた。

 わたしはふたりに近づくと、周囲を見回してから「キッカは?」と訊く。


「キッカは急用ができたって」


 そう答えたひよりは「こちらが真夏さん?」とわたしに紹介するよう促す。

 わたしは頷いて、「中学時代の親友の田辺真夏」と横にいる真夏の方を向いてふたりに伝える。

 真夏は親しげな笑みを浮かべて「田辺真夏です。真夏でいいよ」と言ったあと、「いまは漣の恋人ね」と腕を組んだままアピールした。


 ひよりも淀野さんもまったく驚きを見せず、「私は岡崎ひより、こちらは淀野いろは。漣から聞いていると思うけど、つき合っているの」と堂々と応じた。

 真夏は「教室で恋人宣言をしたって聞いたよ。それを聞いてあたしも告白しようって勇気づけられたの。だからふたりはあたしの恩人だよ」と喜んでいる。


 わたしたちも席に着き、「ふたりはどんなSEXをしているの?」と口にした淀野さんをひよりがゲンコツで黙らせてから和やかにお喋りを始める。

 ひよりが興味を持ったわたしと真夏の中学時代の話をしたり、真夏が聞きたがったお嬢様学校である臨玲の話をしたりと会話は尽きない。

 時折、真夏がキッカについて突っ込んだ質問をしてわたしは背筋が冷たくなるが、ひよりは当たり障りのない回答を続けた。


「漣が委員会に入ったのもキッカさんの影響だって言うから、すごく関心があったの」


 ひよりはこちらをチラッと見たあと、「キッカはみんなのまとめ役として信頼されているからね。私もあんな風に信頼される人になりたいと思うもの」と真夏の言葉に応対する。

 わたしは会話の流れに乗って「ホント、憧れるよね」と口にすると、テーブルの下で足が小突かれた。

 斜め前に座るひよりが睨むような視線を送ってくる。


 表面上は和気あいあいとしたダブルデートは昼食前に終了した。

 わたしは真夏のリクエストでラーメン屋に連れて行く。

 ひよりたちは予約しているレストランに向かうそうだ。


「次に来た時はキッカさんと会いたいな」


「前もって連絡をしてよ」とわたしが非難すると、「次はちゃんと連絡するよ」と真夏は上機嫌に笑った。


 こうして真夏は浜松に戻っていった。

 わたしにとっては嵐のような二日間だったと言える。


 夜、ひよりに今日のことに対するお礼のメッセージを送ったら彼女から電話が掛かってきた。

 出ると、彼女の声がいつもより険しい。


『今回は助けたけど、次はないからね』


『何のこと?』と聞くと、溜息のあとに『キッカには何も伝えていないから、次に彼女が来るまでに情報をすり合わせておいて』とひよりは答える。


『えっ!』と驚きの声を上げると、『友だちが会いたいって書いてあって、漣自身が紹介したいって言葉がなかったでしょ。それでピンと来たのよ。何かあるって』と種明かしをした。


 さらに、『女の勘を研ぎ澄まさないと、いろはに浮気をされるからね』とひよりが切実そうに語る。

 それを聞いてわたしの背筋が凍りつく。

 ひよりは『二股しようなんて思っていたら真夏にチクるからね』と釘を刺してから電話を切った。

 気づかなかったが、あのお喋りの間に真夏とひよりの間に友情が芽生えていたのかもしれない。

 真夏が意外と機嫌が良かったのもそのせいかも……。


 そして、わたしは……。

 キッカにどう説明しようと頭を抱えながら長い夜を過ごすことになった。




††††† 登場人物紹介 †††††


網代あじろれん・・・臨玲高校1年生。ごく普通の高校生のはずがなぜか修羅場に……。


田辺真夏まなつ・・・浜松市在住の高校1年生。中学時代の漣の親友。彼女が鎌倉に引っ越したことで彼女の存在の大きさに気づいた。


岡崎ひより・・・臨玲高校1年生。漣やキッカの友人。1学期に教室でいろはとの恋人宣言をして話題になった。


淀野いろは・・・臨玲高校1年生。可愛い女の子が好きでハーレムを作りたいと考えているが現在はひよりの尻に敷かれている。頭の中がピンク色のように思われているが、色恋のためならどんな努力も厭わないという一面も。


飯島輝久香きくか・・・臨玲高校1年生。キッカと呼ばれるこのグループのリーダー格。夏休みの課題のために漣と鎌倉市内の寺社仏閣巡りをして互いの距離を縮めた。

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